たばかり

「素晴らしい」
 報告書に目を通したシガナは、顔を上げて微笑んだ。その細められた紫の双眸は、寂れた薄暗い店内でも魅惑的だ。私は口の端を上げ、波打つ黒髪を背へ流す。濃紺の長衣の上で自慢の髪が跳ねた。
「さすが情報屋ミリアンダだ」
 古びたテーブルの向こうで、シガナは足を組み替える。その拍子に頬へと落ちた金糸が緩やかに揺れた。実に美しい青年だ。いや、本当に男なのかはわからない。男にしては背が低く、女にしては手足が長い。細身と思われる体は灰色の布で覆われているし、顔立ちも中性的だ。
 でもシガナが男だろうが女だろうが私にはどうでもいいことだった。気になるのは金払いのみ。
「では約束の物だ」
 シガナは小さな皮袋をテーブルに乗せた。静かな音楽にさえ掻き消されそうなかすかな金属音に鼓動が高鳴る。噂は本当だったようだ。シガナは気前よく報酬を寄越す。
「確かめさせてもらうわ」
「どうぞご自由に」
 ひらりと手を振るシガナを横目に、私は皮袋を手に取った。それなりの重み。中をちらとのぞいてみれば、金貨まである。思わずカウンターの店主をうかがったが、彼は眉間に皺を寄せたままグラスを拭いていた。こちらを見てもいない。彼は聾者だから、聞き耳を立てられている心配はなかった。
「足りなかったら言ってくれ」
「十分よ。技使いは違うわね」
 視線を戻した私は、ほうっと息をこぼした。技使いには希少価値がある。水や火を自由に操れるだけでもそうだが、シガナのように魔物を相手取ることもできる者なら、報酬だって普段目にすることのない額のはずだ。金銭感覚も異なるのかもしれない。
「危ない真似をさせている対価だよ」
 シガナは微笑んだ。あんまり物わかりがよすぎるものだから、つい疑念が生まれる。話がうますぎる時は要注意だ。危ない橋を渡り続けてきた勘が訴えている。
「理解があって嬉しいわ」
 皮袋を腰布にくくりつけ、私は口角を上げた。情報屋は信頼が全てだ。偽物を掴まされたら死に直結しかねない。だから私は慎重になる。取引相手としては上客でも、情報源としては危うい人間がいる。シガナはそんな一人な気がした。
「以前ほどではないけど、彼らの動きはまだ活発だもの」
 魔物は人間の裏側によく巣くっている。薄暗い話の後ろには大体彼らがいる。そうとは知らず利用されている人々を何度も見てきた。シガナが欲したのはそんな魔物の情報だ。大金の動く、私の得意分野。いつ死んでもおかしくはない世界。私のような身よりも住処も学も腕力もない人間が生き抜くためには、こういう場所に足を踏み入れるしかない。
「命懸けなことわかってもらわないとやってられないわ」
 シガナの双眸に私はどう映っているのか。髪を掻き上げた私は肩をすくめた。シガナは技使いだから『気』で感情だって読み取っているはずだ。一般人には感じ取れぬその得体の知れぬ感覚は実に厄介だった。でもそれが心の内まで見透かすようなものでないことは知っている。怒りや喜び、恐れといった感情の種類はわかっても、思惑までは読み取れない。
「そうだね。彼らもなかなかしつこいみたいだ」
 頷いたシガナの言葉には何かが含まれていた。単なる皮肉ではない。そこまで考えたところで私ははっとして振り返った。揺れる髪の向こう側でおもむろに扉が開くのが見える。ついで控えめにドアベルが鳴った。
「見つけたぞミリアンダ」
 扉に手をかけニタリと笑った男に、見覚えはあった。刈り上げた赤茶の髪、顎に傷を持つ大柄な男。先日私を謀ろうとした者たちの一人だ。たぶん背後に魔物が潜んでいる。悪意を全身に纏いながら調子のいいことを並べ立てていたから警戒していたのに、もうこんな所まで嗅ぎつけてくるとは。
 年齢不詳の店主は、男をちらと見遣っただけで何も言わなかった。彼はここがそういう取引に使われていることを知っている。それを口外しないことで成り立っているようなうらぶれた店だ。こんな事態も珍しくないんだろう。
 男の後ろには小柄な青年もいた。相手が複数となるとはぐらかすのは面倒だ。さてどうしたものかと思ったところで、シガナの声が響いた。
「申し訳ないが、彼女は私と話し合いの最中なんだ。お引き取り願えないかな」
 丁寧な言葉に滲み出ているのはあからさまな拒絶。そこでようやくシガナの存在に気づいたとばかりに男の眉根が寄った。――どうやらこの男は技使いではないらしい。技使いならシガナの鮮烈な気が感じ取れるはずだ。
「誰だ、お前」
「それは今は関係ないだろう? 彼女に用があるなら出直して欲しい」
 強気なシガナの姿勢に、男の顔は不快そうに歪んだ。わざとらしく靴音をさせ歩み寄ってくる様は小者じみているが、それでも彼が何本もナイフをぶら下げていることを忘れてはいけない。
「なんだ優男が偉そうに」
 安い煽り文句を男が吐き捨てた時、その服の裾を後ろの青年が引っ張った。フードに隠れて表情は見えないが、緊張感を纏っているのはわかる。シガナのことを知っているのか? それとも気でその実力を察知したのか?
「ちっ」
 青年に耳打ちされ、男は大きく舌打ちをした。分が悪いと悟ったようだ。腰に伸びかけていた骨張った手が、そのまま不器用に揺れる。
