最後のひと

 死者でなければ、死神でなければ、恋をする事も息をするように自然だったのかもしれない。
 考えても詮無きことだが、思うと少しだけ切なさが胸を占領する。思わずため息を一つついて、ロアは報告書を作成していた手を止める。
「何ですか何ですか班長! 元気ないですね!」
「あんたはいつもお気楽ね、キサラギ。見習いたいわ」
「えっ、そうですか?」
 へへっ、と何故か照れくさそうに笑うキサラギ。黒髪をひとまとめにし、黙っていれば凛とした紳士に見えるのだが、キサラギの通常はこれだ。
 特にロアの前となると、途端に無邪気さが増す。これでも高齢で命を終えたというのだから、その真偽を疑いたくなることもある。
「ところでところで班長。この所の班員の勤務状況と、能率等々まとめてみたので見てください」
 キサラギが差し出したのは十枚ほどの薄い紙束。表紙には『キサラギより愛をこめて』と達筆で書かれている。
「あら、何これ」
「班長の手間と疲労軽減のために、俺これでも頑張ったんですよ」
 得意げに胸を張るキサラギに苦笑を返し、ひとまずロアはページを捲る。見やすくかつ丁寧にまとめられた報告書だった。
 流石は長年サラリーマンとして身を粉にして働いてきたキサラギだった。特に、見やすさに関しては申し分ない出来栄えだ。
「ああ、流石ね。蘭は能率が良いわ。その点ペイルはもう少し見習うべきね、色々と」
「そうですか? 俺はペイルは育つと思いますよー。単純に見えて、意外と考えるようにしてますからね、特に最近」
「あらそう? あの子キアシェにべったりだから、その辺凄く不安なのよね」
 同僚かつ指導官なのもあるだろうが、何よりも純粋に、ペイルはキアシェに好意を寄せている。誰が見ても明らかなほどだ。
 死神にしては珍しいタイプでもあり、ロアにとっては少し羨ましい存在だった。
「ふっふっふっ、班長もまだまだ子どもですね! 男は惚れた女の為なら強くなることに惑いなど存在しないですよ」
「アンタの方がよっぽどお子様だと思うわよ?」
「えええ、どこがですか!」
 思春期真っ盛りかと突っ込みたいところを飲み込み、ロアは資料に再度視線を落とす。キアシェの変動は仕方ないとある程度割り切らなければならない。彼女の存在はペイルとは別の意味で珍しく、むしろ危険でもある存在だった。
 誰の為でもなく彼女自身が死神であることに危険を伴っている。最悪、消滅すらできなくなってしまうだろう。それは班長としてその身を預かるロアからすれば、避けたい結末でもある。この世界は、そんなに甘いものではない。
 不意に、ロアのイヤリングが着信を知らせる。本部からだろう。
 キサラギがロアの表情変化に気付いたか、すっと背筋を正し、口を噤む。その辺りはよく弁えているキサラギらしい態度だ。
 ぼそぼそと耳打ちするように、ロアの耳に滑り込むのは、仕事の詳細だった。
「了解。すぐ行くわ」
 答えて、ロアは席を立つ。
「俺も行きますよ、班長。緊急の時って結構危険でしょう」
「否定はできないけど、むしろそれなら代理としてここをしっかり守っておいて欲しいものね」
「それはお断りですよ! 女性を危険な場所にましてや一人で行かせるなんて、男が廃りますからね!」
「あのね……」
「それにですよ」
 不意にずいっと顔を近づけたキサラギ。眉根を寄せてロアが小首を傾げると、そっとキサラギが耳打ちする。
「班長、どんどん死神として終わりに向かってるの、俺知ってますからね」
 びくりと身を竦ませたロアから、ぱっと姿勢を戻し、キサラギは歯を見せて笑った。
 唖然となったまま動けないロアに、笑顔でキサラギが手を差し出した。
「さ、行きましょう班長! 仕事っすよー」

