あの日のふたり

「だからなんだってお前よりによってオレなんだよ。今旬なのったらヒーレイクとかシュエリカーンあたりがいいだろうに、お望みなら紹介してやるぞ」
「いいえ、ぼくはあなたがいいんです。あなたに教えていただきたいのです」
 そこはほの暗い部屋。ワインレッドに血を混ぜたような色をしたビロードのカーテンが天井からいくつも吊り下げられ、そのカーテンには宝石だの鉱物だの動物をかたどった木製の人形だのドライフラワーだのリンゴだのなんだのとごちゃごちゃと飾られている。
 足元にもやはり色々な道具が散らかっていて足の踏み場もない。いくつもうず高く積み上げられた本の塔の間には既にもろくも崩れ落ちた本が山となっており、そのまた隙間にようやくちらちらと弱い炎をたたえたランプがおざなりに転がっているような状態だ。
 その部屋の中央に深い赤色に染められた皮張りの豪奢ごうしゃな椅子がぽつんと置かれ、ひとりの少女が肘掛を背に、もう片方の肘掛に両足をかけて横たわるように座っていた。灰の様な白いロングヘアに雪のような白い肌。すみれ色の瞳はひどく気だるそうに足元にひざまずく青年を見下ろしている。
「物好きにもほどってもんがあるだろう。前線を退いてどれくらい経ったと思ってるんだよ。……自分でもそんなの忘れたっつの」
 上半身を隠してしまいそうなほど大きな狼色をした皮表紙の本を腹の上に開いたまま、書かれた文字を読むでもなくページをめくる。そんな少女の様子を穏やかな表情で見つめていた青年はなにも言わずにそっと床に散らばった羊皮紙の一枚を拾った。
「これほどまでに見たこともない美しいをえがく方が前線をしりぞいたなんて。じょうだんでしょう。でなければぼくのびかけにも応えてくれるはずがありません」
 ちらりと目線をやるとそれはつい三日前に少女が気まぐれに、けれど綿密な計算で陣を描きつけたノートの切れ端だった。とはいえプライドの高い少女にしたら単なる手遊びでしかないはずのそれを手放しで褒められては妙に気恥ずかしい。少女は開いていた本が床に音を立てて落ちるのも気にせず、羊皮紙を奪い返そうと手を伸ばす。
「なに見てんだよ! ていうかどこから掘り返してきたんだよ!」
「そんな風に取り返そうとするなんて。そんなにだいじなものなら床に散らかさずにきちんと片付けられたらどうですか」
 そうは言いながら、座ったままの少女では手が届かない方へ手を伸ばす青年は、その落書きを決して返す気はなさそうだ。
「お前性格悪いだろ……っ!」
 椅子の上に膝立ちになってようやく取り返すことができた。そんな慌てた姿を見てにこにこ笑っているこの男を性格が悪いと言わないならこの世には性格の悪いやつなんていないだろう、と少女は思う。それだというのに目の前の青年はまさか、と否定するのだ。
「そんなことはありません。ただあなたがとてもかわいらしい姿でいらっしゃったので」
 ついからかってしまいたくなるんですよ、と言外げんがいに続けて。
「……まだ堕ちてから日も経ってないだろうに、お前は随分と俗っぽくなってんのな。まさか元々そんななのか」
「ええ、どうでしょう。特に自分が変わったいしきもありませんから、元々、なのかもしれませんね」
 こんなやつに支えられてきたのかあの世界は。言おうとしてやめた。人間の思考の物指しで簡単に測れる領域ではない。少女はばさりと髪を鬱陶しそうにかきあげる。そうしてびり、と手にした羊皮紙を縦に二つに裂いた。ひらりと手放した細やかな陣の向こうで、勿体無い、という呟きが聞こえたが、青年の顔を見れば全然そんな風に思ってない表情だ。なんだかその視線すらそろそろ邪魔に思えてきた。……否、最初からだ。最初から邪魔でしかなかった。最初に彼を喚んだ時から。
「お前はいつまでオレに縋り付くつもりだ」
「あなたがイエスと答えてくれるまで」
 にこにこにこ。埒が明かない。
「……だから、なんで、オレなんだ」
いつのもような勢いの消えた小さな声で呟く。ふいにこの声が相手に聞こえなければいいと思った。なんだか自意識過剰な問いに感じたから。それだというのに青年はしっかりと少女の言葉を受け取って、ますます楽しそうな笑顔になって少女の長い髪を一房すくう。
「あなたはもう覚えていないでしょうけれど。ぼくがはじめてこの世界に喚ばれたのはあなたの手によってなのですよ」
白い絹のようなさらさらとした髪が弄ばれる。
「抵抗しがたいチカラがぼくを呼んだから。しかたがないと応じれば、足元にはうつくしい世界樹の絵と。それぞれの枝には高貴なる宝石が。ぼくが立つのは大樹の頂点。そして根元に立っていたのは……あなただった」
 金と銀の瞳が少女の気だるい表情を見つめる。互いに感情を見せようとはしない。
