片腕

 片腕を一晩かしてやろう、とあにが笑いながら言ったので、冗談だと思い、応、とうなづいた。肩からことりと右腕を外して差し出してきたのにはさすがに瞠目したが、それよりも差し出された腕の皮膚のなめらかなことと白いこと、そうして濡れたようにひかる爪のうつくしいことに視線は釘付けになり、そんなことはどうでもよくなった。
 一晩だけだよ、とあにはいたずらっぽく舌を出した。
「一晩たったら、つながらなくなっちゃうから」
 鬼の手だって七日は本体からはなれても元通りになるというのに、刀の腕というのはなんともけちなものだ。それでも、ほそい指を手首を、そしてやわらかい二の腕を、一晩借り受けられるのならば、こんなに幸福なことはない。
 胃の腑が重く熱っぽいままあにの腕を眺めていたら、あに本体の姿はみえなくなってしまっていた。
 とにかく、これをこのまま呆けたように抱いて突っ立っているだけ、というのはまずい。
 幼子が抱きかかえるように両手で落とさぬよう、いや外気に触れぬよう抱えていたら、すれちがった同胞に大根を抱えているのかとからかわれた。――大根! このうつくしいあにの腕を、大根とは。それでも大根のように白いということかとおのれを納得させて、自室に持ち帰り、寝台に畳んだ布団をていねいにひらいて、横たえた。布団からてのひらだけが頭のようにのぞいているのは不気味だと思ったが、それがあにの手ならば、関節に沿ったしわのひとつひとつすら愛おしかった。
 かりうけたあにの腕は、五本の指がゆるくひらかれていて、よからぬ気持ちになったけれど、不幸なことに真昼間で、それもこれから仕事があった。――補完ものに仕事を代行させることも考えついたが、仕事をさぼってあにの腕を舐めまわしている己、というのはさすがに矜持が許さなかった。
 半開きの手のひらにくちづけると、指先がかすかに震えた。まじめに仕事をしてきたら、それ以上のこともさせてやるという意味なのだろうと受け取って持ち場へ向かった。
 その日の仕事は書庫の整理だった。書物を書かれている内容で分類し、そのあと奥付に書かれた年代順に棚に収めてゆくという、力はいるが単純な仕事だ。あにの好きな空想科学の戦記物をみつけて、片腕で上製本をひらくのは難儀だなと思った。
 ――読んでくれ、とあにが言ってくれぬものだろうか。そうしたら何時間でも何日でも読んでやる。あにの尻の肉を腿の内側にぴたりとおさめて、ほそい腰を抱えるように腕を回して書物の頁を繰ってゆく。どれだけ息を殺しても、まちかくにあるあにの髪は吐息にゆれる。髪のあいだからのぞく耳殻の裏をまのあたりにして、平静を保てるだろうか。
 そんなことを考えながら、上の空で書物を仕分けるものだから同じ当番のものになんども苦情を言われた。仕分けた書物の装丁はおろか表題も、冊数、それどころか当番にあたったものが誰だったのかすら記憶にない。おぼえているのは便所に三回いったこと、そしてあにの腕でしようと考えていたことを、結句局、自分の手で全部ためしてしまったということだけだった。
 仕事から解放されて夕食のために食堂へ行った。はやい時間だったが年寄り扱いされている刀を中心に食堂は混雑していた。いつもはこれくらいの時間には食堂にいる、あにの姿を探したがみあたらない。片腕で食事をするのは難しいやもと気がかりだった。そうでなくともすこしぼんやりとしていて、おとうとの名さえ忘れてしまうようなあにである。片腕のないことを忘れて盆をとりそこね、ひっくり返しでもしていたら、またほかの刀たちの手をわずらわせてしまうことになる。
 それになにより、一箸一箸たべものを口に運んでやりたかった。鳥の子のように口をあけてちょっと突き出した舌に吹き冷ました白飯をのせてやるのは、脳裏にえがくだけでどうにかなってしまいそうだった。
 あにを探して視線を泳がせ、皿の上のものを箸でつつきまわしているだけの膝丸を、同胞たちは具合が悪いのなら寝ろと心配した。腹の調子が悪くてな、とその場しのぎに取り繕ったが、腹を下す刀など聞いたことがない、――まあ、腕がはずれる刀なんていうのも聞いたことがないが存在したし、腹を下す刀もあるだろうと自室に戻った。
 あにの片腕は部屋を出たときと同じように寝台の上にあった。手のひらをうえにむけてゆるくひらかれた指は、部屋の灯りの中で真珠のようにうっすらと爪を光らせていた。
 指をからめる。じぶんの指の股をとおって天井に向いている細い指。きゅっと力をこめると、手の甲が反るのがわかった。あにの指の股と己のそれが隙間なく接していることと、手のひらの皮膚がこすれあう疼きのようなかすかな熱が頭の芯をぼうっとさせた。あにの手に頬を撫でられるとき、いつもこんな気分になる。頬だけでなく皮膚だけでなく、この身の境界の曖昧なところに触れられたいと。
 くちづけようと唇をよせると、わずかに指が動いたような気がした。下唇の粘膜が、あかみのすくない指の腹をなでた。――昼間はもっと、望んでいたことがあった。このほそくうつくしい指をくちびるのおくにさしいれて、無味であるがゆえにかたちだけをまっとうに理解し、おのれのうちがわのどこまでなら到達させられるのかを知ろうと思っていた。この手で自身の体表をひとつひとつ検分し、この指によって知覚させられるおのれのかたちを知ろうと思っていた。それから――。
 それから、どうしようというのだ。
 この手を、骨が軋むほどに握りしめることすらできぬおれは、どうしようというのだ。
 結んでいた指を強引にほどく。おとうとの他愛ない握力に反っていたあにの手は、またゆるくひらかれて寝台の上にあった。布団がずれて肘のあたりまであらわになっているのを、そうっと引き上げて手首まで隠して、部屋のあかりを落とした。
 床に横になると、さっきまで熱を帯びていたからだが急速に冷えてゆく。さむいな、と思ったが、あにの腕と供寝をするのも、あにの腕から布団をはぎ取ることもできない、と思った。
 じぶんより少し高いところに、あにの腕が、あたたかな絹の布団にくるまれてあることがなによりも尊かった。目を閉じると、眠りがおとずれるのはすぐだった。

