真の名は。

 ある日、二葉は授業中に居眠りし、目が覚めて慌ててノートを開くと、
「お前は誰だ」
 と書かれていた。自分の筆跡ではない。……誰も何も二葉という名前だ。岐阜の飛騨の田舎で暮らす普通の女子高生。普通と少し違うのは、神社の娘で巫女をしてるくらいだ。だから黒髪。二葉は気味悪くなってノートを閉じた。
「何なのよ……」
 しばらく何事もなかったが、数日後、家の用事で山に入ったとき、道行く人たちが少しおかしいことに気づいた。あー疲れた、と思うと、
「あー疲れた」と言って見知らぬおじさんが通り過ぎる。
 遠いのよね、と思うと、
「遠いのよね」と言って見知らぬおばさんが通り過ぎる。
 今日の晩ごはん何かな、と思うと、
「今日の晩ごはん何かのう」と言って見知らぬおじいちゃんが通り過ぎた。
 ――いくら何でも変だ。二葉は何も考えず無心ですぐ用事を済ませ、大急ぎで家に帰りおばあちゃんの部屋に入った。血相変えた二葉に目を丸くするおばあちゃん。
「あら、ふうちゃん、どうしたん?」
「あたし……心が読まれてる」
 二葉が山での出来事をありのまま話すと、おばあちゃんは難しい顔をした。
「ふうちゃん、もしかするとこの辺に昔から出る化け物のしわざかもしれないね。名前は……えっと、何だったっけ。ごめんね、忘れっぽくなっちゃって」
 化け物のしわざ?! 二葉はペタンと座り込んだ。今いつ? 平成! 平成だってもう終わるかもしれない時代に、山奥から化け物が出たとか、どんだけ田舎なの? いや田舎だけど。偶然か気のせいだったと言い聞かせて二葉は自分の部屋に戻った。
 次の日から二葉は見知らぬ人と道で行き交わないよう、仲のいい学校の放送部の女の子カヤちんと、土建屋の息子の坊主頭の男の子トッシーと毎日一緒にいた。まあ、この二人とは幼い頃から一緒なので普段と何も変わらないが、見知らぬ人に突然心を見透かされる恐さを紛らわせるため、いつもより長く一緒に時間を過ごした。
 ところが――数日後、気づくと二葉は二人の頭の中身が読めるようになっていた。しかもそれがややこしかった。カヤちんはトッシーに想いを寄せているのに、当のトッシーはなんと自分とカヤちんを天秤にかけていたのだ。将来どっちが自分の嫁になってもいい、とか考えていた。どんだけ調子乗ってるんだこいつは。腹が立つ。
 正直トッシーはどうでもいいが、カヤちんに申し訳なくて、二葉はわざとトッシーに嫌われるような言動をして距離を置いた。自分に嫌気が差してカヤちんになびいてくれたら本望。だが、読みが甘かった。トッシーは勘違いし、ますます二葉を構うようになり、カヤちんが二葉のことを疑い出したのだ。話していても二人の心が流れ込んでくる。
『二葉、最近トッシーの気を引こうとしてる……? 何かわざとらしいのよね』
『何だよ二葉、そんなに俺を意識しなくても、俺はいつもお前のそばにいてやるぜ!』
 違う違う、そうじゃない! ダメだダメだダメだ!
 とうとう苦しくなって、二葉は奇声を上げ、一人離脱して山を登っていった。しかし、行き交う人たちの心の声がすべて聞こえ、笑顔で話す相手同士さえ腹の中では不平不満をぶつけ合っているありさまを目の当たりにした。
「二葉ッ!」
 心配で追いかけてきた友達二人の前で、二葉は自分の心の声を止められず、
「あたし、あんた達をくっつけたいんだから、あたしに構わずに仲良くやりなよ! ああもうこんなクソ田舎早く出て東京に住みたい! 東京のイケメン男子高校生になりたい!」
 口を開けてないのに、体から突然大きな声が漏れ出した。友達二人も呆気に取られる。驚きと恐怖で山の奥深くへと逃げ去る二葉。走って走って走った。
「――お前は誰だ!」
 山の中から獣のような声が降ってきて、走りながら泣きじゃくった。自分は誰なのか、何で他人の声が聞こえるのか、何でみんな本心を隠して生きているのか、みんなが本音を全部さらけ出したらどうなるか、頭の中でグラグラ揺れて混乱する。走るしかない。
 本心を体の中に抑え込めないならいっそ身を隠して生きたい! そう願うと、どんどん黒髪が伸び、肌の毛も伸び、毛むくじゃらの猿のような姿に変わっていった。
 へとへとになって立ち止まり、大木のうろに隠れるように座り込んだ。
「……そこに誰かいるのか?」
 森の中から懐中電灯で照らされる。ジャージの登山姿のイケメン高校生だった。
「君は……人間か? 君の名は?」
 二葉は醜い姿になった自分を呪い、突如猛然と相手に飛びかかった。入れ替わりたい! あなたと入れ替わりたい! 何度も何度も本心が強く漏れ出した。
 すると、彼は何を思ったか二葉を抱き止め、手を取って無言で山を登り出した。
「生きることはつらい」
 たった一言それだけをつぶやいて。
「俺と入れ替わっても楽にはならない。俺の苦しみを味わうだけだ」
「それでも構わない! こんな醜い毛むくじゃらの体、名も知らないあなたに押し付けて、あたしは別の場所で生きていくんだから!」
 彼は山頂の満天星の下で止まり、リュックからナイフを出した。
「あたしをここで殺す気ね! あなたはあたしを殺しに山に入って来たのね! あたしは殺されない! 死ぬ寸前にあなたと入れ替わってあたしの死体を残して山を出るわ!」
 彼は首を横に振り、ナイフで二葉の体中の黒い毛を切りはじめた。不思議と恐くはない。切っても切っても伸びてくるが、彼は諦めず切り続けた。二人のまわりは切り落とされた毛で覆い尽くされ、やがて二葉は目に涙を溜めて「もういい」と彼の手を止めた。
「あたしはもう人間に戻れない。都会に行きたい、東京で暮らしたいなんて馬鹿な考えを持ったことが悪かったの。これからずっと飛騨の山奥で隠れて住み続けるから……」
 彼は黙りこくっている。二葉は構わず本心を続けた。
「ほんとありがとう。最後にあなたに逢えて良かった。だから名前だけ教えて。あなたは誰……?」
「俺は――サトルだ」
 サトル……? この辺りで聞いたことがない名前だった。
「サトル君、あたしの名は……」
「君の名は二葉だろう? 知ってる。二葉、俺と入れ替わろう」
 思いがけない提案だった。息を飲む二葉に対し、サトルは向き合った。
「君はこんな可愛い顔をしてる。このままじゃ可哀想だ。俺と入れ替わろう。いいや――元に戻ろう。そうすれば心を読む力は俺に還る。君はもう誰の心も聞こえない。人の嘘もわからない。普通の女の子として好きな場所で生きていけばいい」
「な、何を言ってるの……?」
「もともと俺が心を読む力を封じたのは心の迷いだったんだ。そのとき山の巫女の君に力が移ってしまったけど、本当にごめん。こんなことになるなんて思わなかった。ごめん」
 サトルは深々と頭を下げた。二葉は茫然として元に戻れるなら……と静かに了承する。
「じゃあ、これを口に含んで」
 サトルはリュックから日本酒の入った小瓶を出した。小瓶の蓋に少量のお酒を入れる。
「飲まなくていい。口に含んで唾液を混ぜて戻してくれたらいい」
 二葉は言われた通りにする。お酒の匂いがプンと鼻を刺激してむせたので、もう一度蓋にお酒を注ぎ、我慢して口に含み戻して渡すと、サトルはそれを飲んだ。
「えっ?! 飲むの?!」驚く二葉。
「ありがとう。これでもう君の体は元に戻るよ。山を下りるといい」
「えっ、あなたは……?」
「俺はこの山から出ちゃいけなかったんだ。いや、出たら誰かが俺の代わりになると言うほうが正しいかな。俺の魂は何回転生しても飛騨の山から離れない。前前前世くらいから新しい生き方を探しはじめたけど、まだ何も進展はないんだ」
「ねえ……たまに逢いに来てもいい? ずっとここにいるんでしょ?」
「おかしなことを言うな。俺は人の心を読む力を君から戻したんだ。俺は君の本心を全部読むんだ。嘘なんか通じないぜ」
「――じゃあ、読んでみてよ」
 一刻の沈黙。
「そうか、本当に逢いたいんだな。こんな気持ち悪い化け物にさ……」
 サトルは黒い毛に覆われた姿になり、二葉はすっかり元の姿に戻っていた。
「あたし、嘘とか苦手だし。サトル君、あなたに逢って考えが変わったわ。あたし自分に正直に生きていく!」
「みんな君みたいになるといいね」
「君……っていうか、名前で呼んで」
「わかったよ、二葉。ありがとう、二葉がまた来るの楽しみにしてる」
「約束よ! 嘘ついたら承知しないよ、サトル君」
「ああ、約束だ。あの星に誓うよ」
 見げると夜空に流星の尾が美しく流れていた。

