神様は嘘をついた

「そうだな、死んだりしない」
 目の前で肘枕をついて大きな欠伸をしたその人は、酷く詰まらなそう言った。
「そうなんだ、いいなぁ!」
 死んだりしないと言う事は、ずっと生きていられる。来年も再来年も、何十年も何百年も生きていて桜を見たり、蝉の声を聞いたり、紅葉を楽しんだり、雪で遊んだり出来るのだ。
 お婆ちゃんが毎日言っているように、膝や腰が痛くなったりしないだろう……と言うか、病気もしないのだろうし、怪我だってしないんだろうと思う。
 なんだかそれって羨ましい。
どうして私は神様に生まれてこなかったんだろう?
「そんな良いもんじゃないんだが、お前さんからしたら良い事に思えるのかね」
「だって、沢山生きてたら沢山良い事があるでしょう」
「そうとも限らんが、まだ若いお前さんにそう言うのは酷ってもんかな。まあ、良い事もあるし良くない事もあるさ」
 私はちょっと考える。死なないでずっと生きている事で起こる良くない事ってなんだろう?
「うーん、お家がボロボロになっちゃう事?」
 事実、目の前で横になっている神様のお家はボロボロだった。昔は立派だったらしい小さな祠は色が剥げていて、扉や屋根の木も所々裂けてしまっている。こんなお家で暮らしていかなくちゃいけないのは、良い事じゃないと思う。
「ふふっ、そうだな。家がこんな有様なのは良くない事だな。お前さんのような子はすぐに病気になって、死んでしまうよ」
「でも、神様だったら大丈夫なんでしょう?」
「そうだな」
「やっぱり良いなぁ、私も神様に生まれてきたら良かったのに」
 そう言うと、神様は驚いたように目を丸くして頭をガリガリと掻き毟った。光が当たると緑色にも見える長い黒髪がサラリと流れて、とっても綺麗でつい見とれてしまう。金色の目も、白い肌も、体のあちこちにあるキラキラ光る鱗も、長くて綺麗な形の爪もみんなみんな綺麗。
 肩で切り揃えた髪はパサパサで、肌は日に焼けて茶色、爪も真ん丸な私とは全然違う。きっと、神様だから凄く綺麗でずっと生きていられるんだ。お家がボロボロでも病気にならないし、ご飯を食べなくても大丈夫なんて凄く良い事だ。
「ねえねえ、私も神様になりたい!」
「突然、何を言い出すんだか」
「だって、神様だと良い事ばかりなんだもの!」
 私は苔むした大きな岩の上で寝そべって、欠伸ばかりしている神様の正面で居住まいを正す。
「神様になる方法を教えて!」
「馬鹿な子だね」
「馬鹿じゃないもん」
 私は真剣なのに、目の前の神様には通じていないようだ。
「本気だもん!」
「……」
 じっと神様を見つめる。私の真剣な気持ちを分かって欲しい一身で、瞬きも忘れる程に見つめた。
「……ああもう分かった、分かった。仕方のない子だ。教えてあげよう」
「やった!」
神様はゆっくりと身を起こして私の正面で胡坐をかいた。
「ヒトが神になる方法は幾つかあるが、お前の身で一番確実なのは神の花嫁になる事だ」
「お嫁さん?」
「そうだ、お前が大人になったら嫁になればいい。完全な神にはなれなくても、それに近い存在になれる」
 なんて素晴らしい事なんだろうか。神様のお嫁さんになれば、私自身も神様に近い存在になれるなんて! なんて素敵な事なんだろう。
「わあ、なるなる! 私、夜刀様のお嫁さんになりたい」
 この目の前にいる綺麗な神様のお嫁さんになりたい。
「待て、待て」
「なんで?」
「言っただろう? お前が大人になったら、と」
 そんな事も言っていたような気がする。
 確かに、お嫁さんは大人になったらなるものだと思う。子どもはお嫁さんにはなれない。
「分かった。じゃあ、私が大人になったら夜刀様のお嫁さんにしてね!」
「……いいかい、今約束はしないよ」
「え?」
 いつも眠たそうで退屈そうにしている神様なのに、約束はしないと言った神様……夜刀様は見た事がない程真剣だった。
「お前が本当に大人になった時、まだ神になりたいと本気で思っていたのなら、その時は必ずお前の願いを叶えよう」
「大人になっても絶対神様になりたいって思ってるよ」
 だって、私は神様になりたいんだもの。
「そうか。ならば、大人になるまでの時間を待つ事くらい簡単だろう? それが神になるための修行の時間だと思えばいい」
「……分かった。約束だからね?」
「だから、約束はしないよ」
 そう言って夜刀様は笑った。
「さあ、今日はもうお帰り。家で母御が待っているだろうからね」
 空を見上げれば、空は橙色に染まっていて浮かんでいる雲も薄い橙色になっている。
逢魔時になろうと言う時間だ、家に帰らなくてはいけない。
逢魔時は夜に起き出す八百万の神々が目を覚ます時間、この時間に外をひとりで歩いてはいけないと口煩く言われている。
「うん。またね、夜刀様!」
「気を付けてお帰り」
 結局、約束は貰えなかった。
けれど、大人になったら私の願いを叶えてくれると言ってくれたのが嬉しくて、私は凄く満ち足りた気持ちで祠のある森を抜けて家に向かって走り出したのだった。