   ***

 耳元でさらさらと音がして膝丸は目を覚ました。寝ぼけて焦点の定まらぬ目は薄闇と白い色をぼんやりととらえるばかり。まぶたの裏にまだ眠気がしこりのように残っていて、目をひらいてもすぐにとろんと伏せられてしまう。まだ眠っていてもいい時間だ。今日は非番だし、あにも非番のはずで、だから寝坊の心配をしてやる必要もない。
 寝なおそうとする瞼を、そっとおさえつけられた。からだの、それも顔面の一部を押さえつけられたままでは寝るに寝られんと掴んで退けようとすると、指をからめとられ、それが己のものと同じかたちをした手であることに気づく。慌てて飛び起きるとあにがいて、おはよう、と言った。
「ええと、おとうとの……」
「――兄者、なにをしておるのだ」
 寝覚めで名をどわすれされていたことに泣きそうになりながら問いかけて――片腕を借りていたことを思い出した。腕、とつぶやくと、もう返してもらった、と絡めてつないだ手を軽く引っ張ってみせる。
「腕をかえしてもらおうと思って部屋に来たら、おまえが床で寝ているものだからおどろいたよ」
 さむくなかった? と問われた己の身は布団の中にあった。
「そんなにも気を使わなくてもよかったのに」
「いや、……その、……なんだ」
 まごまごと言葉を濁しているとあにの顔がすぐ近くにあった。いつものやわらかい微笑で、ん? と首をひねるのでけっきょくつづけるべき言葉もないままに黙りこみ、答えのかわりに手を握りかえす。晩とは違ってあにの手はおとうとのそれをきゅうと握り返してくる。甘えるようにすこしひっぱると、
「うんうん、そうか、そうだよねえ」
 と、おおらかにうなづいて布団の中に這入りこんでくる。
「あ、兄者、」
「ん?」
「おれは今日、非番なのだ」
「ぼくも」
「腕ではいかんのだ」
「ぼくもそれは、同感だなあ」
 頭まで布団をひっかぶり、闇の中でひたいを重ねてふたりは笑った。


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サークル名:PaperNautilus(URL
執筆者名:孤伏澤つたゐ

一言アピール
刀剣乱舞・あんさんぶるスターズの二次創作本などつくっています。「片腕」はテキレボ4当日発行予定の刀らぶファンブック(渡辺綱×髭切)「いばらの橋」に収録の短篇です。

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片腕” に対して2件のコメントがあります。

  1. 浮草堂美奈 より:

    えろい! スゴくえろい! 腕というものの官能性スゴいです! 指をからめているくだりが特にえろい!

    1. つたゐ より:

      こんにちは。コメントありがとうございます……!書きたくて書きたくて勢いだけで書いてしまったものですが、読んでもらえてとてもうれしいです~!

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