お菓子を巡る物語

 たっぷりの水に一晩浸しておいた、粒の揃った黒赤色の小豆を電気コンロにかける。沸騰したところでコップ一杯の水を加え、もう一度煮立ったらザルに上げて渋切り。指で軽く潰れるようになるまで電気コンロの温度加減を調節しながらもう一度鍋で煮た小豆を、蘭はそっとフードプロセッサの中に注ぎ込んだ。流動状になる三歩くらい手前で機器のスイッチを切り、中身を晒し布で作った袋に入れて水気を絞れば、生餡のできあがり。
〈ずいぶんと、楽になったものね〉
 砂糖を混ぜ込む為に、できあがった生餡を再び電気コンロの上の鍋に戻しながらにこりと微笑む。蘭の家の側を流れる小川に、小さな流れでも軽く回る羽根を備えた小さな発電機を据え付けてもらってからは簡単に、電気で動く機器を使って料理をすることができるようになった。『谷』の西側、『茜沢』と呼ばれる地区に一人暮らす蘭の家にあるのは小さな冷蔵庫と電気コンロ、そして更に小さな二、三の機器だけだが、それでも、食料の保存に気を使ったり、煮炊きするために薪を割ったり火加減の調整に手間取ったりしていた一昔前よりは格段に、調理が楽になったことは確か。特に、煮た小豆や水に浸した雑穀を潰したり砕いたりするだけではなく、野菜や魚を好きな細かさに刻むこともできる『フードプロセッサ』という調理器具が使えるようになったことは、正直とても助かっている。洗う為に汚れた機器を分解しながら、蘭はそっと、小さな機器をその小さな手で撫でた。
「最近、手を抜き過ぎているのではないか、蘭」
 責めるような、揶揄するような声が不意に、蘭の脳裏に蘇る。五日ほど前、今日のようにして作成したおはぎを、『谷』の守護者である『大巫女様』のところへ持って行った時に言われた言葉だ。高く響くその声を掻き消す為に、蘭は小さく唸り、そして唇を尖らせた。
 それは、千年以上昔の話。人々とは異なる『能力』が故に故郷を追われた七人の兄弟が見つけた安息の地。それが、蘭が一族とともに穏やかに暮らすこの『狼谷』。七人兄弟の血を受け継ぐ、『谷』に暮らす一族には現在でも、必ず一つ以上の能力を持つ子供が産まれてはいる。だが、時代の変化なのだろう、昔は大勢居た、『谷』の一族の能力を利用しようという輩は、最近はほぼ現れていない。七人兄弟の末子であり、『予知』の能力者でもあった『大巫女様』の庇護の下、『谷』には、かつてないほどに平穏な日々が続いていた。
 別に、手抜きをしているとは思わない。汲み置きの井戸水でフードプロセッサを綺麗にし、作った生餡に砂糖を混ぜながら、何度も深い息を吐く。蘭のように『不死身』で『不老不死』の能力者ならともかく、普通の人の時間は有限なのだ。時間の短縮ができるところは短縮した方が、余った時間を他のことに利用できるから良いのではないだろうか? その余った時間で、今は平穏なこの『谷』を平穏なままにしておく方策を練ることも、できる。自分の結論に、蘭は一人胸を張って頷いた。
 そうだ。ふと思いついて、戸棚から新しい小豆を取り出す。その小豆を再び水に浸してから、蘭は今度は戸棚から蕎麦粉を取り出し、湯に溶かした米飴で溶き混ぜた。今日作った餡は蕎麦粉の餡巻きにして、畑仕事をしている『谷』の一族みんなで食べよう。そして明日は。水に浸した小豆に、蘭は小さく口の端を上げた。

 次の日。
 予定通り、蘭は、水に一晩浸した小豆を昨日と同じように電気コンロで煮た。
 昨日と同じように、指で軽く潰れるほどに柔らかくなった小豆を半分に分ける。半分は、昨日と同じようにフードプロセッサで潰す。そしてもう半分は。納戸から出して綺麗に埃を払っておいた漉し器に豆を乗せると、蘭は昔と同じ方法で丁寧に、小豆から皮を取り除いた。
 潰した餡も、漉した餡も、布袋に入れて丁寧に水気を切ってから、再び電気コンロにかけて砂糖を混ぜる。もちろん、二つの餡が混ざらないよう、気を付けることも忘れない。そうしてできた餡はどちらも、一目では見分けがつかない、美味しい餡。できあがった餡を冷ましている間に、全粒粉と砂糖と重曹を水で溶き混ぜてこねる。できた生地で小さく丸めた餡を包み、蒸し器で蒸せば、甘い饅頭のできあがり。
「さて」
 作業台の上に並んだ、見た目は寸分違わない、潰し餡が入った饅頭と漉し餡の入った饅頭を見比べ、口の端を上げる。この二つの区別が、大巫女様にできるか。そこまで考えた蘭は、しかし不意にあることを思い出し、思わず床に頽れた。
「あ……!」
 既に死人の一人である大巫女様は、食べることができない。蘭が時折捧げる自家製の菓子も、蘭が大巫女様の前で代わりに食べてみせるだけ。食べてもらうことができないのだから、大巫女様が二つの餡の区別ができるかどうかを知ることは、できない。忘れてた。自分の迂闊さに、蘭は頭を抱えて呻いた。
 この饅頭は、どうしよう。そっと顔を上げ、作業台の上の饅頭を見やる。大巫女様のために作ったものだから、一応、捧げに行くか。肩を落として息を吐くと、蘭は自分の思考を大巫女様に悟られないよう、口の端を上げる練習をしながら饅頭を無作為に小さな重箱に詰めた。


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サークル名:WindingWind(URL
執筆者名:風城国子智

一言アピール
不老不死で不死身の少女蘭ちゃんの和風冒険綺譚「狼牙の響」より、ほのぼの(?)とした現代風掌編を書きました。普段は西洋中世風、ちょっと切なめファンタジーを書いております。

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