嘘つきの末路

Q.大切な人に嘘をつかれたら、貴女ならどうしますか。
A.
「ぶ、ち、こ、ろ、す!」
 ドスのこもった声とともに、佐用さよは包丁を叩き刺した。びんと一閃、机に刺さった包丁を前に、遠巻きになったクラスメイトから怯えを含んだどよめきが起きる。
「佐用ちゃん、落ち着いて。あのひょろひょろナヨナヨした人が浮気するなんて思えない。勘違いじゃないの?」
 その群れから、唯一人。宥めるように進み出たのが、友人のむく。さも常識人のように振る舞っているが、常に顔を覆い隠す能面をつけているので、教室の中でも一際異彩を放つ変わり者である。そんな顔無に、佐用は言い返した。
「ひょろナヨじゃないもの! それに、勘違いでもないわ!」
 昨夕のことだ。学校からの帰り道。深山から少し離れた池のほとりで佐用は見た。他の女へ微笑む彼と、頬を染める女の姿を。
「話は聞いた?」
 当然問い詰めた。しかし、当の本人は食事に行っただけだと何食わぬ顔で言い、怒り散らす佐用に対して、何がいけないのか心底分からない顔をした。
「……彼が、あたしの運命だと思ったのに」
 すれ違いが続いていたところに、今回の事だ。深山。故郷とは遠く離れた異郷の地。この辺境の山奥に来たのは、彼の望みだった。初めて、恋した人。生まれ故郷も、親も捨てて、彼の背だけを追いかけ辿りついた場所。しかし正直なところ。佐用はこの地は苦手だった。豊かに繁った山以外、本当に何一つないど田舎。排他的な住民たちは余所者に冷淡で、むくの存在がなければ、佐用は心折れていた。事実今も遠巻きから、人間はこれだからという言葉が漏れ聞こえて、気分が沈んだ。
「おー、修羅場か。面白いけど、放課後にやれ」
 いつの間に予鈴が鳴ったのか。教師が扉を開けて入ってきた。席につくクラスメイトを後目に、佐用は消沈した心のまま、突き刺さった包丁を抜くためにしずしずと手を添える。しかし、しっかりと刺さったそれは、力を込めてもびくともしない。今日の授業は人間の習性について。ご機嫌の教師は教科書を開き尻尾を揺らす。結局。包丁が突き刺さったままの机で、佐用は授業を受けることになった。

 終業の鐘とともに立ち上がる、友人の行動は早かった。やはり誤解としか思えないと、彼女は佐用の手を取り下駄箱へと向かう。握られた手に勇気を貰いながら進んで行くと、廊下の向こうに一人の少年の姿を見つけて、むくが手を振った。
「あ。はるちゃん。お義母さんがおはぎ作ったの、食べる?」
「……甘いのは、好きじゃない」
「分かった、お屋敷に二個もってくね。じゃあ、あとで」
 ただそれだけの会話の後。二人は立ち止まることなく別れた。あまりに簡素なやり取りに戸惑いながら、佐用は少年の立ち去った方向を眺める。
「……むくは、あいつのどこが好きなの?」
 すき? ぽかんとした友人の顔に向かって、付き合っているんでしょうと言葉を重ねれば、空白の時間が流れたあと。彼女は力一杯首を振った。
「ない。ない、ない、絶対ない。ただの幼馴染だよ」
 それに、はるちゃん。決められた婚約者いるんだよと彼女は言う。しかし、佐用には信じられなかった。あれ程一途に目で追いかけているのに? 声を弾ませ、呼びかけた少年・春鬼。佐用は知っていた。彼がむくの一番だと。

 それは、一月前のこと。
「友人の、一番になりたい?」
 彼の問いに佐用は頷く。むくは、佐用の初めての友人であり、高飛車な態度に呆れず見放さず、常に同じ立場で接してくれた人だ。しかし時折。彼女のことを思うととても悲しくなる。むくは自立心が強く、他者と一線を引く所がある。彼女に真に友人は必要なく、学校を卒業すれば二人の関係はそこまでとなるのではないか。そう思えば、悔しくて、悔しくて、涙は絶えず零れ落ちた。どうすれば、むくの一番になれるだろう。彼女の幼馴染――あの少年よりも、ずっと近く。唯一無二の理解者に。
「それは過ぎた願いです」
 しかし少女の訴えを前に、彼は首を振る。だって貴女の一番は、私でしょうと。ああ、そうだ。佐用にとっての一番は、むくではない。あの嵐の夜。都の空に現れたものに、一瞬にして心奪われた。その尾を追うように裳裾を翻し、素気無く追い返されることを繰り返し五度。彼だけを追い求め、辿り着いた深山で、やっとその心を手に入れた。
「じゃあ、これは何」
 時折。彼女が他の誰かと話す度、煩わしく思う。彼女が他の誰かに笑いかける度、憎らしく思う。あの少年が、妬ましくてたまらない。涙を流しながら、少女は問う。むくの一番でありたいと願う、この感情は何なのだと。
「佐用。その思いを大切にしてください……それは、生きることに繋がります。ゆっくりと大人になりなさい。貴女には、その時間がたっぷりとある」
 しかしそう言う彼は、同じ唇から残酷な言葉を吐いた。
「一月の後、深山を去ります。貴女のかけがえのない友人に、別れを」

