とある猫の半日

 私は猫である。気ままに、ほんのちょっぴり真面目に野良生活をしている。日向ぼっこして、週に何度か公園に行っては人間からのごはんにありつく、そんな生活をしている。最近野良保護と称して、定期的に世話をしたがる人間が多くなってごはんの心配はそこまでしなくてもよくなった。時折捕まえられて、病院に連れていかれるのが少々難点であるが、それを除けば、まぁまぁ過ごしやすくなった。
 今日もお気に入りの神社で日向に当たっていた。ぽかぽかと眠気を誘う陽気は素晴らしい。昔、家猫であった頃の、飼い主であったあの人に思いを馳せる。私がほんのちっぽけな子猫の頃から何かと面倒を見てくれた人。たまにイタズラをしては怒られたが、つかず離れずの絶妙な距離感で接してくれた。一人きりであの広い家に暮らし、最期はたった一人で行ってしまった。彼女の家族というやつは、薄情で猫に優しくないやつらだったので、当時、半野良半家猫として暮らしていた私は、やつらを見限って野良として生きることにしたのである。最後に色々と粗相をしてきたが、まぁ、そこはもう、関係ないことだろう。
 キャー、という黄色い声が聞こえる。む、もうこんな時間か。声のした方を見やれば、三人くらいのジョシコーセーという生き物がこちらを見て、近づいてくる。この時間になると神社で日向に当たっている私を見て、近づいてくるやつらが現れるのだ。
 彼女らは礼儀正しいものもいれば礼儀がなってないのもいる。今日は割と礼儀正しそうなのが来たようだ。ちらっと見やってあとは素知らぬ方を向いてやる。そう簡単に触らせてやらんぞ、という意思表示だ。
「キャー、今日はいたー」
「ふてぶてしいけどかわいいよねー」
 じりじりとゆっくり距離を詰めながらそんなことを言っている。ふてぶてしいとはなんだ。けだるげだと言ってくれ。
 もう少し手を伸ばせば触れられるという位置まで来て彼女らは止まった。かしましいが、礼儀正しい。これが礼儀がなってないやつだと、走って近づき、いきなり触り、あまつ抱き上げようとする。そんな時は来た段階で逃げるか、威嚇してみせるのだが、今日は大丈夫そうだ。小さな平たい機械を私に向けてカシャカシャと音を出した後、彼女らは満足そうにそれをしまう。
「撫でていい?」
 一人が私の鼻先に手を近づけながら言ってくる。少し匂いを嗅いで、他の猫の匂いがした。まぁ、いいだろうとした私は、尾をぱたんと、一回地へ叩く。それを見た彼女は嬉しそうに顔をほころばせ、私のあごの下を指で撫で始めた。
 ――これはなかなかのお手前。
 ぐるぐると思わず喉が鳴る。
「あ、ずるいー。私も撫でるー」
 もう一人近づいてきて、腹に触れる。やめろ、そこは好きじゃない。
「あ、行っちゃった」
 もう少し日に当たっている予定だったが、こうなってしまっては仕方がない。別の場所に移動しよう。
 日がだいぶ落ちてきた。塀を上り、どこかの家の庭を通り抜け、車が時折通る道路を急ぎ足で渡る。人間が私を見つける度に足を止めたり、声をかけてこちらの気を引こうとしたりする。それを全て無視して、次はどこに行こうか考える。神社はさっき行った。あそこの家はまだ人間がいる。さて、どこに行こう。公園にでも行こうか。足を公園に向けて夕暮れの道を行く。
 公園に着いた。いつも座っているベンチを見ると人間の女が座っている。どこか寂しげな様子でたまに時計を見上げている。こちらに気付いた様子はない。
 ――はて、どうしたものか。
 行くべきか、別の場所を探すべきか考える。その後、また移動するのも面倒だと思ったので、ベンチから少し距離を取って座り込んだ。
 早くどいてくれ、人間
 そう一声かけてみる。大抵はこれで退く人間は早々いないのだが、念のためである。これでそこのベンチから退いてくれれば万々歳だ。
「……猫?」
