柊彼方と四月一日

生徒会室の扉を開けると、荒縄で縛りあげられた少年が転がっていた。
「……」
「……」
ご丁寧に猿ぐつわまで噛まされ、しゃべれない彼は、銀縁眼鏡の奥の瞳に涙を溜めて必死に念を送っていた。『助けてください』と。
「……おやおや。ずいぶんと変わった格好だね?生徒会に何か用かな?」
そんな少年の懇願テレパシーは、残念ながら扉を開けた人物には通用しなかった。ただ、絹糸のように艶やかな前髪が小首を傾げる動作にあわせてサラリと揺れる。
「んぅー!」
いっそ、悲痛なほどに精一杯の声で、少年は訴えかけた。
「ん?ああ、それじゃあ用があっても言えないよね。ごめんごめん」
そう言って、にこやかに少年を見下ろしていた人物――生徒会長の柊彼方ひいらぎかなたは、しゃがみこむと猿ぐつわを外しにかかる。
「あれ?結構、固く結ばれているなぁ」
手間取っている彼方を不安そうに見つめていた少年の視線が、ふと彼方の背後を見た。そして、いきなり恐怖に魅入られたかのように目を見開く。
「えーと、ここがこうなって、と。よし、解けた!」
そう言って、満足げな笑顔で布を取り去った彼方に向かって、少年が叫ぶ。
「会長!後ろ!」
「ん?」
振り返った彼方の細く切れ長な目が捉えたのは、自分の頭目掛けて振り下ろされる金属バットだった。
「おっと、危ない」
「……ちっ!」
間近にせまっていたバットの先端をひょいとかわした彼方に対して、バットの持ち主は舌打ちをする。
「いきなり背後から襲うのはいただけないなぁ、椿さん」
「柊君なら、避けるだろうとは思っていたわ」
姫カットに群青色のカチューシャが良く似合う女子生徒、椿遥つばきはるかはバットを刀のように構え、堂々と言い放った。
「それでも、私の下僕……もとい、部下候補をみすみす逃がすわけには、いかないのよ!」
「え?この子、生徒会に入るの?」
少し驚いたように、彼方は少年を見る。
「ええ。私は確かに聞いたわよ?たまたま一年生の教室の近くを通ったら、彼が「来年、生徒会に入る」と明言していたのを」
勝ち誇ったように胸を張る遥に、彼方は曖昧な笑みを浮かべつつ、問いかける。
「……それ、いつの話?」
「去年よ。ちゃんと言質取れるように、しっかり生徒会のブログにも書いたし、今日は契約書だって作ってきたんだから」
「生徒会のブログにそんな記事があった記憶は、ないなぁ」
「あら、あるわよ。ちょっとそこだけ文字が背景色と同じ設定に、“うっかり”変わっているだけで」
遥の言う“うっかり”が確信犯であることは、彼方にも分かっている。椿遥という少女は自分の利益のためなら、多少汚い手でも平気で使うのだ。この一年、共に生徒会の会長と会計という立場で活動してきて、彼女のこの性格は手の施しようがないと知っている。もっとも、手を施すつもりも、彼方にはなかったが。
「あの、その、ブログに書いてあるのは、知ってます……」
それまで、成り行きに流されていた当の本人が、おずおずと口を開いた。
「え?知っているって、どういうことだい?」
「僕、ネットが趣味で。生徒会のブログもチェックしてて、余白が妙に多く感じてドラッグして文章の色を反転してみたんです」
「……よくわからないけど、それで、どうして君は今日、ここで大人しく捕まっていたの?」
別に少年は大人しく捕まっていたわけではない。ただ、補習授業で登校し、課題を終えたので普通に帰宅しようとしたら、自転車置き場の影に待ち伏せていた遥に不意を突かれ、バットで殴られ気絶し、気がついたら生徒会室に転がされていたのである。逃げようにも、縛られて動けなかったのだ。
「でも、その、日付を、よく見て、欲しいんです」
ただ、少年自身は、校内で遥の(主に良くない)噂を聞いて、いつかこういうことがあるだろうと予測していた。そして、それを回避できるとも考えていた。
「日付?」
首を傾げつつ、彼方は自分のスマホをポケットから取り出し、李学園高校生徒会のブログにアクセスする。
「えーと、どの記事かな?」
「この、『今日は入学式!』ってやつです」
横から画面を覗いた少年が、該当の記事を指し示す。
「入学式なら、毎年、四月一日だね」
「そうなんです!四月一日です!」
興奮気味にそう言う少年に、彼方はきょとんとした目を向ける。その反応で、少年の背中を冷や汗が伝う。
「それが、何か?」
本当に純粋に疑問だというように、彼方は小首を傾げる。
「え?何か、って、エイプリルフールですよ!僕が生徒会に入る、っていうのは、だから、嘘だってことです」
少年の目が焦りからか、左右に泳いでいる。
「エイプリルフール?って何だい?椿さん、知ってる?」
「いいえ、聞いたこともないわ」
遥のその答えは、完全に嘘だろう。何故なら、どう見ても目の奥で笑っているのだから。
「でも、直訳したら『四月馬鹿』かしら。だからきっと、どこかの馬鹿が馬鹿なことをしでかす日なんでしょうね」
たとえば、去年のこの子、とか。と遥はいまや笑みを隠さずに言った。それはまさしく悪魔の微笑みだと少年は思った。
「まぁでも。君は結果的に馬鹿ではないわ。この私が君の発言をたまたま聞いて、こうして一年後の今日、四月一日というこの日に、本当に生徒会に入れさせてあげるんだから」
