嘘と秘策のえとせとら

 待盾まちだて警察署刑事課には、秘策――神秘対策係という奇天烈な係が存在する。
 幽霊、妖怪、超能力者に宇宙人、えとせとらえとせとら。そんな「不思議の国の住人」が集うと噂される「特異点都市」C県待盾市は、不可思議な現象に事欠かない。
 とはいえ、事件性を伴うものはごく一握り、当然そのような事件を専門に扱う秘策もそう忙しいはずがなく、警察署の一角に位置する神秘対策室には、今日も珈琲の香りと一緒に、ぬるま湯のようなまったりとした空気が漂っていた。
 そんな中でも、八束結やつづか・ゆいはパソコンのキーボードを叩いて他の係から回された事務仕事を黙々と片付けていたわけだが、ひとたびディスプレイの向こうに視線を向ければ、対面に座す『教育係』兼『相棒バディ』の南雲彰なぐも・あきらが、机の上に積みあがった南雲手製ぬいぐるみのうち、つぶらな瞳と垂れた耳、長い胴体が特徴のダックスフントくんを持ち上げる。
「やーつづか、あーそーぼ」
 八束は、くにくにと短い脚を動かすダックスくんから露骨に目を逸らす。
「仕事中です、南雲さん。仕事しろと言っても無駄なのはわかっているので、せめて邪魔をしないでいただけますか」
「ちぇー」
 南雲はぬいぐるみを手放すと、机の上に突っ伏す。ふさふさもふもふとしたぬいぐるみの中では、南雲のトレードマークであるスキンヘッドが更に存在を主張して仕方ないわけだが。
「そういえばさ、八束ー」
「ですから、遊びませんよ」
「いや、ここからは仕事の話。綿貫わたぬきさん、どこ行ったの?」
「係長なら、怪奇現象の相談に来た方とお話し中です。秘策の知名度が少しずつ上がっているのでしょうか、少しずつですが相談件数が増えてきているようですよね」
 八束の言葉に、南雲は「ああ」と言って顔を上げる。黒縁眼鏡越しにもはっきりわかる、目の周りの濃い隈に鋭い目つき、眉間に深々と刻まれた皺は、どう見ても不機嫌そのものだ。しかし、一方でその薄い唇から放たれる声は、いたってのんびりとしたものだった。
「とはいえ、結局どれもこれも見間違いに思い違い、この前の一件にいたっては真っ赤な嘘、秘策うちをからかうための性質の悪いいたずらだったんでしょ? なかなか難しいよねえ」
 現在、秘策を構成しているのは三人。ヒラ係員の八束と主任の南雲、そして、係長の綿貫栄太郎わたぬき・えいたろうだ。秘策は極めて暇な部署ではあるが、綿貫は不思議といつも忙しそうで、自席にいないことの方が多い。そんな綿貫の仕事の一つが、オカルトに悩まされる市民へ窓口を開き、気軽な相談を受け入れることであった。
 そのような仕事こそ、八束や南雲が担当すべきなのかもしれないが、綿貫は苦笑を浮かべて曰く。
『八束くんはまだうちに来て日が浅いですし、南雲くんは……、南雲くんですからね』
 スキンヘッドに土気色の顔、不景気な顔つきの南雲を前に「気軽な相談」などできるはずもない、という意味であることくらいは、流石に察しの悪い八束でもわかってしまったわけで。
 ともあれ、南雲は元は灰皿であったらしいガラスの器から、色とりどりのチョコレートを手のひらいっぱいに掴み、口の中に流し込んで咀嚼する。もっしゃもっしゃ、という音は、チョコをコーティングする、色のついた砂糖の殻が割れる音だろう。
 そんな「怠惰」を絵に描いたような南雲を睨みながらも、八束は話を続ける。
「相談者の思い違いであるならばよいのですが、嘘やいたずらに対しては流石に何らかの措置を取るべきではないでしょうか」
「うーん、仮に真っ赤な嘘でも、片っ端から排除するわけにはいかないから、難しいんじゃないかな。特に、秘策うちはね」
 八束とて、南雲の言いたいことがわからないわけではないのだ。
 秘策とは、奇天烈な出来事に事欠かないここ待盾において、一見不可解な事件が実際には不思議でも何でもない「人の手による事件」であることを証明するために作られた係である。つまり、どれだけ突拍子もない話でも、それが他愛のない認識違いや嘘であると証明できない限り、真剣に耳を傾けねばならない。
 それはわかるのだが、どうにももやもやを払拭しきれない八束に対し、南雲は仏頂面のまま器の中のチョコレートを一粒摘み、口を開く。
「少し前に、嫌な事件があった。流石に八束も知ってるかな、数年間に渡る連続猟奇殺人、通称『連続吸血殺人事件』」
 突然、話が変わったことに面食らいながらも、八束は反射的に頭の中に綴じられたデータを参照する。
「は、はい。当時わたしは学生でしたので、事件の詳細までは把握していませんが」
 それでも、いくつか知っていることはある。
 例えば、事件の被害者は例外なく、全身の体液を失った変死体として発見された、とか。
 日本の各地で被害が見られたものの、被害者に共通点は全く見いだせなかった、とか。
 数年に渡る捜査にもかかわらず、犯人は未だに捕まっていない、とか。
 それでいて、数年前を境にぱたりと事件は発生していない、とか。
 思い返すだけで眉間に皺が寄る、凄惨かつ不可解な事件だ。ただ、捜査に関わったことがない以上、八束の実感からはかけ離れた事件でもある。
