甘いものが好き

「そういえば南雲なぐもさんは、和菓子はお嫌いなのですか?」
 いつだって、待盾まちだて署刑事課神秘対策係は暇である。
 かたかたとキーボードを叩き、盗犯係から回されてきた事務書類を猛スピードで片づけながら、八束結やつづか・ゆいはモニタの向こう側で背中を丸めている南雲彰に問いかける。
 今日も今日とて、仕事場を趣味の作業場と思い定めているらしい南雲彰なぐも・あきらは、ピンクの裁縫箱から取り出した糸で、手元の布に刺繍をほどこしていたが、八束の問いに手を止めてつるりとしたスキンヘッドを傾げた。
「どうして?」
「いえ、普段から、ケーキやプリンなどの洋菓子を食べていることが多いなと思いまして」
 実際に、南雲の手元にはプリンのカップと銀のスプーンが置かれている。彼の最近のマイブームはプッチンプリンらしく、机の上では南雲作のやたらかわいらしい顔をした色とりどりのぬいぐるみに囲まれ、現在進行形で超高層プリンカップタワーが建設されつつある。
 ついでに、対策室の冷蔵庫もプッチンプリンに占拠されている。頻繁に冷蔵庫を使うのは南雲くらいなので八束は何も困ってはいないのだが、マイブームとなるとそれしか食べなくなるのはどうなのだろうか。全く同じプリンだけが整然と並べられている冷蔵庫は、なかなかシュールだ。
 ただ、以前それを指摘したところ、南雲は常日頃から眉間に刻んでいる皺を三段階深め、隈の浮いた目を限界までつり上げ、いつも飄然としている彼には珍しく、地を這うような声で言ったのだった。
『三食カロリーメイトとサプリメント、冷蔵庫がミネラルウォーターオンリーのお前だけには、言われたく、ない』
 以来、その件には触れないという暗黙の了解が成立している。お互いに幸せになれないことがわかってしまったから。
 ともあれ、南雲が対策室で和菓子を食しているところを、八束はほとんど見たことがなかった。そのため、和菓子が苦手なのかと思っていたのだが、南雲は首をゆっくりと横に振った。
「そんなことはないよ。単純に、入手の機会が多くないだけ」
「そうですか? 南雲さんが通っているコンビニでも、大福や羊羹などは売っていると思いますが」
「うーん、つい洋菓子の方に目が行っちゃうんだよね。だから、比べるなら洋菓子の方が好きってのは間違いじゃないかな。でも、和菓子は和菓子で好きなんだよ」
 言いながら、糸切り鋏で刺繍糸を切る。少し首を動かして南雲の手元を見れば、薄青の布の上には、かわいらしいアザラシが一匹泳いでいた。なかなか涼しげなデザインである。
「八束は、和菓子好き?」
「そうですね。実家では和菓子が多かったので馴染みがあります。季節ごとのお菓子、素敵だなあと思っていました」
「あー、めっちゃきれいなのあるよね。ああいうの、食べるのもったいなくなっちゃう。きれいで美味しいって最高だよねえ」
 うんうん、と頷く南雲は相変わらず仏頂面ではあったが、その声音から判断する限り、今まで味わってきた数々の和菓子のことを思いだし、悦に浸っているようだった。
 この男は、どうも人並みの表情を作るという能力に欠けているらしく、いついかなる時でも不機嫌そうな面構えをしている。その反面、気難しそうに見えて、率直に感情を表現するタイプではあるので、八束でも声や仕草を見ていれば機嫌くらいは判断できる。
 とはいえ、係長の「仕事しろ」という切なる視線を完全に無視して刺繍とプッチンプリンタワー建設にいそしんでいる辺り、ある意味で極めて気難しい人間であることは確かだ。何故現在に至るまでこの男が首を切られていないのか、八束はいつだって不思議に思っている。
「そうそう、和菓子で思い出したんだけど、駅の近くに甘味処ができたらしいよ」
 あんみつ、みつまめ、おしるこ、ぜんざい。わらび餅に、よもぎ餅。
 南雲はどこか夢見るような口振りで、甘味の名前を並べ立てる。
 言っているのが年若い少女であるならば微笑ましいものだが、残念ながら八束の前に座っているのは、スキンヘッドに人を殺していそうな面構えをした三十二歳男性である。
