一生、毎晩。

 癖のある茶色い髪は、猫みたいだ。だからわたしは君のことをこう呼んでいた。本名は影も形も残していない。
「ニャン太、嬉しそうだね」
 君は白い息を吐きながら、ずっと話し続けていた。一晩中しんしんと降り続けた雪が、わたしたちの町をいつもと違う景色に変えている。一面の銀世界に、君もどことなくそわそわと落ち着かない様子だ。朝のテレビではコートを着たお姉さんが寒空の下、今夜も雪が降ると教えてくれた。そのせいか昼間だというのにすでに薄暗く、重たい灰色の雲が山間にある小さなこの町を覆い尽くしている。
 わたしたちは学び舎を出ると浮足立つ気持ちを抑え、ゆっくりと校門に向かって歩いた。一歩一歩、その感触を確かめるように靴で雪を踏みしめる。校庭にはすでに何人かが駆けまわった跡が残されており、誘われるようにわたしたちもそれに倣った。すっかり積もった雪に足を踏み入れその深さに一喜一憂する。スニーカーはすでに中までびっしょり濡れていた。その痛いほどの冷たさと気持ち悪さすら可笑しくて、君と声を上げて笑う。
 やがて、楽しそうな弾む声は遠くなっていく。君はわたしのことなど気にも留めずにどんどん先へ進んでいく。雪と戯れるのに夢中でわたしのことなんか忘れてしまったのかと思うと、急に寒さが強まり顔が凍ってしまいそうになる。不安を払拭しようと焦るばかりのわたしは、想像より深く積もっていた雪に足を取られてうまく歩けない。
「ニャン太、待って」
 君は振り返り立ち止まり、泣き顔のわたしに気付き、声を掛けてくれる。
 君が返事をしてくれる。その事実が何よりも嬉しい。そのせいか、君の声を愛しく想うばかりでその内容はちっとも聞こえてこない。君がどんな言葉を発しているとしても、それがわたしひとりに向けられているという事実だけで、わたしは救われる。
 わたしへと駆け寄る途中、君はよろめいて雪に手をつく。それでも体勢を持ち直して真っ直ぐにわたしの元へやって来ると、よろよろとバランスの取れないわたしの手を掴んだ。
 その瞬間、頬が痛いくらいに赤く染まっていったのがわかった。
 ピンクの手袋に、君の細い指が重なる。どうして手袋なんかしているのだろう。ほんの少しの残念さを孕んだとびきりの嬉しさですぐにでも顔を上げたかったが、同時に恥ずかしさに顔を背けたくなる。だけど、今この時から目を逸らしたくはなかった。顔が赤いのは、しもやけのせいにしてしまえばいい。
「ニャン太、ありがとう」
 君は今にも溶けて消えてしまいそうな笑顔でわたしを見つめる。微笑み見つめ合う二人はきっと理想の恋人同士に見えるだろう。それが真実だったら、どんなに幸せだっただろうか。わたしは届くことのない想いを胸にしたまま、君に手を引かれて歩き出す。
 本当はありがとうに続く言葉があったのだけれど、君の笑顔を凍らせてしまうかもしれないことを思うと、どうしても言えなかった。

 寒さに震えて目覚めるわたしの隣に、君はもちろん居ない。
 ひとりきりの部屋、君との世界がまたひとつ消えた。
 けれど、わたしは知っているから焦りはしない。
 今夜になればもう一度君に会うことが出来る。
 君と一緒の時間を過ごすことが出来る。
 永遠とも思える大切な時間は、目を瞑れば必ずやってくる。
 生きているか死んでいるかもわからない想い人が夢に出てくる、なんて。
 ロマンチックかもしれないが、毎晩となるとちょっと異常かもしれない。
 きっと、あの頃の君がわたしの中で未だ息衝いている証拠なのだろう。
 囚われていると言っても過言ではないかもしれない。
 無意識の世界でわたしは君を求め続けている。

 スーツに着替えて出勤スタイルを万全に整える。
 部屋を出る直前、キャビネットの上に無造作に置いてあった一枚の葉書を手に溜息をつく。
 中学校の同窓会の報せだった。
 そろそろ返事を出さなくてはいけない。
 期限が迫ってくるほど、迷う気持ちが強くなる。
 君が来るとは限らないのはわかっている。
 それでも、友人伝いに君の話題にはなるだろう。
 現実世界で君の面影と会うのは恐怖だった。
 もし、君がすでに誰かと幸せになっていたとしたら。
 わたしは今まで大切に抱いてきた未来を、希望を、全部奪われてしまうだろう。
 そうだとしても。
 君が元気でいるかどうか。
 それだけでもいいから知りたい。
 そんな葛藤と戦っているうちに返信期限は過ぎ、葉書は毎年ゴミ箱行きとなっていた。
 都合の良い答えだけを求めるわたしは、今まで同窓会に行くことが出来なかった。
 返事を出すことすら出来なかった。
 今年も、来年も、その先もずっと。
 わたしはただ期限が切れるのを待つばかりなのだろうか。
 それならば。
 答えが出せないのならば、引っ越してしまえばいい。
 誰にも行く先を明かさなければ、同窓会の連絡は途絶えるだろう。
 逃げかもしれない。
 けれどもう、逃げるしかない。
 そして、そう。
 引っ越すのならば今度は猫が飼える所がいい。
「名前はニャン太にしようか」
 思い付きをつい口に出してしまい、苦笑気味の声がひとりきりのワンルームに響く。
 心の底から泣きたいくらい、わたしは君から逃れられない。
 これからもずっと幻想に抱かれて生きていけるのならば、それでもいい。

 一生、毎晩。夢で逢おうよ、ニャン太。


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文芸誌「窓辺」(URL) 委託-47(Webカタログ
執筆者名:笠原小百合

一言アピール
「窓辺」はWEBを中心に活動する文芸誌です。純文学、エンタメ、エッセイ、詩など幅広いジャンルの作品がサイトでは無料で楽しめます!今回のアンソロジー参加作品は文芸誌を代表して、編集長・笠原小百合の作品となります。
ニャン太に言えなかった言葉は、一生、わたしを囚えて離さない。

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