ポニーテールとループタイ

 金沢・長町武家屋敷エリアで営業する喫茶「ないと」。古い町家を改装して作られたその喫茶店の続き間は陶磁器を売る店。
「建物全体が伯父の持つお屋敷なんです。藤川さん」
 なにげに尋ねた俺に「ないと」のウェイトレスである彩葉いろはさんはそう教えてくれた。
「最初はお店の人たちや、伯父が奥の座敷で接待するときの食事を作ってたのですけど、それだけではちょっとやだなって」
「それで喫茶店に?」
 俺の言葉にこくりと頷く彼女。他意がないのは知っているが、俺だけにそんな笑顔を向けられたら脈があるかもと勘違いしてしまうではないか。
 邪念を振り払うように慌てて珈琲を飲む俺の背後で、からんからんと扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
「よーぅ、彩葉ちゃん」
 聞き覚えのあるテンプルにカチンと来る背後からの声に、俺は珈琲を吹き出しそうになる。
「お、来てたのか、洋祐くん」
「……三鷹……」
 声の主は予想通り俺の天敵らいばる。だが、振り返ってその姿を見た俺は、飲み込んだはずの珈琲を改めて吹き出しそうになった。
「何だ、その格好は……」
「え? 似合うだろ」
 淡いグレーの羽織の下に漆黒の着物。しかし、そのまま足元に目線を落とせば着物と同色のスラックス。
「着物スーツっていうんだぜ。和と洋の融合の街・金沢で働く男ならこれだろ」
「そ、うなのか……?」
 初めて知った。ていうか、お前いつの間にこっちで働いてるんだ。東京に住所があるんじゃないのか。
 俺の疑問など知る由もなく、三鷹は当たり前のように俺の横のカウンター席に座り珈琲を注文する。そして誇らしげにニンマリと笑うものだから嫌気が差してきた。
 ほんとおおおおおおおおおに、こいつが嫌いなのだ。本当は顔も見たくないし、ぶん殴りたいし、俺の元カノを寝取ったかと思えばさっさとポイ捨てしてたって言うし、しかも捨てられた後でも元カノはこいつのほうがまだ素敵とか言い出すし、本当に消えろ。今すぐ消えろと金沢の隅々に知れ渡る声で叫びたい。そして、仕事とはいえ彩葉さんは可憐な笑顔をこの最低男に向けているものだから、怒りと同時に俺自身が情けなく感じる。単なる引け目だと言われればそれまでだが。
 ふっと嘆息し、俺は席を立つ。トイレで頭を冷やすために。

 用を足して落ち着いたところで元の場所に戻ったつもりだった。が、「ないと」があるはずのドアの向こう側には、ずらりと並べられた食器の数々。
 間違えて、続き間の陶磁器屋の入口を開けてしまったらしい。トイレは共用でありなおかつ建物は入り組んでいてわかりにくい。似たような扉がいくつか並んでいるのに、どこが何につながっているか書かれていないのだ。
 そのまま固まってしまった俺に気がついた、和服の女性が声をかける。ゆっくり見ていってくださいね、と手招きするものだから、俺は「間違えた」というタイミングをなくしてしまい。
「隣のお茶処で使っている食器も、全部九谷焼でして……」
 そのまま店員さんらしき女性の解説をふんふんと聞くはめになったのだ。とはいえ、これも何かの運命なのかもしれない。どうせまだクソ三鷹はいるわけだし。
 しばらくして、店員の女性も一礼して去っていく。俺は独り、店内をグルグル回ることにしたのだった。