 八束は既に南雲の言動にも慣れてしまっているが、仮に南雲を全く知らない人間がこれを聞いたら、きっと己の目と耳を、次に南雲の実在を疑ったに違いない。その程度には、南雲の言動はちぐはぐ極まりなかった。
 てれん、と机の上に腕を伸ばした南雲は、顎を天板につける。それから八束を上目遣いに睨んで言う。
「ねえねえ、八束ぁー」
 その猫の鳴き声めいた響きに、全力で嫌な予感を覚えながらも、一応聞き返してさしあげる。
「何ですか」
「俺、急にあんみつ食べたくなっちゃったー。俺のおごりでいいから食べに行こうよー」
「仕事中です南雲さん」
 南雲の悪癖が始まった。いや、正確には今に始まったことではないのだが。奥で淡々と書類を捌く係長・綿貫栄太郎わたぬき・えいたろうのじっとりした視線を感じながら、きっぱりはっきりと言い切る。
「無理に仕事をしろとは言いません。南雲さんに何を言っても無駄なのは、何となくわかってきましたから」
「まだ『何となく』なの?」
「そこを言い切ったら負けだと思っています」
 そこは、八束の、なけなしの意地というやつである。
「しかし、せめて終業時間までは対策室にいてください。仕事をサボっている姿を見られるのは、よいことではありませんので」
「えー。いいじゃんどうせ暇なんだしさー。八束だって食べたくない? 甘いの」
「残念ながら、わたしは暇ではありません」
 神秘対策係の仕事でない、と言われたらそれまでだが、盗犯係や強行犯係に任された事務作業もれっきとした仕事であることには変わりない。
 しかしながら、今にもそわそわとして席を立ちかねない南雲を見ていると、こちらまで落ち着かない気分になってくる。このまま南雲を牽制しながら仕事をするのは、なかなか面倒くさい。
 仕方なく、ため息と一緒に言葉を吐き出す。
「わたしも、仕事が終わったら付き合いますから」
「ほんと?」
 きらり、と。黒縁眼鏡の下の瞳が、鋭く光ったような気がした。
「言質取ったよ?」
「はい。わたしも、あんみつは気になりますので」
 八束とて、甘いものが嫌いなわけではない。むしろ好きだ。
 実を言えば「好きである」ということ自体、南雲と働くようになるまでは意識したこともなかったのだが。
 八束にとって栄養摂取の意味しか持たなかった「食べる」という行為が、心から楽しめるものであるということ。好きや嫌いで語れるものであること。それを教えてくれたのが、南雲であった。
 ――それがよいことであるかは、未だ、八束にはわからないままであったけれど。
 それでも、南雲が嬉しそうに「やったー」と言ってくれたことで、八束も何となく、あたたかな心持ちになるのだ。
「しかし、今日は持ち合わせがありませんので、おごっていただけますか?」
 先ほどおごってくれると言いましたよね、と確認すると、南雲はまぶしそうに目を細めた――ように、見えた。
「もちろん。男に二言はありませんよ」
 
 その不思議な表情が、南雲なりの笑顔である、と八束が気づくのは、もう少し先の話。


Webanthcircle
サークル名:シアワセモノマニア(URL
執筆者名:青波零也

一言アピール
:「幸せな人による、幸せな人のための、幸せな物語」をモットーに、ライトでゆるい物語を綴る空想娯楽屋。不思議に満ちた架空都市の現代もの、終末世界に生きる人々の群像劇など、SF風ファンタジーを中心に取り扱っています。今回はなんちゃってミステリ『時計うさぎの不在証明』の番外編をお送りいたします。

Webanthimp

甘いものが好き” に対して1件のコメントがあります。

  1. 浮草堂美奈 より:

    甘いおかしが大好物の強面かわいいけど、カロリーメイトばっかり食べてる八束ちゃんもかわいいです!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください