善人を食らう悪魔について。

最近なんだか妙な視線を感じる。特に、登下校中の一人になった時に。
ストーカーではないのかと友人たちは言っていたが、人につけられている様子はない。それに、私は見ず知らずの誰かにストーキングされるほど容姿に恵まれているわけでもなかった。
ではこの視線は一体なんなのか。一番に考えられるのはただの妄想だ。けれど私はそんな妄想癖はないし思い込みが激しいタイプではない、と思う。それに、
「まただ…」
視線を感じて振り向くと、背後にいたカラスがバサッと飛び立った。
いつもこうなのだ。視線の先には必ずカラスがいる。しかも一羽や二羽ではない。すぐ後ろで大勢のカラスがこちらを見つめていたときは腰を抜かすかと思った。
こちらを見つめているだけで何をしているわけでもないから、誰かに相談できるわけもない。きっとカラスがこっちを見ているんだと相談しても、気のせいだと一蹴されるだけだ。だから、ただ妙な視線を感じる、とだけ相談していた。
実のところ、私は視線の正体をこのカラスたちだと断定していた。しかし対処法も原因も分からないままではただただ気持ち悪いだけだった。
石垣から電線に飛び移ったカラスを見つめ返すと、カラスは首をかしげながらカァーと鳴いた。

ここ最近は、下校時間が遅くなると何が起こるかわからないから、用事があると言って部活を早めに上がらせてもらっていたが、大会が近くなってくるとそうもいっていられない。学校を出るころには時刻は八時を回っていた。
体を動かして疲れ切った私は、早く御飯を食べてお風呂に入って、温かいベッドで眠りたいという一心で帰り道を急いでいた。その急ぎたいという気持ちがいけなかったのかもしれない。いつも通る道より少しばかり早く家に着くというだけの理由で路地裏に入ってしまったのだ。
街灯の届きにくい路地裏は人気がなかった。月も雲に隠れている夜だ。皆大通りを通りたいに違いない。何故私は安易にもこの道を選んでしまったのか。
気付いた時にはすでに遅かった。遠くからカラスの鳴き声がしたような気がしてハッを周りを見渡すと、私はカラスの大群に囲まれていた。
ヒッを声を漏らし後ずさろうとするも、もちろん後ろにもカラスがいる。逃げ道がなかった。
私が混乱しながらも逃げ出す方法を考えていると、一斉にカラスたちが鳴き出した。耳鳴りに襲われたような感覚に陥る。
一帯を覆い尽くすカラスと鳴き声にどうすることもできず遂にしゃがみ込むと、ピタリと鳴き声が止んだ。
「あまりそのお嬢さんを怖がらせないように」
凛とした声が路地裏にこだました。その台詞から、このカラスたちを従えていることは明確なはずのに、私は誰かが助けに来てくれたのかと勘違いして、ほっとして顔を上げたのだ。
黒猫だった。艶やかな毛と鋭い眼を持った黒猫だ。その黒猫がカラスたちを脇に従えてこちらを見ていた。
「怖がらせてしまったかな」
黒猫が口を開いた。いや、猫が喋るはずがないのだ。空想の世界じゃあるまいし。
普通なら、というかそれこそ空想の世界では、猫が喋ったりしたら驚いたり興奮したりするだろう。けれど私は驚きよりも何よりも、ただただ気持ちが悪いと思ったのだ。
薄暗い路地裏でカラスに囲まれて気味の悪い喋る黒猫と対峙している。訳が分からなかった。お腹から喉のあたりまで何かが込み上げてきた。無理やり呑み込んで押さえつけたが、その時にぐ、と声が漏れてしまった。それを見て黒猫は嘲笑した。
「ぼくが気持ち悪い?それとも周りのカラスたちかな」
黒猫は尻尾をゆらゆらと揺らしている。機嫌がよさそうに見えた。雲に隠れていた月が現れ、黒猫を照らしている。神々しくも恐ろしくも見えた。
「な、に……」
そう声を絞り出すだけで精一杯だった。口を開けば体の中身が全部零れ落ちてしまいそうだった。脂汗が流れた。この気持ちの悪い状況から早く解放して欲しい。
「まずお礼を言わなきゃいけないんだよ、ぼくは」
お礼?黒猫にお礼を言われるような筋合いはない。けれどぐるぐる回るだけの思考の中で必死に考えて、思い出した。
黒猫だ。私はこの黒猫を一か月ほど前に見たことがある。いや、この黒猫なのかは定かではない。個体を識別できるほど私は猫に詳しくもないし見慣れているわけでもない。けれど私は確かに黒猫に会ったのだ。
先月の登校中に車に撥ねられ息絶えかけている黒猫を見つけた。撥ねられたといっても不思議なことに外傷はほとんど見られなかった。もちろんその分中の方は大変なことになっていたことだろう。
見た目がぐしゃりとしていればそのまま通り過ぎたかもしれない。いや例えそうでなくても普段ならさようならをしたと思う。けれど何故かその時の私はその黒猫を助けたのだ。
助けたといっても家に連れ帰って解放したとか、病院に連れて行ったというようなことをしたわけでなわい。ただ草むらの方に連れて行って持っていたハンカチを体に掛けてあげてだけだ。そのことで命が助かったとは思わなかったけれど、車や心無い人に死体蹴りをされることはなくなるだろうと思ったのだ。それに死に場所はコンクリートの上より草の上の方が幾らか報われるだろうと。