「いや、その、僕、生徒会に、入るつもりは、ない、んですが……」
「あら?嘘は良くないって、教わらなかったのかしら?二年B組出席番号三十四番、万年帰宅部で友だちいなくて嘘ついてまで人の注目を集めたかった萩優介はぎゆうすけ君?」
「……あの、え?」
戸惑う少年の目の前に、遥は膝を抱えてしゃがみこむ。
「君、中学のとき、相当な嘘つきだったって有名ね。同じ中学だった子達から、君の色んな話を聞いたわよ?」
「な、んで……」
「同じ中学からの入学者が一人もいないからこの高校に入学したのに、って思ってるわね?でもこのご時勢、一人の人間の情報を洗うのは、意外と簡単なのよ?」
それなりのお金を払えば、ということは、遥は口にしない。
「君とは一応、交渉しようと思っていたの。そのための材料も揃えたけど、見たい?」
そう言って、遥が振って見せたのは、一枚の写真だ。
「!」
そこに映っているのは、少年――萩優介と一人の幼い少女だった。
「彼女、今でも君のついた嘘を信じていたわ。優兄ちゃんはヒーローなの!って」
「お願いします。あの子に本当のことは、言わないでください」
「んー、どうしようかなぁ?まだ言ってないけど、君が生徒会に入ってくれないと、言いたくなっちゃうかもね?君が本当は中学の生徒会長でもなければ、サッカー部のエースでもないし、学年一の秀才でもないんだって」
絵に描いたようなヒーロー像を、少女は素直に信じた。そして、優兄ちゃんはすごい!かっこいい!とはしゃいだ。それが孤独だった優介には嬉しかった。
「あの子、心臓に病気を抱えていて。あまり学校にも行けなくて。体調がいいときにだけ、僕が通っていた図書館にお散歩に来るんだって言ってて。本が好きで、物語が好きで、夢見がちな子なんです。でも、それが彼女の生きる力になっているってことも、僕は途中で気がついて」
「それで、嘘みたいな自分の経歴が嘘だと言えなくなったのね?」
「はい。あの子と話しているのを、偶然聞いていた同級生がいたみたいで。僕が嘘つきだって、あっという間に噂になって」
そこからの中学生活は悲惨だった。人の噂は七十五日というが、優介に対する嘘つきのレッテルは卒業まで貼られ続けた。それが原因でいじめにもあった。
「だから、高校は家から遠くて、僕を知っている人が誰も居ないこの李学園を選びました。新しくやり直すつもりで」
だが、萩優介は結局、やり直せなかった。元々、引っ込み思案で人付き合いが苦手な上に、いじめによる心の傷が人間不信を招いていた。だから、彼はエイプリルフールにかこつけて、少々大胆な嘘で初日に友だちを作ってしまおうと考え、そしてあえなく撃沈したのだ。入学早々変人ぞろいと噂になるほどの生徒会に、来年入る!と宣言した彼への周囲の反応は、平たく言えばドン引き、だったのである。
「ちょうどいいじゃないか。君は部活にも入らず、孤独に帰宅部なわけだろう?」
「え?」
驚いたように顔をあげた優介に彼方は微笑みかける。
「だったら生徒会に入るのは、君にとってもそう悪いことじゃないさ。確かに、この椿さんは色々と厄介事の種を持ってくるトラブルメーカーだし、副会長の銀二はサボってばかりで仕事しないし、僕だって正直、生徒会長になったのは、何か面白そうだったからってだけだし、生徒会としてこの一年どうやって活動していたのか、よくわからないほどなんだけどね。でも、少なくとも、君に孤独を感じさせることは、ないと思うよ」
彼方の言葉に、優介はただ呆然としてしまう。変人ばかりの生徒会、中でも会長が一番の曲者だと生徒の間では噂されていた。でも、この人、思ったより、まともかもしれない。
後に、それが大いなる勘違いだと、萩優介は散々、思い知る羽目になるのだが、このときの彼はまだそんなことは知らない。
「……僕、生徒会に、入ります」
その一言が、後の優介を受難の日々へと向かわせたのだった。

「ところで、柊君。エイプリルフールを知らない、なんて、嘘よね?」
「うん。近頃は、ニュースにもなったりするし、もちろん知っているよ。でも、あの時は、とぼけたほうが面白そうだったから」
そして実際に、遥による交渉とは名ばかりの脅迫劇が見られて、彼方はご満悦である。
「柊君って、面白いことのためなら、悪魔に魂も売りそうね」
こいつだけは、敵に回したくないな、と思いながら、遥はぼそりと呟いたのだった。
「うん。だって、人生はつまらないより、面白い方が良いじゃないか」
そう言って、柊彼方は本当に楽しそうに微笑む。本当の悪魔の微笑みとは、こんな無邪気な笑顔なのかもしれない。


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サークル名:藤墨倶楽部(URL
執筆者名:坂本蜜名

一言アピール
オリジナル小説サークルです。ファンタジー、バトル、和風、怪奇、推理、ギャグなど様々なジャンルの書き手が集まっており、合同誌の他、個人本も出してます。今回のお話は過去に発行した合同誌『極彩アソート』に寄稿した「柊彼方と魂の契約」の前日譚です。本編はサークルHPから試し読みもあります。よかったら、ぜひ。

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