ニセ執事

 あー、イヤだ。爪で黒板ひっかく音みたい……。

 耳が起きたら感覚のスイッチ全てがオンになった。酒臭い息。冷たいフローリング。手探りで毛布を探すと何かに触れたので握る。スマホじゃない。空缶でもない。弾力と、少しの熱。
「お目覚めですか?」
 低い囁きに飛び起きた。
「初めまして未央様。あなたのしもべにございます」
 目の前にスーツ姿の七三メガネがひざまずいている。わたしの手は、彼の足首をつかんでいた。
「すみません。何も覚えていないです」
 顔にかかった髪をはらいながら立ち上がる。両手をドアに向かって流し「お引き取りください」。
「できません。未央様にお仕えする約束ですから」
 男は部屋の奥へと進んでゆく。かろうじてベッドは死守しているが、部屋はゴミ袋だらけで足の踏み場もない。
「ゴミを集める趣味でもおありで?」
「引っ越してきたばかりなの」
「いつ?」
「……夏の終わり」
「十二月の玄関は冷えますよ。熱いシャワーを浴びて体を温めてください」
 なぜかわたしは男の言うことをきいてしまった。

 何かあるなら寝ているうちに起きている。
 ひらきなおってシャワーを浴びメイクまで済ませた。
 ゴミ山からローテーブルが発掘されていた。その上に、湯気が立つ紅茶と、バナナたっぷりのトーストが並んでいる。
「買ってきたの?!」
 まじまじと七三メガネの顔を見る。
「冷蔵庫に食パンとバター、バナナがありましたので、パンにバターを塗り、バナナをスライスして紅茶用のスティックシュガーをまぶしてトースターで焼きました」
 淡々とした説明に「はぁ」と返事をしてぺたんと座る。
 ゴミさえ写さなければインスタにアップできる朝ごはんだ。
「どうぞ」と促されてトーストにかぶりついた。口の中であつあつのバナナがとける。少し焦げたシュガーが甘くてほろ苦い。
「んーっ!」
 言葉にできない。
「お出かけの時間です」
 スマホを手にとると八時半。まずい。男に「出るから!」と声をかけ靴を履く。
「いってらっしゃいませ」
 男が深々と礼をする。
「いってきます」と言いかけて、「あんたも出るの!」と部屋から追い出した。

 駅前ショッピングモールのシューズショップがわたしの職場だ。バックヤードでポロシャツとパンツのユニフォームに着替えると、開店準備にとりかかる。
 開店してまもなく男性が立ち止まった。接客しようと一歩踏み出して、見覚えのあるハンチング帽に心臓がぎゅっと縮みあがった。
 ちがう。「あいつ」じゃない。
 お客は七十代の男性で、目玉商品のスニーカーを横目に通りすぎていった。
 引っ越してから現れていないんだから大丈夫。
 昨夜は外でお酒だって飲めたんだし――帰りに変な人を拾っちゃったみたいだけど。
 まだ胃の辺りがポカポカしている。温かい朝食なんて久しぶりだった。

 夜の十時過ぎに店を出た。コンビニで缶ビールを買い帰路につく。
 ショッピングモールからマンションまで徒歩二十五分。通勤時間は短いが、駅から徒歩二十五分と考えると遠い。
 マフラーに顎をうずめ住宅街を歩く。
 街灯の下に人影が見えた。
 帰りに人と会うことはほとんどない。肩にかけたバッグの持ち手を強く握る。
 近づくにつれ、人影に見覚えがあるような気がしてきた。スーツにメガネ、今時おじさんサラリーマンでさえしていない七三ヘア。
「あんた、何でこんなとこいるの?!」
「お迎えにあがりました」
 七三メガネが悠然と礼をした。