 山を下りて、心配していた家族の待つ家に帰り着いた二葉は、町長の父親からしこたま雷を落とされた後、おばあちゃんに慰められた。今日山奥で遭った男の子のことを話すと、おばあちゃんはやっと思い出した。
「サトル君と名乗ったのかい。なら、それはサトリだろうね。サトリは大昔から飛騨の山に住む化け物で、人の心を読んで、人に殺されそうになると逃げ去るというものなんだ」
「殺す? 何で? あんな心優しい男の子、殺すことないのに」
「大昔は自分たちと姿の違う種族はみんな迫害されて殺されたんだよ。日本にいたのは日本人だけじゃないんだ。心を読む生き物なんて恐くて共存できなかったんだろうね」
「でも、こっちが正直なら何も問題ないじゃん。殺すなんておかしい」
「ふうちゃんがこのままの気持ちで大人になってくれたら、おばあちゃんは嬉しいよ」
「なるよ。約束したもん!」

 翌朝、通学路の途中でカヤちんとトッシーに会った。気まずい空気だが二葉は気持ちを入れ替えて話した。
「昨日は驚かせてごめん。ただ、東京行きたいとか、あんた達お似合いだよってのは本心。けど、もう大きな声では言わないね。いつか一緒に東京遊びに行こっ!」
 明るく話す二葉に二人は笑い返す。二葉は山に手を振って微笑む。
 ありがと、サトル君。
 すっきりした気分で三人並んで学校へ向かった。


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サークル名:眠る犬小屋(URL
執筆者名:青砥 十

一言アピール
新海監督ごめんなさい。「君の名は。」が好きすぎて暴走しました。飛騨の妖怪譚です。

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