和服を着たベルギーの少女

「トラジローと呼んでくれ」
 彼はそう言い、笑った。
 名前は児島虎次郎。日本人の画家。
 名のある存在らしいが、ベルギーの美術学校に西洋画を学びに来ていた。
 私はモデルとして雇われた。
 何年か前にパリで行われた万国博覧会。
 日本からも出品し、かの国の文化は大人気だった。
 それはここ、ベルギーの片田舎でも知れ渡っている。
 私は興味がわき、モデルを引き受けようと思った。

 ちなみに、フランスの著名な画家、モネやルノワール、ゴッホなどはその刺激を受けた。
 作品に日本の道具を取り入れているらしい。

 トラジローと対面し、しばらく話し込む。
「ところで、これを着てくれないか?」
「何? これ」
「Japanese traditional dress」
「ごめん、私英語わからない」
「日本の伝統的な衣装。めでたいときにしか着ない日本式のドレスさ」
 渡された衣装をつかむ。
「……?」
 腕を通すところはわかる。
 でも、これ、前が空きっぱなし。
 留めるためのボタンも無いし、ぶかぶか。
 裾は床に這っている。
 王侯貴族のドレスより丈が長くて、歩きにくそう。
 トラジローは戸惑う私をよそに、棚に近寄り、
「ここにこれを置こう」
と、鞄から人形を取り出した。
 日本から持ち込んだものだろうか。
 黒髪に赤い服、黒の上着を羽織っている。
 おっと、これも。
 今度は器を置いた。白地に青の花柄。
「ねえ、トラジロー」
「ん?」
「これ、どうやって着ればいいの?」
「ああ、着物ね」
「キモノ?」
「着るものだから、着物。動かないで」
 トラジローは素早く動いた。
 腰の辺りで布を織り込み、仮止め用の道具で布地を止める。この時、裾は踝辺りまで縮められていた。
 そして腰には太め……腹全体を覆うような帯を巻き、背中で調整した。
「日本のドレス、横から包むのね」
「そうだよ」
「髪は?」
「日本式にしてみるか。これでまとめよう」
 トラジローは背後に回り、髪を結う。このとき使ったのは、大き目の真っ赤なリボン。
 髪を結んだ後、私の首からリボンがはみ出し、不必要な主張をしているようで、妙に目立つ。
 でも、私は自分の体に目を落とした。
 基本の色は紫。
 でも、白や赤を中心とした刺繍が冴え渡っている。
 裁縫が下手な私でも、それがとても緻密で、繊細な作業の果てに出来上がっているものだとわかるから。
 生地は上質の絹。
 仕立も一流。
 動きを制限することもなく、肌を必要以上にさらすこともない。
 日本人は私たち以上に、慎みを重んじるらしい。

 私は聞いてみた。
「どうして、ここに来たの?」
「ん?」
「だって、日本文化は人気があるもの。パリでの博覧会でも、あれだけ皆を魅了している。今着ている服だってそう。こんなにいいものを作るのに、どうして、ここに?」
「日本は、国際社会の新参者だからさ」
 日露戦争において、ロシアのバルチック艦隊に勝ち、旅順を陥落させたおかげで、現在は世界の一流国の仲間入りをしている。
が、それ以前……日清戦争まではアジアの小国としか知られていなかった。
「今の国体ができたのは1868年。今は1911年。五十年も満たない。だから、我々は海外から学ばなければならない」
 カンバスをイーゼルに置き、椅子に座る。
 既に絵を描く用意はできていた。
「それに、我々は過去、諸外国から色々と学んで来た歴史がある。そこから、日本の風土に合うように作り変えてきた。今、君が着ているものだって、何年もかかって、その形になったんだ。君たちヨーロッパの人たちだってそうだろ? ここでも古くからの建物や道具をだいじに使っているじゃないか」
「もうおなじみになっているからね。変えようとも思わないわ。でも、それだと日本古来の文化を貶めることにならない?」
「?」
「諸外国から学んできた、ということは、国外のものをありがたがる人ばかりにならないかって」
 トラジローはにやりと笑った。
「確かにそんな奴等もいる。だが、奴等も日本人なんだ。魂とか、その人の芯となっているものは、変わりはしないさ」
 このように、日本が独自に育ててきた文化、それを総称して『和』なのだと、トラジローは説明した。
「まあ、これは自分で勝手に言っていることだけど」