「その時のへやはこんな感じだったでしょう? なるべくちゅうじつに再現をしたのだけれど、あなたはそれすら忘れてしまったのかな」
 一瞬だけ寂しそうな光が青年の瞳をぎるが瞬きひとつですぐに消える。
「そのあまりにうつくしい光景にぼくは魅入られてしまった。だというのにあなたはいちどきりしかぼくを喚んでくださらなかった。だから今度はぼくがあなたを喚ぼうと思ったのですよ」
 夢を見るように焦点の合わない表情は、けれど彼の常のもの。
「まるで刷り込みだな」
「そう。たしかにすりこみかもしれない。それでもぼくは、あなたを求める」
「そんなことでオレを今更引きずり出してくれたのか。……愚かで哀れな行為だと、思うタイミングはいくつもあっただろうに」
「そう。そんなことです。おろかです。あわれです。けれどヒトという存在がだれかを好きになること、それ自体がおろかであわれでさしたる理由なんてひつようのないことなのではないでしょうか」
 恋に落ちるきっかけなんて他愛もないもの。恋をするのに理由なんか要らない。そして恋なんてそもそもが愚かで哀れで、けれどその感情に抗うことはできないし、しない。そんな人間臭い感情を。
「お前が語るのか、《精霊王フランチェスカ》」
 少女の忌々しげな視線を受けてなお青年はにこり、と笑う。
「もうぼくは人間ですから」
 初代精霊王は人間の魔術師に恋をした。もう一度その人間に会いたくて精霊王は人間になった。精霊が人間になった最初の存在。そして人間となった精霊王は、既に身体ごと滅んでしまった恋した相手の魂を喚び出した。魔術の教えを請う為に。
「だからヒトの魔術を教えてください、アリオット」
魔術の基礎を神の領分に立ち入るほどに作り上げた、伝説の魔術師に。
死者の魂の召喚、それ自体が既に最高峰の魔術だと言うのに。
「だから今更だって言ってんのに聞きゃしねえ。……つうか知ってんだろ、オレは生前の記憶が殆ど壊されてて自分の姿も覚えてないってことくらい。この姿見りゃわかんだろうけどさ」
 広げた短い手は幼い少女のもの。喚ばれ、引っ張られる最中に適当に手を伸ばして構築した仮初かりそめの身体は記憶がなくとも生前のものとは明らかに違うとすぐにわかるほど、動くことに未だ慣れない。現界して七日、立つことすらまだ叶わない。知識だけはゆるりゆるりと手繰るように取り返してきてはいるが、初級の魔術すら発動させられる自信は五分だとアリオットは考えていた。
「だいじょうぶ。あなたはとても頭がいいから。ともに学んでもすぐにあなたの方が理解をするでしょう。だからそうしてぼくに教えていただければいいんです」
 そうやって。
「魔術以外のヒトのことも。いろいろ教えてください」
「つうかお前、そっちが本命だろ」
 疑い深く尋ねれば、彼は曖昧に首を傾げた。その様子を見てアリオットはひとつ溜め息を吐く。人ならざるはずの存在はさすがに人を丸めこむのが上手い。人と成ってなお、どこまで本当のことを言っているのかさっぱり分からないのだから。
「……言っとくけどオレは面倒事は嫌いなんだ。余計な仕事はくれるなよ」
「ふふ。どうしましょうね」
 ああやっぱり絶対余計なことをせがまれるのだろう、そうは思ったけれど喚ばれてしまったものは仕方がない。付き合ってやらない限りは還してもらえそうにもないし、時間なんてものは持て余すほどある。
「まったく、死んでから何百年と経ってからまあだこき使われるなんてな」
 畜生、と愛らしい少女の外見に似合わない言葉がその蕾のような唇から吐き出される。でもどことなく、楽しそうな声音。
 青年――フランチェスカはやはり、にこにこと笑うのだった。

 それから八百年の後、後にセフィロシリーズと呼ばれる精霊石達が創られた。その基礎理論はメルメ・アリオットの力によるものだったが本来既に死した者、魔術史には秘されることとなる。そしてそのまた千年後には世界統一の大国、ハイエルンドがひとりの魔術師によって築き上げられることとなる。今度は確かにただ一人、フランシス・フランチェスカの手によって。


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サークル名:oricol(URL
執筆者名:里見ヤスタカ

一言アピール
日常掌編ポエミー属。テキレボ初出張です。
普段は日本海側北陸の民として富山の河川擬人化や、最初から最後までお花畑のハッピー少女小説を書いてます。

今作は新刊のファンタジーなお話から、本編よりずっとずっとずうっと前のとあるふたりの再会のお話。嘘成分は少し薄めですが、確かに嘘(広義)は混入してます。

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