終わりのそのときに

「おかえりな――っ、フェルナンド、その怪我、どうしたの!?」
「悪い、仕事でマズった。……呪刻入りだ。持って明日いっぱいがいいところだろう」
 部屋に入るやいなや、左手で腹を抱えながら、血まみれで床に倒れこむ。フェルナンドと呼ばれた男。
 裂けた衣服にべっとりと染み付いた血の量からただ事でないことは誰の目から見ても明らかだった。
 駆け寄るのは十五、六になろうかという少女だ。
 言葉を失い、おろおろと目を泳がせる少女に、男は血まみれの身体でなお強い意志を込めた目を向ける。
「いいか。よく聞けルーナ。俺はもうダメだ」
「まって、まってよフェルナンド、いきなりそんなこと……」
「落ち着けルーナ。ここから先、お前は一人になる。わかるな?」
「やだ、そんなのやだよ! なんで、どうして……」
「ぐ……持って行くべきものは解るか? ……星天原論と、天覧図はそこの裏の棚の奥だ。金は五千リラ残してある、北から二番目、東から三番目の床板の下だ」
 少女に言い聞かせるよう、フェルナンドは部屋の中を順に指差して言う。
 涙目のままルーナはその先を追う。けれど、
「やだ……やだよ! ずっと一緒にいるって、守ってくれるって、言ったのに……!」
 フェルナンドの手を握ったまま、ルーナは首を振るばかり。
 だが、なおもフェルナンドは言葉を続ける。
「あとは身の回りのものと保存食を持ってコリーナの街へ行け。そこのブルスカーレ道具店の店主のババアに俺が死んだと伝えろ。当分はあいつがかくまってくれる」
 頑として動こうとしないルーナに、フェルナンドは少しだけ口調をゆるめて諭す。
「……お前は、もうすっかり大きくなっただろう。術も一人前以上に使いこなせる。……一人でも、大丈夫だ」
「でも、そんなのって……こんな、終わり方……」
「ああ。だが、こういうのは……いつも突然だ。人間の終わりなんてのは……」
「…………」
「……俺達の予定なんぞ、斟酌してはくれない。ある日いきなりやってくる。だから――」
 ルーナがそれでもしがみついたまま動かないのを見て、フェルナンドはわざとらしくため息をつき、

「今日みたいにこうやって、予行演習をしておかないとな。今のままじゃ、本当にいざというとき何もできなくなっちまうぞ」

「へ……? あ……」
 苦しそうな声が一転したことに、ルーナは呆気にとられた様子でフェルナンドを見る。
 改めてまじまじと見ると、ルーナはようやく気付く。どうもフェルナンドの身体を検めてみると怪我などなさそうなことに。
 派手に裂かれた衣服に染み付いたどす黒い血は、何だか作り物めいているような。
「あ……な……」
 今にも死にそうな表情は、すっかりばつがわるそうな苦笑に変わっていて、
「ば……バッ――カぁ!!」
 この日一番の絶叫が響き渡った。

