裏切る君へ

 金色の刃が翻る。あれは闇を、『刹那セツナ』を切り裂く刀。だけど今は、私に向けられている。
 少女は、尻をついた床を蹴る。しかし足は滑って、刀と距離を取ることは叶わなかった。どうしてと、胸中が渦を巻く。少女は、持っていたボストンバックを抱きしめた。
 私が『刹菜セツナ』だから。私が『刹那』と、同じ姿をしているから。どうして生まれたかも、何を為すべきかも、分からないから。
「セツカ」
 刀を持つ青年が、私の名前を呼ぶ。紛らわしいからと、彼が付けてくれた、私の渾名。
「本当は、うんざりしてたんや。子供のお守りなんて、性に合わへんしなぁ」
 独特な語調は、まるで唱うようだ。その声が、実は結構好きだったと、この場にそぐわないことを思う。
「仕事じゃなきゃ、やってられへんわ」
 酷いことを言われても、それは変わらないらしい。彼の声が、好きだ。
「でも、それも終わりや。またどこかで逢えれば、そん時は遊んだってもええよ」
 刀を振り下ろすと同時に、青年が足を踏み込んだ。すると廃墟の床が、その衝撃に耐えきれずに崩れる。刀は、抱いていた鞄を掠めていた。自分は、それより先に落ちていく。
「……その先で、おっ死んでなかったらな」
 青年の声が、遠くなった。
時鳥トキトリっ」
 思わず彼の名前を呼んで、手を伸ばす。時鳥は微笑って、ただ私を見下ろしていた。

「あーあ、落ちちゃった?」
 聞こえてきた少年の声に、時鳥は後ろを振り返った。くすくすと笑う少年は、セツカと同じ容姿をしている。
「君にしては、詰めが甘いよね」
「……床が抜けるなんて、誰も思わへん」
「そうだよね、事故だ。君の裏切り以外は」
 部屋隅の影から浮かび上がるように、同じ顔をした少年が現れる。いつの間にか時鳥は、数体の『刹那』に囲まれていた。いや、最初から彼らはここに居て、姿を現しただけだ。
 彼らの巣窟だと知っていて、自分はこの場所に、足を踏み入れたのだから。
「あの子のことがあったから、君とも敵対していたけど。君のことは嫌いじゃないんだ」
「僕らと君は、ある意味同じだし」
「君の『家』は、あの子が僕たちへの切り札になるかもと、考えてるみたいだけど。僕らはただ、邪魔なだけなんだ」
「新たな『混沌』を、産み出されるとね。僕らの『混沌』は、唯一だから」
 『刹那』たちが、口々にさえずる。その一人が、時鳥に向かって、手を差し出した。
「ねぇ、僕らの仲間になってよ。そしたら君が嫌ってる、この世界を壊してあげる」
「正確には、『混沌』に還すんだけどね」
 廃墟に、乾いた音が響き渡る。時鳥は、伸ばされた『刹那』の手を、叩き払っていた。『刹那』は、きょとんとした顔で、時鳥を見つめている。その表情が、セツカとよく似ていて、笑いが込み上げてきた。
「ええよ」
 時鳥は応える。
「俺も『家』は嫌いなんや。協力したっても、ええよ」

 * * * *

『あれが「刹那」なら、今すぐに切り捨てべきだ』
『だが、使い方によっては……』
『ああ、あの娘が「刹那」を産んだように……』
『化け物には、似合いの相手じゃないか』
 隣の部屋から聞こえる声に、刹菜は無表情で耳を傾けていた。意味は分からないけれど、目の前の青年が歯を噛みしめているのを見て、良くない言葉だと理解する。
「なんでアンタ、黙ってついて来たんや」
 感情を押し殺した青年の声に、刹菜は頭を傾けた。
「あなたが、手を引いたから」
 自分の自我が生まれた瞬間に、私は『刹那』に取り込まれかけていた。目の前の青年が、そこから引きずり出して、ここへ連れてきたから。私は『私』として、存在している。
「それに、これからどうすれば良いか、分からないし」
 そう応えると、いきなり青年に押し倒された。手首を拘束する、彼の両手が熱い。彼は生きているのだと実感すると、嘲笑を浮かべた顔に見下ろされた。
「やったら、これがお前の役目やて、好き勝手ぇされても、文句は言わんゆうんか?」
「それが、私の役目と言うのなら」
 あの頃の私なら、本当にそうしただろう。良いも悪いも、好きも嫌いも無かったのだ。そういうものとして、受け入れただろう。
「……阿っ呆」
 彼は拘束を解くと、身体を離して腰を下ろし、顔を背ける。その苦虫を噛み潰したような横顔を、それから何度も見てきた。
 結局私は、わざわいでありながら、利用価値を探られて、彼に預けられることになったのだけど。
「ほんとにお前は、とろくて阿呆やなぁ」
 口の悪い彼の――時鳥の手は、私を傷付けはしなかった。

