蜂蜜と少年のはじまりに

「ソラ! 今日は遊べる?」

 幼馴染のユエットが声をかけてくる。年こそ同じ二人だが着るものも粗末な孤児のソラと村長宅の跡取り息子であるユエット。二人は間違いなく親友だった。だが二人を見る周囲の目はそうと思っていない。孤児であるソラに気を使ってあげるなんて優しいおぼっちゃま、というのが村の大人の見解だ。
 ユエットの祖父はその昔貴族だった。詳しく語るものはいないが祖父が大きなしくじりを起こし、刑罰の為にこの村へと追いやられたのだ。こんなはずではなかったと零す祖父はもういないけれどその息子であるユエットの父も屋敷に勤める者たちも村に馴染もうとはしなかった。自分たちは身分の高い貴族であったという過去の栄光に縋りつき、村人を見下し身分だの決まりだのに口うるさい。彼らにとってソラはこの村で一番の弱者の類であり、元貴族の跡取り息子であるユエットが交流を持つことを良しとはしなかった。
「あと水汲みだけなんだ」
 周囲の声を理解するには幼い二人が連れ立って河辺へと向かっていく。
「なんでいつも川へ行くんだ? 村の中に井戸があるじゃん」
「井戸より川の方が近いもん」
村の最南に住むソラの家とも呼べないような小屋からは川の方が近かった。 
「さ、これで終わりだよな? 南の森の方で花が見つかったって父さんたちが話していたんだ。見に行こうぜ!」
 ソラの返事を聞くまでもなくユエットは駈け出した。
「花ってなに? 僕が見てもいいもの?」
 ソラは幼いながらに分別がある。それは大人たちの言葉と視線で育てられたものだった。
「そこらへんに咲いてるじゃん。ほら」
 ユエットの視線の先にぽつりと赤い、草とは違うものがある。それを花と呼ぶのだとソラは初めて知った。
「それなら森まで行かなくてもいいでしょ」
「こんなんじゃねぇよ。もっとたくさん咲いてるんだ! そこならきっと蜜も採れるだろ?」
 真の目的は花ではなく蜜であったと気付かされる。だが花のことすら知らないソラには蜜のことなど判るはずもない。
「蜜っていうのは花から採れる甘い水なんだって。でもそれを狙って虫が寄って来るからなかなか採れないらしいぜ」
ユエットの説明に頷きながら橋を渡り木の生い茂る森へと進んでいった。
「蜜を採ってどうするの?」
「母さんにあげたい」
 ソラもユエットの母ユシェルとは何度か会ったことがある。穏やかで優しい人だった。少なくとも父親である村長のように威張り散らしたりはしない。それどころかユエットと仲良くしてやってねと言ってくれたのだ。そんな大人は初めてだったから、ソラにとっても特別な人だった。
「母さん、最近具合がよくないんだ……そんで甘いものが好きだから、好きな物食べると元気でるかなって」
 子供らしい単純な思考。しかしそこに嘘はない。
「そうなんだ。僕も蜜を採るの手伝うよ。元気になってもらおうね!」
 二人は笑いあうと決意を新たに森の奥へと進んでいった。

 その花畑は突然目の前に現れた。薄暗い森の隙間から見えた色に互いの顔を見合って走り出す。近づいて来る色は淡い桃色。草にはありえない色。村の隅でもみかけたことがある。
「すごい! ソラ! 見ろよ!」
 興奮を隠しきれずユエットは大声を出した。呼ばれたソラは初めてみる光景にただ言葉を無くしていた。群生する桃色の花は数もさることながらひとつひとつがとても大きい。村で見た花は大きくても子供の手のひらくらいだ。だが目の前に咲く花はソラたちの顔ほどの大きさがある。
「すげぇ……これだけ花があるなら蜜だって」
 きっと採れるに違いないとユエットはしゃがみ込んでそうっと花に触れようとした瞬間、最大の難関が二人の耳に届く。初めて聞く羽音にユエットは辺りを見回す。自分たちと同じくらいの黄色と黒が空を飛んでいる姿を見つけた。
「ソラ! 隠れろ!」
 ユエットは大人たちから危険な物を教え込まれていた。頭上を飛んでいるのは『蜂』。それらは鋭い針を持ち攻撃してくると聞いている。逃れるために走ってはいけない。頭を低くしてゆっくりと離れること。教えられていたことを思い出しながらユエットは地面に伏した。
「ソラ!? 早く!」
「なんで?」
 ソラの言葉にユエットは驚く。自分が知っていることは当然ソラも知っていると思っていたから。
「攻撃される! 早く!」
 立ち上がったままのソラの足を掴んで促すもソラは動かなかった。視線は蜂に向けたまま問いかける。
「甘いものならなんでもいい? 入れ物はある?」
 ソラの言葉の意味が解らずユエットは困惑した。腰に下げた袋の中には蜜を入れるはずだった瓶がある。
「あるけど」
 機械的に言葉を返して瓶を渡す。蜂は二人の一番近くに咲く花へとまった。
「動かないでね」
 瓶の蓋を開けソラが蜂に近づく。空の瓶を差し出すと蜂は匂いを嗅ぐように口を寄せると淡い黄金色の液体を瓶の中に落とし飛び立った。
「ありがとー!」
 大きく手を振ったソラは蜂へのお礼を告げると瓶の淵についた液体を指につけて舐めた。
「これでいい?」
 茫然としたままのユエットに瓶を差し出す。しかしユエットは動かない。もう一度指に黄金色を擦り付けるとユエットの口に含ませた。
「んッ……あ、まい…?」
 初めて口にした甘味が口の中に広がる。普段の生活で口にできる甘味は果物くらいだ。甘いというよりは甘酸っぱい。こんなにはっきりと甘さだけを感じるのは初めてのことだ。
「ソラ、これなんだ!? こんなん初めてだ!」
 詰め寄られたソラの方も驚く。
「今の虫から分けてもらったんだけど……名前とかはわかんない」
 孤児であるソラは村の手伝いなどをして食料を分けてもらっていた。それらの名前は判っても森の中などで自分が採取した物の名前をほとんど知らない。したがってこの液体の名も判らない。
「これ……これがきっと蜜だよ! すげぇ! ソラ、すげぇ!」
 喜ぶユエットにソラも嬉しくなる。
「でも危ないから一人で蜂に近づかないで」
「なんで? 俺も蜜採りにきたい」
 最初は母親の為だった。見つけてみればそれはあまりにも甘美な。もちろん手にしている瓶の中身は母親に渡す。だけどこんなに簡単に集められるのなら自分だって欲しいと思うのは当然のことだ。
「僕と一緒ならいいよ……前に叔母さんと来た時は叔母さんだけ襲われたから……他の人はダメみたい」
「なんでソラだけ平気なんだ?」
「僕にも判らない。今もユエットの姿が見えなかったから大丈夫だったと思うんだ。だから毎日は無理だけど今度は一緒にいこう。蜂の巣は違うところにあるんだ。そこで分けてもらえる蜜の方がもっと甘かったよ」
 ユエットの疑問に満足な答えを返せたとは思わなかった。けれどユエットは頷いた。
「わかった! 約束する! 今度はもっと甘いのかぁ……楽しみだな」
 子供らしく単純に、次の機会に思いを馳せるユエットは笑っていた。
「さあ帰ろう。早く母さんに飲ませてやらなきゃ」
軽い足取りで二人は花畑をあとにした。

