缶詰Friend

 彼女は、明るい緑色の髪を風になびかせていた。
 夕方の河原に一人。制服姿で川を眺めているだけなのに、その姿はよく目立つ。
髪の色のせいだ。彼女の背後にある土手を行きかう人たちが、彼女の姿をちらりと見ては過ぎ去っていく。彼女をじっと見ているのは、その足元にいる犬だけだ。
 俺はため息を吐く。彼女の同級生なので、いつも人から避けられているのを知っていた。
 土手から下りて、俺は彼女に近づいていく。それに気づいて振り返る彼女。絹糸のように細い髪が揺れ、夕日に照らされて艶やかに映えた。絵画に描かれた少女が飛び出てきたような美しさだ。
「やっほ。久しぶりだね、野菜くん! もぐもぐ」
 しかし、その口調は外見から想像できないほどに軽い。それに、「何か食べてる。
「さっきまで同じ教室にいただろ、魚ちゃん」
「……え?」
「気づいてなかったのかよ! 俺、そんなに存在感ないのか」
「うん! まぁ、私も教室じゃ空気みたいだけどね!」
「誰にも話しかけられないことが『空気』だと思ってるなら、違うぞ。魚ちゃんは目立ちすぎて敬遠されているだけなんだから」
 実際、彼女はその髪のせいで友達がいない。みんな敬遠しているのだ。
 彼女は間違いなく日本人だ。それなのに、髪の色だけが他人と違う。もちろん、染めているわけではいない。望んでそんな髪色になったわけじゃないのだ。
 だけど、黒く染めればいいというわけでもない。黒く染めると、緑色の髪に染めていたことを認めることになってしまう。
 俺には彼女を敬遠する奴らが分からない。髪の色以外は、普通の人たち並みには顔立ちは整っている。いや、むしろ可愛い部類に入るはずだ。
「はっきり言わないでよぅ! 別に、私たち友達って言うわけじゃないし。ただの『嘘の友達』だし。気づかないのも当たり前じゃん」
 むっと、頬を膨らませて彼女は言った。
 『嘘の友達』とは、俺と彼女がお互いに友達を作るために協力しよう、という関係のことだ。クラス替えのない高校なのに、進級しても話し相手がいないのは俺たち二人だけだ。
 発端は彼女だ。進級したばかりのころ、一人で過ごしていた俺に『占いサイトに、地味な人と交流すると吉、って書いてあるから』と話しかけてきた。誰が地味な人だ!
 そんな関係になって二か月。二人ともいまだに友達ができていない。
「まぁ、野菜くんだからね。影薄いから仕方ないよねッ! もぐもぐ」
「……っていうか、さっきから何食ってんだよ」
 言いながら、魚ちゃんの手元に視線を落とした。
 鯖缶だった。
「また鯖缶かよ」
 魚ちゃんのバッグに、大量の缶詰が入っていることは知っている。 
「うん。このワンちゃんがお腹空いてたみたいだから、あげようと思って」
 魚ちゃんの足元に子犬が、彼女の持っている鯖缶を見つめている。
「自分が食ってるじゃねえか」
「えへへ。なんだかあげるのもったいなくて」
「バッグいっぱいに入ってるよな? あれは飾りか」
「イケてるでしょ?」
イケてねぇよ。
ただ重いだけだろ。
心の中で突っ込みつつ、子犬を見下ろした。
「お前の犬じゃないのか。誰の?」
「さあ? 迷子なのかな。飼い主の姿見えないし。でも首輪ついてるから、捨てられたわけじゃなさそう」
 魚ちゃんが、子犬を抱きかかえる。
 確かに赤い首輪があった。正面には、名前と住所が書かれた楕円形のプレートが提げられている。
「まあ、捨てるならこんなものつけて捨てないよな。住所でバレるし」
 首輪につけられたプレートに書かれていた名前を読む。
漢らしい字で『筋肉』と書かれていた。
筋肉きんにくってなに!?」
「『すじにく』って読むんじゃないの?」
「どっちでもいい! でも、この名前……まさかっ」
「どうしたの、野菜くん?」
 その名前に心当たりがあった。
 嫌な汗が流れる。

 子犬を渡すため、俺と魚ちゃんはプレートに書かれた住所の家までやってきた。その頃には日が沈みかけて辺りは暗かった。
 閑静な住宅街に、筋肉すじにくさんの家はあった。ごく一般的な家だ。玄関の脇にインターホンがあるのを見つける。
「ねえねえ、野菜くん。筋肉さんって誰なの?」
「同級生だよ」
 そんな同級生の中でも、カースト上位に位置するのが筋肉さん。
 カースト上位の人間と、俺たちのようなカースト最下層の人間が交わることはほとんどない。まして、筋肉さんは女子だ。それを意識すればするほど、緊張で手がガタガタ震えた。
だからインターホンのベルを鳴らそうとしても、なかなか押せない。
立ち止まっていると、突如玄関の扉が開いた。扉の向こうにいた数人の女子生徒が、俺たちに気づく。そして彼女らの後ろに、筋肉さんがいた。
 筋肉さんは髪を金色に染めている。魚ちゃんと同じ制服を着ているけれど、彼女は着崩していてだらしない。俺の姿を見るなり胡乱気に目を細めた。
「なに? あんたたち」
 攻撃的な口調。くっ、これだからカースト上位の人間は嫌いなんだ。
 話を早く終わらせたい。俺は抱えていた子犬を突き出した。
「こっ、ここの犬がっ迷子になってたみっ、たいだから。つ、連れてきただけ!」
「えっ……あ、あぁ。ありがと」
 細めた目を見開き、俺の手の中でじっとしている子犬に向ける。それが自分の犬だと分かると微笑み、俺の手から子犬を受け取った。
これで用事が済んだから、と踵を返し帰路に着こうとした。
「あ、あのっ!」
 が、魚ちゃんが筋肉さんに話しかけたので立ち止まった。
「なに?」
「えっ……そ、その……とっ、友達に、なって……下さい……」
「えっ……?」
 優しげな微笑みが一転、困惑に歪む。俺も彼女と同じ顔になっている。
 何言ってるんだこいつ、と。
 長い沈黙。
やがて身体を反転させた魚ちゃんは、逃げるように走り出した。
「さ、魚ちゃん!」
 俺は彼女の小さな背中を追った。

