言って、魅せる

 午前零時。小さなちゃぶ台に肘をついて、窓の外をぼうっと見つめる。ちゃぶ台の上には少し冷えた手作りのおかず。ごはんは二時間前に炊けていて、炊飯ジャーに保温してある。味も栄養面も完璧な内容に、我ながらあっぱれだ。あとは相棒を待つだけ。夕飯は一緒に食べると約束している。
 私は私立中学校の教師、相棒は研修医。同棲を始めたころはお互い学生であったから、こんなすれ違いが起こることは予想していなかった。でも、こうなったのは、私たちが選んだ道だ。相棒が医者として一人前になるまで、この生活は続く。
 
 大丈夫かな。あの時、出された宿題を、私たちはこなすことができるのだろうか。そんなことをぼんやり考えていたら、スマートフォンが細かく震えた。メールだ。相棒だろうか、少しばかりの期待をディスプレイは裏切る。実家にいる母親からだった。内容なんてわかりきっているから、見ない。こんな時間にメールを送ってまで懐柔したいのかと思うと、多少の怒りもわいてくる。
 相棒を実家に呼び、同棲をしたいと願い出ると、両親が二つ、宿題を出した。一つは、きちんと二人とも就職すること。それはクリアしている。もう一つの方が難解なのだ。
国立大学の医学部に通っていた相棒を、うちの病院に就職すること。これが二つ目の宿題だ。
私の一族は大学病院を経営している。関東では名の通った私立の総合病院だ。私は女だし、文系だから医療の世界は分からない。だけれど、相棒が通う国立大学医学部附属病院と、私立大学附属病院のドンであるうちの病院は、敵対関係にあると聞いている。学んだ国立から関東有数の私立への就職を申し出た時は、大変だったと聞いている。相棒の成績は群を抜いていて、なかなか受理されなかったらしい。喧嘩別れの様にして国立大学を去り、うちの病院にきてから数年たつが、席を移したら移したで、上層部からネチネチと言われて大変そうだ。両親の思惑は、その過酷な環境で相棒をつぶして、マスメディアにも出ている新進気鋭の弁護士と私との縁談を成就させること。私には隠しているらしいが、見え見えだ。その弁護士は、私の高校時代の同級生なのだから。

「大変だなあ」
「何が大変だって?」
「あ、おかえり」
「気持ち入ってねえなあ。ただいま、磨希みがき

 無事帰還した相棒は、慣れた動作でするするとネクタイを解き、着替えを始める。まっすぐお風呂へ向かうと、『五分で終わるから』と抑えめの声で言葉を投げた。午前零時。いくら壁があっても、日中の声量では近所迷惑になってしまう。それくらい、このアパートの壁は薄い。
 考えてみれば、アパート住まいはこれが初めてだ。実家は無駄に広い四階建ての庭付き一軒家である。年季の入ったちゃぶ台も、ガスキッチンも、タイマーのお風呂も、鉄板の廻るレンジだって新鮮だ。そういう面で全く役に立たない私の為に、節約節約といって相棒――広瀬卓磨が集めてきたものである。
 おかずをレンジに入れて、スタートボタンを押す。ビールを出したところで、お風呂のドアが開いた。五分待ってくれと宣言をしてから五分。そしてお風呂後である。流石に裸ではなかったが、上半身は何も来ていない。
「はい、お疲れ様ビール。あと、いくら暑くて服くらい着てよね。風邪ひいて困るのは、私と君だ」
「お疲れビール飲んだらな」
「はいはい」
「ところで、何が大変なの」
「え?」
「さっき、ぼそっと言ってたじゃないか」
「ああ」
 言おうか、言いまいか。言ったらプレッシャーになってしまうかもしれない。でも、隠し事はしたくない。卓磨はすべてを受け止めて、私の前では常に笑顔で通してしまう。
「俺さ、特殊能力あんだよ」
「子供みたいね」
「磨希の考えてることなんて、お見通しってことだ。どうせ、俺のこと案じてくれてたんだろ」
 お見通し――か。
 ルームウェアを渡すと、一気飲みをした空のビール缶を握りつぶす空き缶をゴミ箱に投げ入れる荒々しい動作に、隠れていた綿埃が浮く。そのまま、よいしょ、とオジサンみたいに服を着た。お疲れモード全開だ。
 大好きな卓磨と、同級生の弁護士。はかりにかけるだけ無駄なことだ。卓磨にはどんな男も敵わない。それを両親に分かってもらえないのは、とても悲しい。宿題なんて出されて、監視されて図られて、いつも大変なのは卓磨だ。あのまま母校の附属病院へ行ったら、きっと無駄な悩みなどなかったはずである。私の実家が、両親が、その苦労という瘤を卓磨につけた。
 国立大学医学部卒業。立派すぎるが、大学病院経営に携わる両親に対しては、ウリが弱い。
「俺が、昔からなりたかった医者として、お前と一緒にいるために選んだ道なんだ。親父さんたちが出した宿題くらい、ちゃんと花丸で提出しなきゃな」
「でも、広瀬卓磨はなくなる。きっと、婿入りになるわ。卓磨は長男で、広瀬家唯一の男なのに、きっとご両親やお姉さんたち悲しむよ」
「いいよ、苗字くらいくれてやるよ。姉ちゃんたちがどうにかするし、うちの両親はそんなこときにしない」
「でも……」
「でも、じゃない。医者になって、苗字変わったら、俺はやっとデカい面してお前の隣に立てるんだ。安いんもんじゃないか」
 卓磨は強い。心の奥に深い愛情を持っている。それを、私に惜しみなく見せてくれる。言葉は少し、乱暴かもしれないけれど、それすら魅力に変えるのだ。
「そうだね……」
「坂本卓磨、か。なんか、俺までかっこよくなっちゃうな」
「卓磨はもともとかっこいいでしょ」
「じゃあ、もう一つかっこいいこと教えてやるよ。俺の名前、なんで“卓磨”か知ってるか?長女が世津、次女が紗那、末の俺が卓磨。三人合わせて切磋琢磨。かっこいいだろ」
「……まあ、うん、よかったね。卓磨が男の子で。女の子だったら、タクミちゃんとかだったのかな」
「なんだよ、リアクション薄いな。あ、この玉子焼きウマ。だし巻きかあ」
「うん。向こうのスーパーで、鰹節が安売りだったから」
「娑婆の世界に慣れたなあ、おまえも。まあ、心配すんなよ。絶対に、俺は宿題提出してみせるから」
 にっこり笑って、私の頭を、髪の毛がグシャグシャになるくらい強く撫でる。言葉の節々に小さい希望をちりばめて、私の不安を吹き飛ばす。
「磨希が笑ってれば、俺は嬉しい。生憎、俺の体は頑丈だし、親父さんたちに出された宿題なら、最短で成し遂げてやるさ」
 うそつき。卓磨は今、小さなうそをついた。
 フィジカルもメンタルもくたくたのはずなのに、そんなところを一切見せずに、仮面をつけて“笑って”魅せる。いとも簡単に“嘘をついて”魅せる。私の為に。
 大丈夫だから。好きだから。愛してるから。
浮いてしまうような言葉を言っても、何も疑う箇所がないほど、彼は“言って”魅せるのだ。


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サークル名:【コトノハ】-オフライン(URL
執筆者名:琴木 緒都

一言アピール
基本恋愛、たまにSFと色々創作小説書いております。モットーは基本ワンコイン(500の下)。感想を与えるとよく育ちます。内容は架空の関東旧家・坂本一族のお話が多いです。説明書も無料配布する予定です。今回投稿させていただいた作品もうっすら影があります。よろしくお願いします。

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