 それから、トラジローは私に日本のことを話してくれた。
 春。
 桜の花が咲き、その下で酒を飲み、食事をし、歌う。
 女の子の成長を願う桃の節句に、男の子のための端午の節句。その日は桜の葉、柏の葉で包んだ餅を食べるのが風習だと。
 日本の主食である米。その苗を植えるのが春。男たちは笛を吹きながら水の張った畑を踏み、土をほぐす。そして、女たちはリズムよく、米の苗を植える作業を行う。
 土地に伝わる歌にあわせての仕事は、一種の祭みたいだといっていた。
 夏。
 農作物の豊作を願う祭り。
 日本にはギリシャ・ローマ神話みたいに、たくさんの神がいるそうだ。でも、その神も庶民に寄り添うように、御輿に担がれ、その土地を練り歩く。
 笛や太鼓の音色に合わせて人々が踊り、出店が出る。
 あるときには、先祖の霊が返ってくるからと、その間だけ仕事を休み、一族が集まって供養を捧げるそうだ。そして、太鼓のリズムに合わせて、土地のみんなと、土着の音楽に合わせて踊る。
 こちらでいうハロウィンみたいなものだろうか。
 僧たちも、この時は祈りを上げるのに忙しいらしい。
 それだけではない。
 七月の夜空に、笹に願い事を書いて吊るすと願い事が叶う、という風習もある。
 同じ頃、海では塩を作るための作業が忙しくなるらしい。
「海?」
「うむ。日本は海に囲まれている」
「何? それ」
「塩辛い水がたまっている大きなものだ。その海を渡って、色々な国とつながっている。私はその海を船で渡って、フランスまで来た」
「ベルギーには、ないわ」
「内陸国だからな。フランス、オランダ、イタリアにはある。いつか来てみるといい。海は広い、それ以上に、世界は広いぞ」
「いつか、行ってみる」
 秋には、農作物が実る。
 農民たちは、その度に土着の神に感謝し、祈りを捧げる。
 秋の節句は、死者のためのものだった。
 米をつき、ひとにぎりの塊にして、あんこで包む。
 あんこというのは、小豆を茹でた後、砂糖を混ぜて作った食材。米の塊をあんこで包む、あんころ餅、または、おはぎを食うのが習慣なのだと。
 その後、豊作を感謝してのお祭り、秋祭りというのが行われる。
 あるとき、トラジローの地元の神社で能が行われた。
 日本に伝わる伝統芸能で、わずかな動きとむせび泣くような声で唸りながら、最小限の動きで、その時の状況と心境を謡う。
 これは歴史上の人物が、そのときの状況を謡い、見ているものにも夢うつつの幻覚を見せるというもの。
 舞台は木作り。
 そして、照らし出すはずの明かりは篝火の炎だけ。
 演者は、暗がりの中、炎だけを頼りに舞う。
 その姿が揺らめき、姿が幻想と見間違えないかと思ってしまうほど、不思議な景観。
 秋は月がきれいで、ススキの穂と団子を作って、月を見ながら過ごす。
「日本人って、お祭り好きね」
「かも知れぬな」
 冬。
 夏は暑くて、冬は寒い。
 それでも日本の人たちは、くじけずに暮らしている。
 人々は無理せず、自然に任せるようにして生きていた。
 冬はできるだけ働かず、秋までの実りを頼って、その貯えで生きている。
 日本にも雪が降る。
 子供達はその雪をありのままに受け入れ、色々と工夫を加えた遊びにしてしまう。
 かまくらとか、そうかな。
 雪を積み上げて、家みたいにしたら、案外暖かいみたい。
 そして、年末から年始。
 一年の汚れを家から落とし、その年の仕事も終わらせて、新しい年を待つ。
 寺院で鳴らされる鐘を聞き、欲望を払い落として、静かな気持ちで過ごす。
 新しい年を喜び、おせち料理という特別な料理を食べ、お年玉をもらう。
 新年を祝う時間が過ぎたら、仕事始め、そして、その年の健康を願って、薬草を混ぜた飯を食らう。
 春の七草といったか?
 歌にも残っている。
 セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・ススシロ・春の七草。
 秋の七草の歌もある。
 ハギノハナ・オバナ・クズバナ・ナデシコノハナ・オミナエシ・またクズノハナ・アサガオノハナ。
 実に、自然の流れと一緒にいる民族だと知らされた。
 絵が完成するまで、日本のことを話してくれた。

 日本に行ってみたくなった。
 素晴らしい文化が育っている土地みたいだから。

 しかしその後、日本は第二次世界大戦に参戦。
 アメリカにひどくやられ、二度と立ち上がれないほどになったと聞く。
 日本に行くことが延び延びになった。

 戦後、時間がたった。
 私は結婚し、子供が育ち、孫まで授かった。
 老齢に達した私は家族に、ひとつ、わがままを言った。
 日本に行きたい。
 昔、トラジローが語ってくれた国を、実際に自分の目で見てみたかった。

 児島虎次郎。
 彼の作品はクラシキのミュージアム・オブ・オオハラに飾られているらしい。
 入ってみる。
「あっ」
 思わず声に出してしまった。
 あの時の、私をモデルに描いた絵が飾られていた。


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サークル名:侍カリュウ研究所 サイト等なし
執筆者名:迫田啓伸

一言アピール
弱小サークルですが、よろしければ覗いてやってください。

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和服を着たベルギーの少女” に対して2件のコメントがあります。

  1. 服部匠 より:

    素直に日本文化に触れてくれたモデルの少女との心温まる交流が、時を経て繋がるところにほろっとしました。

  2. 浮草堂美奈 より:

    日本の四季の説明がとても美しいです。

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