◇◇◇

 緊急の仕事と言っても、いつもと同じだ。死にゆく魂を回収し、あるべき循環へと戻すだけ。機動性を売りに出しているロア率いるセイヴァーが駆り出されるのは不思議なことではなかった。
「ほいっと。あと三十人くらいでしたっけ、班長」
「ええ、そうね」
「あれ、もしかして何かすっごく怒ってます?」
「怒ってないわ」
 素っ気なく返答し、ロアはぐるりと周囲を見回す。終わろうとしている世界。世界ですら生と死を繰り返すこの脆い世界構造。別段不思議な光景は何一つない。
 ただ、この光景に対して無感動でいられるかと問われたら、ロアは肯定できない。
 死にゆく世界の道連れの様に、そこに住まう生命は全て死んでいく。世界が消えてしまうのだから当然ではある。
 だが、世界は最後に消えるものだ。他の生命が全て死に絶え、そうして孤独の中で消えていく。あるいは、死神もそうかもしれない。個々に抱えた未練という『不満』が消えた時、心が満ち足りた時、死神は消えていく。誰の理解もされることはなく、ただ旅立っていく仲間たち。彼らがどんな思いで消えて行ったのかは、ロアには分からない。
 いつか、自らが消える日になれば、分かるのかもしれない。
 音すら消し去ってしまったような静寂が場を満たしている。キサラギの足元では、ほんの数分前までは生きていた獣の親子。彼らも等しく、魂の循環経路に戻される。死は生への始まりだ。死神は生へ踏み出せない、弱虫の集まりだと、ロアはいつも思っている。
 こんな身勝手な死を招く世界が怖いと思う、弱い自分。そんな自己をロアは誰よりも理解して、嫌悪していた。
 不意に、キサラギがロアの頭を胸に抱きよせる。
「キサラギ?」
 唐突な事に目を瞬かせるロアの頭を、キサラギがトントンとリズミカルに叩く。まるで、宥めているかのように。
「ちょっと、キサラギ」
「だいじょーぶっすよ、班長」
「は?」
「班長は今は、一人じゃない。俺がちゃーんとついてますから」
 小さく息を呑む。息を吐き出したら感情ごと零しそうで、息が詰まった。
 くすっとキサラギが小さく笑うのが聞こえ、手が離れた。恐る恐るキサラギを見上げれば、苦笑が見えた。
「あーあ。やっぱ班長は現場に出ちゃ駄目ですね。終わりから遠のくばっかりですもん」
「何、よ。馬鹿にしてるわけ?」
「いーえ? 今度はデスクに張り付けとこーって思っただけです。さ、次行きましょう次。さっさと戻りましょうね、班長」
 にかっと場違いな輝く笑顔を見せて、キサラギは歩き出す。唖然となりながらその背を視線で追いかけていると不意にキサラギが振り返る。
「俺、班長にはいつまでも班長で居て欲しくないんですよね」
「なっ……!」
「だって俺、班長が幸せになるの見たいですもん。俺じゃ無理ですからね。……死んでるから」
 絶句する。キサラギの笑みに、寂しさが過ぎった気がした。だが、すぐにいつもの軽い笑顔にシフトする。
「ま、だからそうなれるように、俺はめいっぱい班長を甘やかしますけどね!」
 ささ、行きますよー、と急かすキサラギに、ロアはぎゅっと手を握りしめる。本当に、キサラギという男は。
「馬鹿言ってないで、早く仕事なさい」
「えー、じゃあ班長もちゃんと手伝ってくださいよー」
「手伝ってるじゃないの。アンタは手際が悪いのよ。人の分析する前に自分のしなさいな」
「うぐっ、痛い所を突く……」
 がっくりと肩を落としたキサラギの横に並び、ロアは笑みを零した。
 いつの間にか、落ち着く場所になってしまった事を自覚している。キサラギが居ると調子が狂い、そして終わりへ向かっているのは分かっていた。
 それでも、ロアは軽く落ち込んでいるキサラギの隣に居る選択をする。
「頼りにしてるわよ、キサラギ」
 キサラギがぴっと背筋を伸ばす。意外そうな顔に次いで、やっぱり嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「俺、今から来世では班長とバージンロード歩く親父役に立候補しときますね」
「お断りよ」
「じゃあ神父役でもいいですよ」
「却下」
 ええ、と不満そうな声を上げたキサラギに、ロアはため息を一つ。
 そんな『次』の話は今はどうでもいいのだから。
 ロアにとって重要なのは、来世へ踏み出すまでの道の途中だ。そして出来るならば、キサラギであって欲しい。
 消滅の瞬間まで隣に居てくれる、最後の人は。
 だからどうか、それまでは。
「仕事を果たすわよ、キサラギ」
「了解、班長」
――せめて一人の少女として扱ってくれるキサラギのままで居てくれることを、強く願うのだ。いつの間にか芽生え始めようとしている、自分の心に抱えた感情の名前に、蓋をして。
 自分に小さな嘘をついてでも、終わりまではどうか、隣の笑顔を見ていたい。


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サークル名:Garden of jade(URL
執筆者名:翡翠しおん

一言アピール
ファンタジー多め一次創作オンリー。ダーク、ほのぼの、ミリタリ等多面ファンタジー取り扱い。長編多めです。全作品の主軸は【循環世界は彼方に夢を見るか?】です。よろしければお手に取ってご覧くださいませ。

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