 思えば、すれ違いはあの時から。何故、彼が深山を離れること決断したかは、分からない。ただ僅かに残された猶予やさしさに、彼は加えて言った。もし説得できたなら、むくも連れて行ってもいいと――
『むく。都に行ってみたいと思わない?』
『おいしいお団子のお店があるのよ、ちょっと遠いけど』
『むく! むく! 心細いの、ついてきてぇ』
 しかし、佐用の奮闘空しく、友人は一度として深山を離れることをよしとはしなかった。むくは言った。仮面の内に全てを隠したまま。佐用ちゃん、大切な人に嘘をつかれたらどうする、と。

 嘘をつかれるのは嫌だ。それが大切な人ならば、尚のこと。怯える少女はやがて池へ――恋しい人の真実へ――と辿り着く。
「……やっぱり」
 その瞳に映るのは、寄り添う一組の男女。今度こそ決定的な瞬間だ。昨日とは別の女だったのが、尚更質が悪い。青ざめた佐用は諦観とともに瞼を閉じた。その拍子に涙が一粒落ちて――素敵で不思議なおとぎ話は、そこでおしまい。に、なるはずだった。
「佐用ちゃん、泣かせんな! こんの、ロリコン!」
 それが、あの理性的なはずの友人の罵声で打ち砕かれ、瞬時に涙が引っ込んだ。
「ロリコンはやめよ! ん……佐用、佐用ですか。何を泣いて……まさか昨日の件ですか。お、落ち着いてください。私は嘘など、だから本当に」
 『食事』に行っていたのです。そう言って、ばくりと傍らの人間の女を丸のみして、巨大なる白い蛇は弁明する。二人の娘はあまりの出来事に、愕然と目を見開いた。
「……佐用は、笑った顔も怒った顔も可愛らしいですけど。泣いた顔は最悪です」
「……あんたのせいで泣いているのよ」
 疑惑は思わぬ形で解けたが、想定外のことに佐用は言葉を失ったまま。ただ代弁するように、紛らわしいロリコンめと、横でむくが珍しく声を荒らげる。
「だから私はロリコンではないと……ただ佐用が十二で、まだ稚いだけです。佐用、何です、このやたら無礼な娘は……まさか、これが。のっぺらぼうの、むく?」
 人ならざるモノの住処。あやかしの里、深山。そこで三つも年上でありながら、人間である佐用と対等な友人となってくれた人。思春期の友人は、のっぺらぼうゆえに目鼻のない顔にコンプレックスを抱き、常に顔を隠していた、はずだった。
「……これが、顔無? ……は。なるほど。君か。君が……哀れな――哀れな、娘よ。君の内には、深く根付いた呪いがある。佐用。これは、駄目です。連れて行くなど端から無理だ、彼女だけは救えない……これは、滅びです」
 とおく、美しき山の稜線を眺め、思いはせた白蛇神は選んだ娘へと告げる。
「我が友は死に、かつての深山ももはやない。昔は居心地が良かったのですけれど……佐用」
 今日で、一月です、と。静かに告げたその声に佐用ははっと息をのんだ。待ってと言葉を重ね、追いすがっても、その目に宿る固い意志を悟る。行きましょう。彼は言った。ここにあるのは、破滅だけだ、と。
「……むく。おねがい。あたしたちと、一緒にきて……っ」
 佐用は、必死に手を伸ばした。彼女が握り返してくれるなら、全力で助けるつもりだった。今にも地を発とうとする彼を止め、涙目で訴える。すると伸ばした手の先で、佐用を呼ぶ声がした。娘の前で、ゆっくりと、友人が面を外す。仮面の下から、現れたもの。隠し続けた本当の顔と晒された真実に、愕然とする佐用に向かって、むくは言う。
「佐用ちゃんは、大切な人に嘘をつかれたら、どうする?」
 素顔に笑みを浮かべた娘は、佐用の手を取らなかった。彼女が望んでいたのは、心地よい滅びだけ。伸ばした手は空を切る。自分はきっと、彼女について知らない事だらけだった。だけど。
「――嘘でもいい」
 はっきりと、佐用は彼女に向かって口にする。それの、何がいけない。ただ確かにこの胸にある――彼女の先を祈る感情を、友情と呼ぶのではないか。
「むくが、変わらず。生き続けていてくれるのなら、あたしは、嘘でもいい」
 目を見開いたあと。むくは、あわく。にじむように、笑んだ。彼が、跳び立つ。深く沈んだ胴体が、勢いとともに大地を蹴れば体が浮き、一躍にして山を越える。跳び上がる、刹那。友人の姿が掻き消える、一瞬。風に攫われる音に紛れて、ごめんなさいと彼女が言った気がした。

 十数年後。少女と蛇神は再び、思い出の残る深山の地を訪れる。
 かつて何もないと思ったことさえ悲しくなるほど、そこには何もなかった。枯れ果てた深山。命が潰えた地で、少女は友人の結末を知る。
 大切な人に嘘をつかれたらどうすると、かつて友は問いかけた。人間であることを隠し、あやかしと偽り生きた少女。最期まで、鬼とともに在ることを願った娘。むく、全てを隠して微笑んだ。あの仮面の内に、貴女は何を思っていたの。声はもう届かない。失われた地で、佐用は涙を落とした。
 それが、あたしの知る、嘘つきの末路。


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サークル名:独楽文庫(URL
執筆者名:松井駒子
一言アピール
このお話は、『おいしい人間の食べ方―深山の神と贄の少女―』という物語の前日譚です。
本編は、春鬼とむくを中心にしたお話です。全三話のうち、一話はネット上で公開しており、春鬼とむくの結末も読めますので、ご興味ありましたら、タイトルそっと検索してみてください。

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