  = ◆ =

 とある棚の前で目に飛び込んできたのは。
 背の高い女性。細面に憂いを浮かべた微笑み、長い黒髪を無造作に頭の上でひとまとめにした彼女は、棚の中の小物を前にあれこれと思案しているようであった。
 彩葉さんは割とふんわり天然系だと勝手に思っているが、この彼女はどちらかと言うと理智的な雰囲気をまとっている。端的に言えば、好みのタイプだ。商品を選んでいるふりをしつつ、ごくごく自然に彼女の隣に立つ。すると彼女は気づいたらしく、こちらを見るなり軽く会釈をしてくれた。
 しかし、こうして並ぶとよくわかるが、俺と同じ目線に女性の瞳があるのはなんだか不思議である。俺自身、決して背が低いわけではないのだから。もちろん、女性の価値は身長で決まりはしないのでだからなんだと世界であるが。
 彼女がしきりに選んでいるのは、どうやらループタイのようである。九谷焼で作られたループタイなど初めて見たが、よくよく考えなくても普通に商品としてあるだろう。色絵の技法で作られた虹のような色彩のものや金彩の入ったものなど、確かにネクタイ代わりにつけると粋である。
 と、不意に彼女と目があった。まずい、凝視していたのがバレたか。
 と思ったのだが。
「……あ、これを買います、か……?」
 彼女の口から発せられたのは、予想よりも低めの声。
「あ、いやいやいやいや! 見てるだけなので!」
「そうですか。よかった」
 あまり抑揚のないぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、ニコッと笑うその表情は人懐っこくて、俺の心がときめいてしまう。
 で、思わず聞いてしまった。
「……ご自身で使われるのですか?」
 彼女は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに。
「あ、私じゃなくて、友人へのプレゼントなんです」
「友人」
「ええ。『彼』、ネクタイが苦手なので。これなら仕事でつけられるよねって、いつも」
 ……そう言って屈託なく笑う彼女の微笑みが、俺に対する残酷な宣告など当然知る由もないであろう。今はっきりと言ったよな、「彼」って。友人じゃなくて『彼』な。うん、そうだよな、綺麗な人がフリーでその辺歩いているわけないもんな。
 うん、知ってた。
「好みがわからなくて。使ってくれてるんですけど……」
「見たことないの? つけてるところ」
「あ、んー。そうですね」
 そう言って彼女は寂しそうに微笑んだ。
 こんな美人にこんな表情をさせるとは、どんなけしからん男なのだ。そして、どうしてそういうけしからん男にばかり、美しい女性はなびいていくのだ。
 本当にけしからん。
「……どうされましたか?」
「え、あ? いやいやいやいや! なんでもないです」
 勝手に腹を立てていたら彼女に不思議な顔をされてしまい、俺は慌てて頭を振る。そのまま彼女は何かを選んだらしく、店員さんを呼びレジに行ってしまった。
 そのタイミングでやってきたのは、何故か三鷹。
「なにしてんだ、洋祐くんは」
「あ、いや、別に……」
「彩葉さんが心配してたぞ」
 そういえば、俺の鞄その他はすべて「ないと」のカウンターに置いたままだ。戻ろうとして、買い物を済ませ小さな包みを持った先ほどの彼女とすれ違う。会釈をしてくれる彼女の長いポニーテールの髪から、ふわんと甘いよい香りが鼻孔をくすぐる。ああ、これが失恋の香りというやつなのか。別に何一つ始まってなかった気がするけれど。
「あ、三鷹さん」
「こんにちは、カズハさん。またですか」
「他に思いつかないんですよ、私」
 すぐ目の前で交わされる彼女と三鷹の会話。どうやら顔なじみらしい。
 ……目の前なのにものすごく遠くの景色のような気分なのは、どうしてなのか……。

「どしたの、よーすけくん」
 「ないと」に戻った後、隣でせっつく三鷹を適当にあしらっていたが、あまりにしつこかったのでつい口を滑らせたのだ。
「いや、さっきの娘が可愛かったなあと」
「……さっき?」
 訝しげな表情を浮かべる三鷹に。
「ほら、さっきお前が喋ってた、ポニーテールの」
「ポニーテール……? ああ」
 三鷹はしばし首を傾げていたが、ややあって誰のことかわかったらしく顔を上げたかと思うと、そのままニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてきたのだ。
「どうしたのですか?」
「あ、彩葉さん。こいつ、カズハさんに恋したようで」
「ちょ! お前!」
 唐突にバラす三鷹に焦った俺だが。
「カズハさんって……ああ、小松の」
「あ、あの方、小松なんだ」
「恋の季節なのかしら」
「あ、あの、彩葉さん?」
「でも、あたくし、別に藤川さんがそういう趣味でもいいと思うのです」
「え、あの、いろ、はさん? 俺は、あの!」
 彩葉さんまでおかしなことを言い出す。焦るそのタイミングで、三鷹はとんでもない現実を投下。

「あの方、カズハさん。男なんだけどなー」

 ……え?
「お前、そっちの気があるって、知らなかったよ」
「ち、ち、ち、ち、ち! 違う!」
 ニヤニヤの理由がようやくわかった。道理で低い声だと思った。
「彼、普通に女の子好きーなんだけどね」
「前にも男の人に言い寄られてましたねえ」
「あれも、ここのお店の話でしたっけ? 彩葉さん」
「東山のお茶屋って言ってたような……」
 当たり前のように盛り上がる二人を呆然と眺めつつ、俺は人生の敗北感を味わっていた。そして、しばらくのあいだポニーテールの誘惑に気をつけようと心に決めつつ、彩葉さんが出してくれた珈琲の苦さを噛みしめるように飲むしかなかったのであった。

  = ◆ =

 ところで。
 先ほどカズハが買ったループタイは、数日後、静岡県浜松市の『彼』の元へ届いている。正確にいうと、彼の自宅ではなく職場にである。
「おーい、あかでん。奥山さんから」
「上長、遠距離恋愛の彼女からですか!?」
 やいのやいのと盛り上がってるそこは、カズハの元職場でもあり、受取人の彼はこの地で走り続けるある種のチートキャラでもあり。
「……あの、さ。お前ら。本当に怒られるから……」
「でも、ミヤちゃんも銀さんも公認なんですよね?」
「別に、俺はこいつを恋人にしたつもりは……」
「銀、黙れ! 話がややこしくなる」
 受け取ったモノが顔を真っ赤にして嘆きつつも、その首元には九谷焼の赤絵のループタイがキラリとアクセントを決めていたというお話は、また別の機会に。


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サークル名:R.B.SELECTION(URL
執筆者名:濱澤更紗

一言アピール
鉄道の車両や路線を人に見立てて物語をつくる人。現存路線から廃線済の鉄路まで、調査研究した上で大胆に妄想するのがポリシー。元ネタを知らなくてもただのライトノベル、知ってる人には3倍楽しみが膨らむテキストを。
…といいつつ今回の作品は古都金沢が舞台の「喫茶ないと」シリーズ。

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