 彼を連れて帰ったのは存在に現実味がなかったからだと思う。ビジュアルからしてアニメキャラっぽい。
「もう寝るから。適当にしてて」
 缶ビールを手にベッドで大の字になった。
 しばらくするとチーズの匂いが漂ってきた。
「夜食の準備が整いました」
 ローテーブルにチーズリゾットが用意されていた。
「胃に温かいものが入ると安心できますよ。酒の力で眠るのは体に障ります」
 この人はわたしを待っていた。食事の準備までして。
 ――開封されたゴミ袋。鍵が壊された郵便ポスト。ドアポストに投函された手紙。
 ガシャン!
 硬く乱暴な音が響いた。自分で自分がとった行動に驚いた。気づけばわたしはカフェオレボウルを床に投げつけていた。
「差し出がましいことをしました。申し訳ありません」
「どうして謝るの?」
「未央様の気分を害したからです」
 七三メガネはふきんを持ってきて、こぼれたリゾットを片づけた。
 わたしたちは向かい合って座った。ゴミ部屋に七三メガネが正座する姿はシュールだ。
 この際だ。確かめよう。
「わたしからお金を取るつもり?」
「いいえ」
「じゃあ目的は何?」
「失ったものを取り戻すこと」
 意味がわからない。
「今はわからなくて結構です。私からも質問してよろしいですか?」
 胸がドキンと高鳴った。
「なぜゴミを保管しているのですか?」
 はっとして七三メガネを見た。無表情で考えが読めない。
「ゴミ屋敷の主はただゴミを堆積させていきます。未央様はゴミを分別し袋に詰め積んでいます。生ゴミなど臭うものを玄関に集めているのは生活に困らないよう配慮しているからです」
 全て見透かされている気がする。
「前の家で、ゴミをあさられたの」

 初めはお客だった。
「定年になったばかりなんだよ。ラフなスニーカーがほしいんだ」
 六十代半ば。おじいさんと呼ぶには若々しく、ハンチング帽が似合っていた。お客さんに頼られることが嬉しくて、熱心に接客した。

「夏に、振り込め詐欺のグループが捕まったの知ってる?」
 記憶をたぐり寄せているのか、七三メガネは少し間をおき、
「被害総額が過去最高というニュースでしたね」
 そう。大規模な犯罪で「あいつ」の近くにも被害者が出たらしい。店を訪れ不安な気持ちを打ち明けてきた。励ましたくてこう言った。

「大丈夫ですよ。何かあったら相談してくださいね」

 軽率だったと思う。

 それから「あいつ」は毎日のように店に来るようになった。雑談の時間が増え、業務に支障をきたすようになった。遠慮してほしいと頼むと高い靴を何足も買い「オレは客だからな」と高圧的な態度に出た。
 上司に相談して「あいつ」は出入禁止となったが、待ち伏せがはじまった。尾行され自宅がバレた。ドアポストに映画のチケットと一方的な待ち合わせを伝える手紙が入っていた。無視しているとゴミや郵便物をあさられた。
 怖くなり、会社に相談して店舗を移ることになった。

「引っ越しの時にゴミを捨てたらそこから手がかりつかんで追ってきそうな気がして。捨てられなくなった」
 抱えていた気持ちを吐き出した。
「収集車が回収するまで私が見張りましょう」
 七三メガネの声は無表情だ。それでも誠実さは伝わってくる。
「不安は取り除いていきましょう。引っ越してきた時に、元からあった物はありませんか?」
「ないと思う」
「前の住民について不動産屋から何か話はありましたか?」
「なかった。内見しないで契約したくらいだから、ろくに話してないし・・・・・・あっ」
「何か」
「エントランスの掃除にくるおばさんが、今度は一人なのねって言ってた。前は学生のたまり場でゴミの出し方悪かったって」
「わかりました。未央様は見慣れない人や車に注意するよう心がけてください。帰りが遅い日は迎えにあがります」
 じんっと目の奥が痛み、涙がこぼれ落ちた。

 それから七三メガネとの生活が始まった。
 彼が見張ってくれるので安心してゴミを出すことができた。部屋はきれいになった。
 早番の日。駅前の店をひやかしながら、彼にクリスマスプレゼントをしようかと思い巡らせていた。靴をと思ったが、彼の靴はフェラガモ。いきなりこのクラスの靴をプレゼントするのは重い。
 ハンカチぐらいがちょうどいいかなと決め帰路につく。
 マンションのそばに見慣れないワンボックスカーが止まっていた。道を変えようか躊躇していると、車が急発進して去っていった。
 何かに追われるように部屋まで駆け抜けた。