 しかし、その事件が一体何だというのだろうか。話が見えず戸惑う八束をよそに、南雲は一つずつチョコを口に運びながら話を続ける。
「例の事件には何人か容疑者がいたんだけど、中でも確実にクロだと思われてた奴がいたんだ。被害者が殺害されたその場に居合わせてたっていう奴がね」
 容疑者が数人いた、という話は八束も人づてに聞いてはいたが、詳細を聞くのは初めてだ。八束は自然と背筋を伸ばして、南雲の話に聞き入る。
「でも、そいつは容疑を否認して、こう言ったんだよ。『被害者の横に佇む、翼の生えた男を見た。その男は次の瞬間、忽然と姿を消した』ってな」
「翼の生えた男……、です、か?」
 ぞくり、と背筋が凍る。こんな部署にいながら怪奇現象を極端に苦手とする八束にとっては、その程度の話でも恐怖に値するのである。と言っても、八束のそんな反応にも慣れたらしい南雲は、淡々と話を続けていく。
「もちろん、聴取を担当した誰もが、そいつの話を信じなかった。犯人だと思われたくないがための、苦し紛れの嘘だって」
「そうですね。わたしでも同じことを考えます」
「俺も、話を聞く立場ならまずそう思う。でもね」
 南雲は分厚い眼鏡の下で、隈の浮いた目を更に細める。
「その容疑者が勾留されてる間も、警察をあざ笑うように、再び事件が起こってしまった。結局、いくら事件が起こっても、真犯人はわからずじまい」
 そこで一度言葉を切り、器の中のチョコを掴んで一気に口に流し込む。多分、珍しく一気に喋って疲れたのだろう。南雲は行動の一つ一つに異常なほどのカロリーを消費するらしいから。
「まあ、だらだら話したけど、要するにその容疑者とやらの話の真偽は誰にもわからなかった、ってのがポイントなんだ。もし、そいつの話を本気で聞く奴が一人でもいたなら、何かが変わったかもしれない――そんな風に考えたのが、当時の綿貫さん」
「え?」
「実際、綿貫さんはそいつに再度話を聞こうと試みたんだ」
 でも、遅すぎたんだ、と。南雲は言って、長い指を組む。
「長らく嘘つき呼ばわりされた結果、そいつの認識は完全に歪んじまって、当時を思い返すことすらできなくなってた。世の中、お前みたいに物事を『正確に』記憶し続けてられる奴の方が圧倒的少数派だからね」
「それで……、結局、本当のことは誰にもわからなかったのですね」
 そして、今もなお、かの事件は解き明かされることのない迷宮の奥にある。やりきれなさに胸が締め付けられたその時、南雲があっけらかんと言った。
「以上が、綿貫さんが秘策を作った経緯なんだけどね」
「そうだったんですか!」
「そうだったんですよ。一見、嘘や作り話に聞こえるそれらの正体を確かめるために。もし嘘であっても『嘘でよかった』って言えるように、だってさ」
 南雲はちらりと視線を奥の机――今は主のいない席に向ける。
「いやはや、笑っちゃうよね。甘っちょろいにもほどがある」
 笑っちゃう、と言いながらも、南雲は笑み一つ浮かべることはなかった。いついかなる時でも、眉間に深く皺を寄せ、不機嫌そうな面でものを語る。それが、この男の奇妙な特徴の一つであった。
「しかし、南雲さんは、そのような係長の方針に賛同して、秘策にいるんですよね」
「いやいや、俺は綿貫さんに捕まって逃げられなかっただけ。その辺はお前と同じだよ」
 八束は、別に綿貫に「捕まった」というわけではない。ただ、ここ以外に逃げ場がなかった、という点だけは間違っていないかもしれない、とつらつら思考を巡らせていると、ふ、と南雲が小さく息をついた。
「だけど、まあ……、確かに、綿貫さんの考え方は、嫌いじゃない。八束も感じてる通り、回りくどいし無駄だって多いけど、これこそが『秘策の』やり方なんだと思うよ、俺はね」
 そう語る顔は依然として仏頂面ではあったけれど、声はあくまで穏やかで、南雲なりの、綿貫への敬意が感じられた。
 だから、八束も。
「はい」
 ぴんと背筋を伸ばし、南雲の言葉を――秘策という係と、そのやり方に祈りと望みをこめたのであろう、綿貫の意志を受け止める。
 しかし、それでひとまず納得はしたものの、もう一つだけ、気になることがあった。
「そういえば」
「ん?」
「翼の生えた人を見た、と証言したその人は、結局その後どうしたのでしょうか。南雲さんは、ご存じですか?」
 八束の問いに対し、南雲は分厚いレンズの下で目をぱちりと瞬かせ、それからほんの少しだけ、口の端を歪めて言った。
「さあね。案外、楽しく生きてるんじゃない?」


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サークル名:シアワセモノマニア(URL
執筆者名:青波零也

一言アピール
「幸せな人による、幸せな人のための、幸せな物語」をモットーに、ライトでゆるふわな物語を綴る空想娯楽屋。妖怪や超能力者が跋扈する架空都市の現代もの、終末を迎えた未来世界の群像劇など、SF風味ファンタジー中心。今回はゆるふわなんちゃってミステリ『時計うさぎの不在証明』番外編をお送りします。

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