 村へ戻り二人は別れて家へと向かう。ユエットは真っ先に母親の部屋に入り込んだ。
「母さん! お土産だよ。これ食べたらきっと元気になれるから」
 ユシェルはそれを口にしたとたん険しい顔になる。元気になってもらうために採ってきたはずが母親の顔色は真っ青になっていく。
「母さん、大丈夫?」
「ユエット」
 普段怒ることのない母親の、真剣な低く硬い声をユエットは初めて聞いた。
「これはどうしたの? あなた蜂に襲われなかったの?」
 ユシェルは遥か昔。今のユエットくらいの年の頃に蜂蜜を口にしたことがあった。それは忘れられない味と想い出。その後どんなに望んでも口にする機会は訪れなかった味だ。
「ソラと一緒なら大丈夫なんだ」
 ユエットは今日の出来事をありのまま話した。ことの重大性を知らなかったのだ。
「今日のことは誰にも言ってはいけません。あなたが喋ればソラはきっと村のために飼い殺しにされてしまうわ」
 この蜂蜜があれば現村長であるユエットの父はソラに蜂蜜を採ってこさせるだろう。そしてそれを武器に貴族へと返り咲こうとする。そのためにソラは奴隷のような扱いを受けることは明白だ。ユシェルはそれを望まなかった。貴族になりたいとも思ってはいない。そしてなにより素直で優しい、息子の友人をそんな目に遭わせたくはないのだ。
「母さんと約束して。このことは母さんも忘れるから……ユエットとソラの、二人だけの秘密になさい」
 意味が解らなかった。しかし母親の真剣な表情に頷かざるを得ない。
「もっとあなたたちが大きくなって、ユエットが村長になれるくらいの大人になれたら。その時が来たなら人に話してもいいわ」
 ただし必ず自分たちの味方になってくれる信頼のおける人にだけ話すこと。それを息子に約束させる。
「私はいつもあなたに『嘘をついてはいけません』と教えてきました。でもそれを取り消します」
 子供の教育を覆す言葉をユシェルは口にする。
「『自分と友達を守るために、上手に嘘をつきなさい』それができなければあなたとソラはもう二度と会えなくなると思ってちょうだい」
 ユエットにとって貴族になれないことよりソラと会えなくなる方が大事だ。二度と会えなくなるなんて。それも自分の父親のせいで。そうならないために嘘は必要なのだ。
「解ったよ、母さん……ソラにも伝える。僕らは上手に嘘をついて、このことは誰にも言わない」

 
 この日、少年は大人になるための階段を登った。時には嘘も必要なこと。自分のために。友達のために。
 ただ真っ直ぐに親の言うことを聞いていればいい時代を過ぎて大切なものを守るためには汚れることも必要だと身をもって知ったのである。

 この嘘をつかなくてよくなる日は遠い未来のことではない。それを知らない二人は誰にも言わず嘘を吐いて。暫くの間、二人だけの甘味を楽しむのだった。

おしまい。


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サークル名:月灯(URL
執筆者名:月灯

一言アピール
少年が二人、求めたものは。 創作ファンタジーです。そこは蜂が巨大化した世界。文明も発展していない世界では半ば伝説と化している蜂蜜を巡る少年たちの物語です。テキレボ当日に同シリーズ『蜂蜜と少年』を委託予定になります。

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