 魚ちゃんに追いついたのは、さっき犬を拾った河原だった。
 魚ちゃんは急に立ち止まると振り返った。
「あはは。やっぱり、ダメだったね」
「……急すぎなんだよ。もっと話をしないと、友達なんてなれるかよ」
「うん。そうだよね」困ったように笑って「あー、やっと誰かと鯖缶食べられると思ったのに」
「なんで鯖缶?」
「んー、別に鯖缶じゃなくてもいいよ。誰かと何かを食べていたらさ、それだけで友達って感じするじゃん!」
 同じ釜の飯を食べたい、というわけか。
俺は苦笑を浮かべた。彼女に友達ができなくてよかったと、どこか思っていたから。
……なんでそう思ったのかは分からなかったけれど。

 翌日。登校した俺は、教室内の雰囲気がいつもと違うことに気づいた。
 魚ちゃんが筋肉さんたちと話しているのだ。
自分の席に着こうとすると、どうしてもそのあたりを通ることになる。なので、会話の中身が嫌でも耳に入ってきた。
「あたしら実は――、」
 その会話を聞いた途端、俺は嫌だと思った。
チャイムが鳴って、話し声が徐々に無くなっていった。

「野菜くんっ!」
 聞き馴染んだ声に、川を見ていた俺は振り返った。昨日子犬を拾った、あの河原だ。
早く帰るべきだった。今日は、彼女と話したくない。
 緑色の髪を跳ねさせながら走ってくる魚ちゃん。笑っていた。
俺の隣までやってくると、息を切らせながら言った。
「私、友達できたよっ!」
 知ってる。今朝、見たから。
「今度は野菜くんの番だねっ! 野菜くんも友達作らなきゃっ」
「魚ちゃん……もう、俺には友達なんていらない」
「え……」
「それに、魚ちゃんには『嘘の友達』なんて必要なかっただろ。最初から嫌われてもいなかったわけだし」
 今朝、筋肉さんが話したことによると、魚ちゃんはみんなから羨ましがられていた。綺麗な緑色の髪と、人間離れした可愛らしさをした魚ちゃんを。だから話しかけづらかった、と。
本当に一人だったのは、俺だけ。
『嘘』というみじめな幻想にしがみつく必要なんて、彼女にはなかった。
 俺は、彼女に背を向ける。
「だからもう、俺たちは『嘘の友達』なんかじゃない。ただの同級生だ」
「待ってよ、野菜くんっ!」
 魚ちゃんが俺の腕をつかむと、震える声で言葉を紡ぐ。
「嫌だよ。野菜くんと話ができなくなるのも。ただの同級生になっちゃうのも」
俺も、そうだ。
 だから昨日、彼女に友達ができなくて安心した。
 だから今日、彼女に友達ができて落ち込んだ。
 だから、魚ちゃんに友達ができたことが嫌だった。
いつか魚ちゃんが離れていくんじゃないかって思って怖かった。
俺だけが彼女の傍にいたい、なんて傲慢なことを考えていた。
俯き押し黙る俺の背中から、魚ちゃんが言った。
「きっと、私たち『嘘の友達』じゃないんだよ。本当の友達になっていたんだよ。だから、野菜くんは一人じゃない」
「違う。お前には、俺は必要なかった」
「必要とか、そういうんじゃなくて……野菜くんがいないと、寂しいの」
「でも……っ」
 振り返る。
彼女は泣いていた。
「野菜くんがいないなら、友達なんていらない。野菜くんさえいればいい。『嘘の友達』なんて言ってたけど、本当は寂しかった。嘘って言う度、私たちは本当の友達になれないんだって思ったから。でも、これで野菜くんと話せなくなるなら、私には友達なんていらない。野菜くんがいい!」
「……お前、よくそんなこと恥ずかしげもなく言えるな」
「恥ずかしくなんてないよ。友達がいなくなるくらいなら、私はなんだって言える。なんだってやる。友達が大切だから。野菜くんと友達でいたいから! だから、野菜くん――」
「もういいよ」
「よ、よくなんて」
「ありがと」
「え……」
「魚ちゃん」
 昨日、彼女が言っていたことを思い出しながら、
「鯖缶食べようか」
「え?」
「昨日言ってただろ。その……と、友達と鯖缶を食べたいって」
「っ……うん!」
 土手に座り、魚ちゃんに渡された鯖缶を二人で食べる。
風が彼女の緑色の髪を舞い上げ、キラキラと夕日に映えて輝いた。


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サークル名:あおせか(URL
執筆者名:蒼那流

一言アピール
初めまして。『あおせか』では、5000字以内で『缶詰』『河原』『犬』の三つの単語を用い、性別・年齢ともにバラバラな幾人が短編小説を書きます。

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缶詰Friend” に対して1件のコメントがあります。

  1. 瑞穂 檀 より:

    青春ドラマのようで、そして文章が読みやすくて、楽しかったです。ネーミングが好きです。

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