 人間の女がぱっと顔をこちらに向け、呆然とした声で言う。黒い服に白い脚を出して、足の先は黒で覆われている。呆然と私を見たその顔は目元が赤く、掻き毟ったのか、綺麗にまとめていたであろう髪はぼさぼさだった。
「どうしたの、猫ちゃん」
 少し涙声になりながら、彼女は私に声をかける。
 そこに座りたいから少しズレてくれ
私は再び訴える。そいて譲歩した。これで通じるとは思えないが、やらないよりマシだ。
「ここに座りたいの? ごめんね、今退くから」
 首を傾げて少し考えた様子の女は、私にそう問いかけ、ベンチから離れようとする。思ったより物分かりが良いらしい。素早く近寄ってズレてもらえるだけでいいと、少し間を空けて四足揃えてベンチに座った。再び座り直した女はこちらを見てぽつりと言った。
「……猫ちゃん、少し聞いてくれる?」
 仕方ない、聞いてやるか。了承の合図にパタンと尾を一回振ってやる。それで通じたらしく、ぽつりぽつりと彼女は話を始めた。語った内容の詳細は伏せておこう。人間の愚痴をいうものはあまりに長く、聞きづらい。簡潔に言うならば、女は色々あって疲れたのだ。忙しなく動くのは人間の性だと思うが、それにしても、状況だけ聞くに、彼女の周りは忙しなさ過ぎた。それに対して、彼女は対応しきれなかった、ということだろう。段々と感情を込めて彼女は愚痴を零す。それに対して、私は隣に座って聞き流しているだけである。
 どうも人間というやつは夕暮れ時に一人でいるともの悲しくなるらしい。これはあの人が言っていた。だからよく私は夕暮れになると、あの人の傍に寄って、撫でられるがままになっていたのだ。
 この女にそう易々と触らせてやるつもりもない。こういうのは信頼関係がものを言うのだ。猫に愚痴を言ってどうするのか、とお思いの諸兄もいることだろうが、これでいいのである。人間というのは何かが聞いていることが大切なのであって、内容は大したことなどないのだ。
 女の目から涙が零れ出る。その様を私は視界に入れながらも女の方を向くことはしない。じっと見つめることは敵対を意味する。まぁ、本音を言ってしまえば、静かに泣かれる分には別に構わないのだ。うるさいと面倒なのだ。手も出るし、何より、人間よりよく聞こえるこの耳は人間にとって小さな音もよく拾う。だから静かであればある程いい。本当はこの女もいない方がいいが、そこは許容範囲、よくあるトラブルというやつだ。だから私はそこにいるのにいないように振る舞う。この場合、それが一番なのだ。
「聞いてくれてありがとう。ちょっとすっきりした」
 女は晴れ晴れとした声でベンチから立ち上がった。足元に置いてあった鞄を手に取って、私の頭をわしゃわしゃと撫でる。あぁ、毛が逆立ってしまったじゃないか、どうしてくれる。まぁ仕方ない、さっきより元気になったようだし、許してやろう。
 少しだけ不満を出して、一鳴きしてやる。それに対して、女は笑って公園から出ていった。逆立った毛を綺麗に整えながら、空を見上げる。とうに日は暮れ、星が瞬きはじめていた。あくびをして体を伸ばす。どこからか美味しそうな匂いが漂ってきた。少しおなかが空いたような気がする。
 しばらくすると東から月が昇ってきた。満月だ。集会だ。猫の会議だ。さて、町外れの空き地に行こう。
 私は猫である。寂しげな人間にそっと寄り添ってやる、そんな猫である。


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月日亭(URL)直参 B-37(Webカタログ
執筆者名:香月ひなた

一言アピール
ファンタジーや現代ものなど、自分が書きたいものを書いていく、個人サークル。新刊は「天使」と呼ばれる人たちの短編集の予定。

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