「う……」
 古い記憶が途切れると、がら、と瓦礫の崩れる音が聞こえてくる。崩れた床から落ちたことを思い出して、刹菜はゆっくりと目を開いた。
 覚悟した痛みは訪れない。訝りながら身体を起こすと、支えた手の下に、柔らかく温かな感触があった。
 身体の下に、真っ白な毛布が敷いてある。廃屋に似付かわしくない、美しい毛並みだった。思わずその手触りを楽しむと、上に乗っているのにも関わらず、毛布は刹菜の下をすり抜け、毛玉の塊になる。次いで、狐のような獣の姿に変化した。
 刹菜は、息を飲むのと同時に思い出す。崩れた床から落ちていく最中に、時鳥から預かっていた鞄から、その獣が飛び出したことを。
 獣からは、時鳥が持つ金色の刀と、同じ気配がした。これは時鳥の魂の欠片――『刹那』に対抗する力だ。『刹那』を封じる役目を持つ『家』の中で、時鳥だけが『刹那』を切り裂く力を持つ。この獣が、自分を守ってくれたのか。
「どう、して」
 刹菜の眼から、涙が溢れていく。
「嘘をつくなら、最後までちゃんと騙してよっ。時鳥!」
 彼は大切なことを、いつも嘘で誤魔化してしまう。

『本当は、うんざりしてたんよ。子供のお守りなんて、性に合わへんしなぁ』
――思いの外、楽しかった。柄じゃないと、分かってはいても。
『仕事じゃなきゃ、やってられへんわ』
――最後までちゃんと、守ってやりたかった。
『その先で、おっ死んでなかったらな』
――生き延びろ、セツカ。

 刹菜は、時鳥の言葉を反芻する。何度か深呼吸を繰り返すと、眦をきつく吊り上げた。
「時鳥の馬鹿!」
 刹菜はその場で叫ぶと、今度は獣を睨み付ける。彼女の気迫に、獣は少したじろいだ。刹菜は獣に向かって、指先を突き付ける。
「お前、私のものになりなさい! あのふざけた頭、かち割ってやる!」
 怒りに任せた刹菜の行動に、獣はおろおろするばかりだ。刹菜は、深く息を吐き出すと、真摯な眼差しを獣に向けた。
「私が生きるための、力を貸して。あの人の隣に居るための、誰にも負けない力を」
 私は禍から転じて、『刹那』をおびき寄せる餌となるように、彼の『家』に命じられた。そういうものだと思ったし、時鳥も何も言わなかったから、不満はなかった。
 そうして時鳥の傍らにいる内に、側にいたいと、自ら思うようになっていった。
 乱暴な言葉。粗雑な態度。優しさなんて、微塵も感じられなった。その不器用さに気が付くまでは。
 胸を満たす温かさを教えてくれたのは、彼だけだった。それを失いたくない。それだけが、私の望み。
 白い獣は、刹菜の手のひらに擦り寄ると、姿を変えた。刹菜の手に、白い刀が収まる。それは、あの人の手のひらと、同じ温かさを抱いていた。
「ありがとう」
 思いを込めて、刹菜は刀を握りしめる。そして天井に開いた穴を睨み付けた。

 * * * *

「……かったるいな」
 ぼそりと呟いて、時鳥は頭を掻いた。
「時鳥、こっちだよ」
 『刹那』が手を引いて、闇の中を歩いていく。無邪気な表情はセツカと変わらず、複雑な気分になる。どうやらこの『刹那』が、特に自分を好いているらしい。正直、どうでも良かった。
 『家』は好かないが、命に背けば、この力を禍と呼び、封印されるだけだ。封印されたくはないが、自由を求めて反抗するほどの欲も、時鳥は持ち合わせてはいない。
 ただ、在るだけ。自分はセツカと同じだった。そしてそれは、どこであっても変わらない。『家』が『刹那』に替わるだけだ。
 息を吐くと、頭を掻く指先に、小さな痛みが走る。指を見ると、そこに小さな毛玉がくっついていた。
「……お前」
 時鳥は少し驚いた。それは昔、セツカに触れた際に具現した、彼女の魂の欠片だった。
 それまで誰かの魂の欠片を、具現化したことなどなかった。人に触れるという行為すら、記憶にない。わざわざ他の人間で試そうという、気にはならなかった。
 小さな欠片に、セツカが気付く様子はなく。しばらくすれば元に還るだろうと、放置していたのだが。
 まだ存在していた毛玉は、毛を逆立てて、指にしがみついている。それが肌を掠めて、痛みを感じた。大した痛みではないが、この様子は恐らく。
「怒ってる、よなぁ」
 小さな身体で必死に怒る姿は、セツカそのままの様で、時鳥は思わず笑みを零す。これはあの子が、無事な証しだ。

 あの子が当たり前に存在出来る、場所を作れると言うのなら。『家』を断つことも、世界が変化することも、構いやしない。たとえそこに、自分の存在する余地がなくとも。

「お前、鬱陶しいなぁ」
 時鳥が呟くと、小さな毛玉がふるりと震えた。毛先は少し曲がったものの、逆立てるのは止めようとしない。毛玉は離れぬものかと、いまだに強く、指先にしがみついていた。
 時鳥は溜め息をつく。
「本当に鬱陶しい。お前みたいな奴は、こうやわ」
 そう言うと時鳥は、胸のポケットへ、毛玉をそっと押し込んだ。

 * * * *

 同時刻、刹菜は叫んでいた。
「ああ言ったことを、後悔させてやる!」
 怒りに任せて、彼女は白い刀を振り回している。

『またどこかで逢えれば、そん時は遊んだってもええよ』
――さよなら。

 それは二度と逢う気のない、別れの言葉。例え彼が、どんな決意を、その胸に秘めていたとしても。

「本当に、時鳥の馬鹿ぁ!」
 私はあなたに、必ず逢いに行く。


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サークル名:ハーヴェストムーンの丘(URL
執筆者名:乙葉 蒼

一言アピール
異世界ファンタジーを軸に、旅する人形や、魔法士見習いの少女などの、ほのぼの~シリアスな小説を書いています。
少年少女の出会いと、お互いの為に奮闘する姿を書くのが好きです。

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