     *

「しんっ――じらんない!」
 いまだ半泣きのお姫様を前に、フェルナンドは困った顔で頭をかいた。
「いや、本当に悪かった」
 何度目かの謝罪も右から左。ルーナは相変わらず拗ねた様子でそっぽを向いたままだ。 
「おまえも来年は十六だから、そろそろ独り立ちを考えてもらおうと思ってだな」
「よりによってそんな手を使うとか、ありえない。ホント最悪。大っ嫌い」
「いやな、今日の仕事で死にかけたのはマジなんだよ。“隼の大鎌”っつーめんどくさい魔具の回収でな。もう一、二歩目測を誤ってたら首が飛んでた」
 フェルナンドは新興の魔術、星天術の使い手だ。開祖の血脈にほど近く、直に手ほどきを受けた最初の弟子のうちの一人でもある。
 だが、魔術士は新興であれ古参であれ等しく教会に追われる身。新大陸にでも行けば自由だっただろうが、フェルナンドは自分が生まれた地で死にたいというわがままのためにここにいた。
 結果、幾つかのコネを通して斡旋される裏稼業を引き受けて、ほそぼそと生活している。
 今回の仕事は危険な案件だというのは事前にも解っていたので、いつもサポート役として連れているルーナを、今回はどうにかこうにかなだめて置いて行ったのだ。
 近頃のルーナは星天術に関してフェルナンドに肩を並べるほど優秀で、こうして留守番をさせるのも久々になる。これが最後のチャンスかもしれない、と前々からの計画を実行に移したのだが。
 ……どうにも、失敗だったか。
「危ない仕事はしないでって、いつも言ってるのに、聞かないのはフェルナンドだよ」
「この歳で新しい仕事なんかできるかっての。俺にできるのは荒事だけだよ」
「いつもそうやってわがままばっかり」
「悪いな。不器用でさ」
「そんなこと、知ってるし……」
 それきり、言葉が続かずわずかに沈黙が降りる。
 膨れ面の少女が、少しばかりフェルナンドの方をうかがい、また目をそらす。
 不機嫌な表情が何かを言いたげにゆらゆらと揺れ動いて、ようやくルーナは口を開いた。
「……どうしたら正解だった?」
「あー……」
 言っていいものかどうか。少しだけ迷ったが、フェルナンドは思った通りに言った。
「ちょっと泣いて、後ろ髪を引かれながらテキパキという通りに動いてくれたら最高だった」
 理想では、道具屋までひとりでたどり着いたら合格だった。そこで嘘だということを店主から伝えてもらうように道具屋には話を通していたからだ。血糊もまさにそこで調達したものだ。
 そんな素直な自白に返ってきたのは、
「できっこないし死ね。死んでから生き返れ」
 ふくれ面ととがった唇だった。
「ああ、すまなかった。こんなことはもう二度とやらんと約束する」
 フェルナンドもそれだけは決めていた。二度も三度もやればオオカミ少年になるだけだ。
 だが、それは同時に――
「――あったとしたら、次は本番だからな」
「本番……」
 心の底から嫌そうな声音でルーナはつぶやく。
「……人間って、なんで死ぬんだろ。死ななきゃいいのに」
「造物主サマの設計ミスだな」
「カミサマってほんと使えない。いつか会ったら絶対一発ひっぱたいてやる」
「おう、やっちまえやっちまえ」
 敬虔な神父サマが聞いたら卒倒しそうな会話にフェルナンドは笑いを噛み殺す。
 上等だ。悪魔祓いのクソッタレどもと出くわしてぶん殴った回数は、とっくに両手の指を超えている。
「だが、死は必ず、誰にでも来る。……俺のわがままかも知れないけどな。俺が死んだ時、できればルーナには絶望しないでいてほしい。泣いてくれてもいいし、バカめと笑ってもいい。だが、それで何もかもを諦めないで生きていてほしい」
「むりだよ」
 即答。
「今日のでよくわかったもん。フェルナンドが死んだら、私はきっと後を追うよ」
「……お前が本当に……本当の本当にそうしたいなら、それでもいいけどな」
「いいの?」
 意外そうな声。
 死なないで欲しいと言った直後だったからだろう。少し話をごっちゃにさせてしまったかもしれない。
 えっとな、と間を置いて、フェルナンドは言いたいことをまとめる。
「本当なら死んでほしくはないさ。けど、お前が冷静な頭で、本当に俺に殉じて死ぬのが、自分の人生における最善だと判断して――その時に本当に実行するならそれは仕方ないと思う。それもお前の人生の使い方だ」
 けれど、今の彼女にはそれも難しいだろう。きっとパニックと衝動で結末を決めてしまう。それではダメなのだ。
「大切なのは、俺が死んでも、お前がお前自身を見失わないことだ。考えろルーナ。今日、俺は死んだ。……俺がいなくなった世界で、どうするべきかを」
「考えたくない」
「お前なあ」
「考えたくないけど、……考えとく。けど、フェルナンドは死んじゃダメ」
 いつものルーナの屁理屈だ。けれども、気持ちはよく分かる。
 こうして諭しているフェルナンド自身とて、ルーナに何かあれば冷静でいられる自信はあまりない。殉死はせずとも、仇討ちぐらいはやるだろう。たとえどんな相手だろうと。
「わたしは絶対、フェルナンドが死んだらダメになっちゃうから」
「いつになったら親離れするんだか」
「できるときまで……ん」
 ようやくルーナは機嫌が直ったのか、フェルナンドの腕に抱きついてきた。
 子供の頃からの癖だが、こうして大きくなった今も一向に直らない。
 とある錬金術師の地下実験室から仕事のついでで拾ったあの日から、もう随分になる。さすがにそろそろ大人になったか、と思うこともあれば、こうして子供のように甘えてくることもある。
 あの日よりすっかり存在感を増した身体に、この年頃の娘が父親を嫌うのは血縁関係があるときだけなのだろうか、とぼんやり思う。
 もともと気まぐれで出会った赤の他人。親子の真似事をしてみても、どこかで歪んでいるだろう関係。けれども他に心を委ねる相手もいないフェルナンドにとって、ルーナのぬくもりは救いでもあった。
「私に生きていてほしかったら、ずっと長生きしなきゃね?」
 フェルナンドにしがみついたまま、見上げてルーナは言う。まるで素敵ないたずらを思いついたかのような笑顔で。
 そうきたか、と苦笑。彼女の屁理屈とわがままには、フェルナンドもずっと困らされてきた。
 だからこそ、すっかりそれが愛おしく思えていて。
「そう簡単に、死なせないから」
「覚悟してるよ……。ったく、このわがまま娘は」
 彼女は賢い。いずれ遠からず、独り立ちのときもくるだろう。
 だから今はまだ。互いに伝わるぬくもりを感じながら。
 未だ訪れないその日まで、二人で。


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サークル名:オービタルガーデン(URL
執筆者名:夕凪悠弥

一言アピール
ラノベを軸に、ファンタジー、宇宙SF、現代異能、コメディなどライトにいろいろやってます。今回はおっさん×少女アンソロ「歩みを寄せて」参加作のスピンオフを書かせて頂きました。出オチというものを書くがわりと好きらしいです。

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