勝手な考えだ。ただの自己満足だ。善行をしたという気はない。だから、今の今まで忘れていた。
「思い出してくれたかな」
タイミングを見計らったかのうような黒猫の声。しかし、この黒猫があの時の猫だとすると、何故生きていて、何故喋っていて、何故私の前に現れたのだろうか。
後ろ二つの疑問に関しては、強引に考えれば、鶴の恩返しよろしく私のところに来てくれたのだと想像することもできる。喋る猫を目の前にしている時点でリアリティも何もあったものではない。
問題は何故生きているのか。
「ぼくは助からなかったよ。正確には、あの体は助からなかった」
私は何も言っていないのに黒猫は私の疑問に答える。見透かされている。もうその程度では不思議に思わなくなっていた。
「けれど君の行いは素晴らしいものだ。普通死にかけの動物が道路の隅に転がっていたところで大抵の人間は無視を決め込むからね」
黒猫はふんと鼻を鳴らした。
「しかし大抵の人間は、と言っただろう。全員が全員そうというわけではないんだ。君のように稀な人間もいる。そしてぼくはそういう人間を探しているんだ。ぼくは、ぼくたちは、憐れみを誘うような姿で君たち人間の前に現れ、助けてくれるような善良すぎる人間を見つけ出すんだ。この体はその為のガワにすぎない」
周りのカラスたちが同調するようにガアガアと鳴いた。黒猫がそれを尻尾を一振りして黙らせる。
「このカラスたちを使って君を監視していたよ。本当に善な人間なのかどうかを見極めるために」
根っからの善人というわけではなさそうだけど、まあ及第点だ、と。黒猫は笑った。気持ちの悪い笑い方だと思った。
嫌な空気が漂っていた。いや、それは路地裏に入った時からあったような気がするが、確実に濃くなってきていた。
私はようやく黒猫を助けてことを後悔し始めた。触らぬ神に祟りなしだったのだ。けれど私はそれに触ってしまった。
「ぼくたちは悪魔だ。善良な人間の魂を食らうことで生きる悪魔」
悪魔。聞きなれない、非現実的ともいえるその言葉。
黒猫は悪魔の象徴だ。昔からそう言われている。私は今日この日この時までそんな迷信を信じてはいなかった。
カラスだって、不吉の象徴だ。黒猫もカラスも、魔女の手下と言われている。そんなこと、少し考えれば分かることだったのに。
「ねえ、君は何故この世界は悪意に満ちているか考えたことがある?何故戦争が終わらないのか。何故犯罪は繰り返されるのか。何故いじめや嫌がらせはなくならないのか」
逃げ出したいという思いはもはやなくなっていた。胸のむかつきと眩暈に支配されまとまらない思考では、その問に対する答えをぼんやりと考えるだけで精一杯だった。
世界に蔓延る悪意について考えたことがないわけではなかった。多感な思春期を通っているのだから無駄に哲学的なことだって考える。もちろんその答えが出ることはなかったけれど。そういう風にできているんだと処分してしまった。
答えることのできない私に構わず黒猫は話し続ける。
「何故人間の悪意はなくならないのか。それは、ぼくたち悪魔が善意を食べているからだよ」
黒猫は舌なめずりをしたようだった。
「ぼくたちは君のような人間を探し求めているんだ。君は、無秩序な世界のための犠牲になるんだよ」
もはや黒猫が何を言っているかも分からなくなっていた。一度抑え込んだ吐き気が倍になって戻ってきていた。頭痛と耳鳴りもする。眩暈がどんどん酷くなっている。
もう立っているのか座っているのか、目を開けているのか閉じているのかも分からなくなり、そのまま私は意識を失ったのだ。

目を覚ますと真っ暗な部屋だった。けれど知らない部屋というわけではない。毎日寝起きしている自室だ。私はベッドの上に横になっていた。
嫌な夢を見たものだと体を起こしてそこで気が付いた。制服のままベッドに入っていたのだ。私はどんなに疲れていても外着のまま寝ることはない。絶対に部屋着ないしパジャマに着替える。それなのに制服のままだったのだ。
嫌な汗が背中を伝った。学校を出てからの記憶が一切ない。残っているのは気持ちの悪い夢だけだ。
状況を整理しようと思いベッドから足を出した瞬間、窓際からガタッという物音がした。
そこで体が硬直してしまった。
無理やり首を動かし窓の方に振り返ると、そこには一匹の猫のシルエットがあった。


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執筆者名:十一

一言アピール
現代ものやファンタジー中心に書いております。起承転結のない雰囲気小説や薄暗いお話しを好みます。

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