 帰ると、彼がキッチンシンクの下に頭を突っ込んで何かを探していた。わたしに気づいていない。
 当てつけのように不機嫌声で「ただいま」と言う。
 シンク下から顔を上げた彼は、明らかにむっとしていた。のそっと立ち上がる姿には、優雅さのかけらもない。
 急に怖くなった。
「おかえりなさいませ」
 いつもと同じ声のトーンだ。
「どうかされましたか?」
 問いかけられ、車のことを話した。
 彼は顎に指を当て、沈黙した。長考から戻ると、
「その車を見たのは初めてですか?」
「初めてだと思う」
「ストーカーと決めるのは早計と思いますが気になりますね。明日は遅番でしたね。お迎えにあがります」

 その夜、夢をみた。
 わたしは暗い一本道を歩いている。
 後ろから、黒板をひっかく音がする。

 また、この音だ。

 スマホを見ると午前九時。午後からの出勤なのでまだ眠っていられる時間だ。二度寝する気になれずベッドから出る。
「お早いお目覚めですね」
「イヤな音がして。前もあったんだけど、黒板をひっかいてるみたいな音」
 ローテーブルの上に水道代の明細書が置いてあった。わたしの視線に気づいたのか、彼が「先ほどドアポストに投函されたので回収しました」と言う。そして、明細を見つめたまま、
「メーターボックス」
 突然、呟いた。
「どうかした?」
「不快な音は、メーターボックスの扉が錆びているせいかもしれません。検針のたび開閉されますから、未央様はその時の音を聞いたのかもしれませんね。ご自身で開けられたことは?」
「ないけど」
「では、後でみておきましょう」
 わたしは素直にうなずいた。
 一人暮らしの部屋に男がいること。その男が世話を焼いてくれることがすっかり日常になっていた。

 その日、彼は迎えにこなかった。
 従業員口に彼の姿はなく、警備員に七三メガネの特徴を伝え訊ねたが、そんな人は見ていないと言われた。三十分待っても彼は現れず、タクシーで帰宅した。

 暗い部屋に帰るのは久しぶりだった。一人の部屋は空間に押しつぶされそうなほど広い。
 呼びかけようとして、彼の名を知らないことに気がついた。
 ふと、メーターボックスのことを思い出した。サンダルをひっかけ廊下に出た。鉄のドアを開けると耳障りな音が響く。
 中には園芸用土のビニール袋が落ちていた。広げてみると二重で、袋と袋の間に土が入っていた。

 どれだけ待っても彼は帰ってこなかった。
 警察が来たのは何日目だったか覚えていない。事情聴取を受け、彼との関係を聞かれたが「執事のような人」としか答えられなかった。刑事は困惑していた。そうだろう。わたしでさえ、彼との暮らしを何と説明すればよいのかわからないのだから。

 報道で彼の名前を知った。

――県警は過去最大の被害を出した振り込め詐欺グループの元アジトを家宅捜索した。アジトは七月まで使用されていたが警察の捜査を逃れるため移転。その際、騙し取った現金は元アジトに隠されたままになっていた。
 詐欺グループ内で仲間割れがあり、元アジトに現金が隠されていることを知った濱屋祐太朗容疑者(24)は現金を奪うため元アジトに戻り、現在この部屋に住む女性を騙し同居をもちかけ室内を物色。園芸用土の袋に詰められた状態でメーターボックスに隠されていた現金を持ち出し逃走したが○○駅ショッピングモール前で逮捕された。

〈終〉


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サークル名:紙魚の食堂(URL
執筆者名:伊深

一言アピール
都市伝説のような、少しだけ別の世界に触れられるような短編を書いています。遠野物語のように現実と異界が地続きになっている話を目指しています。食と生活を描くのが好きで重点を置きまくっています。アンソロ作品は不思議な同居人もの。七三メガネ執事を拾ったOLの顛末。

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