* * *

「…………」
 目の前には朽ち果てた祠の残骸。苔むした大きな岩も割れ、祠を守るように立って居た大きな木は雷が落ちたようで焼けた痕が痛々しい。
 子どもだった頃、ここはもっと大きく広くて神聖な空気の流れる場所だった。けれど、今見れば小さくて少し空気の冷たい雑木林と言う感じだ。
「こんな場所じゃ、なかったんだけどな」
 そう、あの綺麗な神様が居る特別な場所だったのだ。

『神が死なない? そんな事、誰に聞いたのかね』
 私が暮らす街に古くからある大きな神社に祀られた神様は、私と近く夫になる男性を見比べて言った。
 私が子供の頃に小さな祠に暮らす神様から聞いたのだと言うと、少しだけ何かを考えるような仕草をしてから納得したかのように頷く。
『かの神はキミとの約束を交わさなかった。その理由は、彼の命がもう長くなかったのだよ』
 そんな事は初耳だった。だって神様は不老不死なものだと今の今まで思っていたのだから。
『神との約束は絶対だからね。幼い頃にもしも約束を交わしていたのだとしたら、今頃キミはかの神の花嫁となっていたことだろうよ。それはキミが神と約束を交わしてしまったから』
 神様との約束は人が交わす約束とは違い、絶対的な契約になるのだそうだ。年齢は関係がなく、子どもの言う事だからと言う言い訳は許されない。
 信仰されなくなった八百万の神は消えてしまう。
 ヒトが参拝せずに荒れた祠、ヒトが寄り付かない神域……そこに住まう神様は徐々に力を失いそして存在を維持できなくなり消えていく。
『そう、キミの言う神はすでに殆どの力を無くしていて後は消えていくだけの存在だった。キミがやって来るその時だけ、辛うじて姿を現せている程に』
 まさか、そんな状態になっているなんて夢にも思っていなかった。だって、あの神様は私が行けば必ず苔むした大きな岩の上で退屈そうに寝そべっていたのだから。私とお喋りをして、必ず逢魔時の前に優しく帰りを促してくれたのだ。
『かの神はね……キミがあの場所に通わなくなる前に、もう消えてしまっていたのだよ。』
 そうかもしれない。あの話しをした後に神様に会う事は出来なくて、行っても居ないから私の足は遠ざかり、いつしかあの神様の事も「神様になりたい」だのと思っていた事も忘れてしまった。
『幼いキミと約束を交わしておけば、存在し続ける事も可能だったのかもしれない。けれど、それをしなかった理由は……』
 理由は?
 神社の主は綺麗な琥珀色の瞳を細めて微笑むだけで、私にその答えをくれる事は無かった。

 もし、あの時に約束を交わしていたら夜刀様はまだ存在していただろうか? まだここは神様の居る特別な場所だっただろうか?
 約束を交わす事が出来たのに、かの神様は約束を交わす事は無く……嘘をついた。
 神様が死なないなんて嘘。
 きっと、自分が近く消えてしまう事が分かっていたから付いた嘘。
「夜刀様の嘘吐き」
 あの時、正直に本当の事を言ってくれたのなら、もしかしたら何か出来たかもしれない。当時私はまだ子どもだったから、効果的な事は出来なかったかもしれないけれど……それでも、何もしないままではいなかっただろう。
「でも……ごめんなさい、夜刀様。私もあなたに嘘を吐いた」
 あの時、大人になっても神様になりたいと思っていると、神様のお嫁さんになりたいと言っていた。
「私、お嫁に行きます。安心して、相手は神様じゃなくて人間でね、私よりふたつ年上の幼馴染でちょっと頼りない感じもするけど優しい人なの」
 そう言って崩れた祠と割れてしまっている苔むした岩に目をやると、そこには小さな蛇が居た。金色の目をした、黒いような緑のような深い色の鱗を持つ蛇だった。
 普段だったら怖くて悲鳴を上げて逃げ出す所だけれど、その蛇は全然怖くなかったから私は続ける。
「私、神様にはなれそうにないけど……それで良いって思っているの。きっと、夜刀様もそう思ってくれているよね? 嘘吐いてごめんなさい。でも、おあいこだから許してね」
 遠くから名前を呼ぶ声が聞こえて、私は大きく返事をした。
「……神様って、思う気持ちで生まれるんですってね? 私がお婆ちゃんになって消える前にもう一度会って、またお話しがしたいかな。どこにいてもあなたを思っているからね、私の神様」
 雑木林の入口に婚約者が姿を現して、私は彼に駆け寄る。帰りに甘味処に寄るだの寄らないだのと他愛のない話しをしながら振り返れば、岩の上にもう蛇の姿は無かった。
 でも、きっと……あの神様にまた会える、そんな予感がした。

【終】


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サークル名:宵待ブルー(URL
執筆者名:高杉なつる

一言アピール
和風・洋風のファンタジー、SFっぽいものや、現代ものまで基本的に長めのお話を書いております。
現在は架空の大正時代を舞台にした少しダークな和風ファンタジー、架空世界を舞台にしたファンタジーを主軸に活動中です。
未熟なものが多いのですが、読んで頂けますと嬉しいです。

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