「……仕方ない。また後で邪魔するぞミリアンダ」
「できれば邪魔しないで欲しいんだけどね」
 踵を返す男に向かって、私は朗らかに微笑んだ。きっと私を懐に取り込んでうまいこと利用し続けたいんだろう。もちろんそんなの願い下げだ。情報屋として信頼され、誰にも組みせず立ち回ってきた。その均衡が崩れてしまったら、私みたいな人間は食い潰される。
 男らが立ち去ると、再びドアベルがかすかな音を立てた。その間も店主は黙ってグラスを磨き続けていた。何も聞こえない店主の関心事は、ここで騒ぎが起きるか否か、お代が支払われるかどうかだ。だから私もよくここを利用している。
「ミリアンダは人気者だね」
 単調な店の音楽にシガナの笑い声が混じる。揶揄する響きに私は眉をひそめ、テーブルの上で腕を組んだ。助けてくれたのは気まぐれだったのか、それとも本当に話の邪魔をされたくなかったのか。シガナの意図は読みづらい。
「でもああいうのは迷惑ね。平気で嘘を吐くもの」
 私はため息を飲み込んだ。都合の良い言葉ばかりを口にして機嫌を取ろうとする輩は疲れる。そうでなくとも偽りの中から真実を掬い取るのに苦労しているのに。
「へぇ。私は違うのかな?」
「取引相手としては申し分ないわね」
「情報源としては当てにしてないのか。なるほど」
 くつくつと笑うシガナを凝視し、私は息を呑んだ。背筋が冷たくなる。大したやりとりもしていないのにそこまで見透かすなんて。やっぱりシガナは危険だ。
「誰も本当のことなんか口にしないからね。君も、嘘を吐くのは上手だし」
 けれども続く言葉の方が私の心臓を凍らせた。ぴしりと体のどこかに亀裂でも入ったかのようだ。一体何のことを言っているのか。わからない。わからないのに鼓動が速くなる。
「何が言いたいの?」
 尋ねる声はいつも通りだった。だって私は誰も騙していない。嘘など吐いていない。
「ああ、嘘というのは語弊があるのかな」
「だから――」
「ミリアンダは技使いだろう?」
 こてんと頭を傾けたシガナを、私はまじまじと見つめた。紫の瞳には確信の光が宿っていた。
「扉が開く時、音がする前に君は振り返っていた」
「それはたまたま……」
「それだけじゃない。君の行動は気が感じられる者がする動きだ。そこに気があることを前提とした言動だ。自覚してなかった? 普通の人間は、どうしたって気の存在をうっかり忘れてしまうものなんだよ」
 謎解きでもするようにこにこと告げるシガナを見ていると、さっと血の気が引いてきた。なんて恐ろしい人間なんだろう。
「……でも私は技使いじゃないわ」
 確かに、私は気を感じることができる。それをずっと隠して生きてきたし、見破られることなんてなかった。
「だって私は技が使えないもの」
 けれどもここは譲れない。技の使えない技使いなど存在するはずがない。私は気が感じられるだけのただの人間だ。『技使い』ではない。
「決めつけるのはよくないと思うな」
「あなたのような人間にはわからないわよっ」
 つい声を荒げそうになり、私ははっとした。冷静さを失うことはともすれば命取りだ。これは情報屋にあるまじき失態だ。拳を握り、私は必死に声を落とす。
「私は、ただの情報屋なの」
 積み上げてきた信頼を打ち崩すようなことはしない。私は偽物を差し出したりしない。
「ふぅん。できない振りをするのは楽だけど、でもそのままだと本当にそれが必要な時に後悔するよ。そんな思いはして欲しくないなぁ。でも余計なことだったね。すまない」
 と、瞳を細めたシガナはふわりと立ち上がった。
「はい、店主」
 そして振り向きざまに店主へと何かを放り投げた。それが金貨であることに気づいたのは、明かりを反射する煌めきを目にしたからだ。私は思わず息を呑む。もちろん、ここのお代にそんな大金は必要ない。
「お客を追い返してしまったお詫びです」
 弧を描いて落下した金貨を、顔を上げた店主は難なく受け取った。やはり彼は無言だった。それはそうだろう。彼の耳は機能していないんだから。
 だがそう考えたところではたと気づく。それでは何故投げつけられた硬貨を容易く手にできたのか。シガナの声は聞こえないはずなのに。いくら気配に敏感だといっても反応が早すぎだ。
「じゃあミリアンダ、この辺で。また必要な時は声を掛けるから」
 ひらりと手を振るシガナの背中と、グラスを拭き続ける店主の横顔を私は見比べた。背中をつっと冷たい汗が伝っていく。
 この世界は嘘吐きだらけだ。
 それでも私は、真実を見つけ出さなければならない。そのためには確かに、武器を増やす必要があるのかもしれなかった。


Webanthcircle
サークル名:藍色のモノローグ(URL
執筆者名:藍間真珠

一言アピール
謎、異能力アクション、すれ違いや両片思い、疑似家族をメインとしたファンタジー中心に、時々ライトSF風な話を書いてます。「滅びは浪漫! じれじれ最高! 強い女の子は正義!」なサークルです。今回は『技使い』たちが生きる世界のちょっとした駆け引き、葛藤を描いてみました。

Webanthimp


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください