悲恋を望んだエゴイスト

 十一月、東京のリサイクルショップで働いている僕は年末年始の帰省を許された。
 働いていると言っても給与は現物だ。一番多く貰っているのは食事だけどそれ以外にも店で扱っている電気ケトルや服、本棚なんかを貰う。
 そんな僕はもう随分前から恋をしている。
 高校の頃に同じ部だった女性だ。同い年で、もうアラサーだ。
 店長は自分が結婚すると僕にも『結婚はいいぞ』と勧めて来る。それを聞く前に、僕は恋い慕う彼女への恋を悲恋で終わらせたい、という強い希望があった。
 僕も彼女も精神病者だ。仮に僕が彼女に告白して叶ったとしても、二人に明るい未来が来るとは思えない。病気にかかっていてもそれくらいは判断出来る。
 だから僕は、丁度いい機会でもあることだし、ここらで十年物の恋に終止符を打とうとメールを打った。
『年末に帰省するんだけど、二人で会えないかな』
 彼女は地元で働いている。
『ちょっと考えさせて』
 その『ちょっと』は大分長かった。大凡一ヶ月をかけて、僕はやっと返事を貰うことが出来た。
 夜の十時頃、眠ろうと思ってスマホを充電器に繋いだ時、メールが来ているのに気づいた。
『ごめん、やっぱり男の人と二人きりはちょっと……。年明けて三日ならみーちゃんも予定空いてるみたいだから三人でどうかな』
 僕はそのメールを一読し、意味を理解するのに布団を被った。
 そのまま、悲しみの中で眠りに落ちた。
 起きて、メールを三読する。
 無性に悲しい気持ちが湧いて来て、店(僕は住み込みで働いている)のエアコンを切って、最低限の薄着に変えて、冬の寒さを感じて万歳した。
 寒さがつついてくれれば、悲恋が叶わない悲しみの涙が溢れて来るんじゃないかなんてことを、考えていた。
 僕の望む悲恋の形は彼女とサシで話して、告白して、フラれるという、それだけの、実にありふれたものだ。
 二人きりでなければダメだ。第三者がいる場では絶対に水を差されてしまう。特に彼女のメールにある『みーちゃん』はそういうのが好きなので絶対にいけない。
『気を使わせても悪いし、また今度にするよ』
 君の男性恐怖症が治ってからね……というのは書かなかった。僕の中に潜む猿の顔をした良心が邪魔をした。
 送ったメールは嘘だった。
 僕はつまる所彼女を僕の悲恋の相手として人生に巻き込みたいのであって、機会さえ整えば気を使うことなく玉砕しに行くだろう。もしも彼女が嫌がっても、距離に邪魔されなければきっと会いに行くだろう。
 それくらいに僕は彼女を好いていて、それくらいに僕はエゴイストだ。自分の願望に何も知らぬ生娘(と僕は信じている)を巻き込むことに、一切の罪悪感を抱かない。
 酷いことには、もしも思いを伝えないまま彼女が死んだら文学になるな、とすら思う。それも喜ばしい想像として、だ。
 願わくはこの悲恋の祝福されてあれ……そう願って、帰省までの日数を自堕落に仕事して過ごした。
 帰省ラッシュに巻き込まれたくなかったので、僕は二十六日の月曜日という結構早いタイミングで新幹線に乗る予定だった。
 その二日前、こんな夢を見た。
 僕は既に死んだ祖母の営む爬虫類専門のペットショップに来ていた。何故か飼われている爬虫類はケースに入れられておらず、床に点々と這っていた。
 アルマジロのように丸まる蛇を踏みそうになって、跳ねた。
 そのうち、一匹の、黄色い皮膚に黒斑のある毒蛇に噛まれた。
 夢はそこで覚めた。
 怖ろしい夢だったな……と思いながらぼんやり起き上がって、時間を確認した。もう少し眠っていてもいいくらいの時間だ。 
 いやな夢を忘れよう……そう思って、二度寝した。
 僕は寝つきが悪い。二度寝と言ってもそんなに明確に眠れるわけではない。まどろみが持続する、そんな感じだ。
 不意に、彼女の顔が浮かんで、僕は毒蛇の夢の意味を理解した。

 水蛟華蛇

 それは彼女が高校の文芸部で使っていたペンネームだった。そして、僕も彼女も、巳年。
 何か、不吉の予感があった。
 いつも通りに店を開けて、一円の売り上げもなく閉めて、配給のご飯を食べて、眠った。
 その日は特に問題なく眠れた。ただ、寝る間際まで彼女の顔を思い浮かべていたので、快眠と言うには少しケチがつく。
 そして一日過ぎて帰省の日。
 僕はこの頃、あの夢もあったので彼女に言ったことを少し後悔していた。大体僕は贅沢に過ぎる。別に第三者が挟まる形でもいいじゃないか。事実、中学の時にした初恋は第三者の為に告白すら出来ずに悲恋に終わったのだ。
 同じ県、と言っても僕の実家があるのは山の方で彼女の家があるのは街の方。市をまたぐので簡単には会いに行けない。僕は病気の為に車の運転を禁止されているし、最寄りのバス停まで車で山道を三十分は走らないといけない。どだい会いに行けたものではない。
 乗客同士の喧嘩の為に三十分ほど在来線の電車が止まるというトラブルに見舞われつつ、なんとか帰った僕は懶惰に過ごすことに決めた。
 働いていると言っても立地の悪い怪しげな、掃除する必要がないほど小汚い店なので客はほとんど来ない。故に実家にいても特段変わったことはなかった。
 変わったことは、年賀状に紛れてやって来た。
 その葉書には、黒い枠があった。
 結論から言うと、彼女の葬儀を知らせるものだった。ご丁寧に手書きで『何卒ご来光下さい』と書いていある。僕は事情を家族に説明し、葉書に書かれた住所まで礼服を着て送って貰った。
 この年になってそれもどうかなあとは思うのだが、存命中の祖父は未だにお年玉をくれるので、それを途中でスーパーによってお香典に変えた。
 そして葬儀会場。
「あ、○○さん」
 名簿に名前を書くと、受付をしていた女性が藪から棒に声をかけて来た。
「○○さんですよね?」
 どうも僕のことを知っているらしかった。
「そうですけど……」
 僕は僕で結構な人見知りだ。
「妹の冬実と言います。お姉ちゃんから○○さんに遺言状があるので、お渡し出来ないかと」
 寝耳に水だった。彼女がどういう経緯で死んだにせよ、二人きりで会うことを断った相手に言い残すことなどあったのだろうか。とりあえず頷いて、状況に流されるままについて行った。
 初めて会う彼女の両親に、事の経緯を説明された。
 数日前、自室で首をくくった。遺書は随分色々な人に宛てたものがあり、ご両親や冬実さんは自分に宛てられたものしか読んでいないのだという。
「これが○○さんへのものです」
 優しい声で、彼女の母が僕に一枚の封筒を渡した。
「ここで読んでも?」
 彼女の声を聞かずに念仏を唱えるのは不敬に当たる気がした。
「どうぞ」
 父が厳かな声で言うので、僕は緊張しながらその封筒を開けてみた。
 便箋一枚。
『会いたかった。それだけです』
 僅か二文。
 遺された言葉に、僕は――拳を固めて、思い切り自分を殴りつけた。彼女の両親が目を丸くしている。
「ど、どうしたんです?」
 母が訊いた。
「自分の間抜けに腹が立っただけです。それじゃ、ありがとうございました」
 それだけ言って僕はそそくさとご両親の元を去り、参列者の席に向かった。
 毒蛇の夢の意味が分かった。彼女の好意がどのような種類のものであったとしても、彼女は僕に会うことを望んでいたのだ。それもまた、彼女を傷つけたものの一部なのだろう。あの夢は、末期の彼女の、呪いだったのだ。
 下らないエゴの為に彼女の希望をふいにした自分のことを、心から、恥じた。
「○○さん!」
 後ろから彼女の母が慌てて追いかけて来た。
「なんでしょう」
 酷い顔をしていたに違いない。小奇麗な中年は怯えたような顔になった。
「娘の遺言で、あなたも納骨に参加して欲しいということだったのですが――よろしいですか」
 ハッとした。
 高校の頃、僕たちは病理の種を胚胎させながらよく自分たちの死を軽々しく妄想した。そういう話題になった時の彼女の常套句が『骨は拾うよ』だった。
 その彼女が、僕に骨を拾われる立場になった。
「……そちら側がよろしいのであれば、そうさせて頂きたいです」
 それを忘れて悲恋に酔っていた自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。
「では、後ほどご案内します」
 参列者には高校の文芸部の同窓も仲が悪かった二人を除いて来ていた。それぞれに思い出話をしながら式の始まるのを待った。みーちゃんによれば三日に遊ぶ予定だったとのことだから、本当の所、彼女の自殺は衝動的なものだったのだろう。
 彼女の自殺衝動を呼び起こした一端は僕だ、というのは、ナルシズムだろうか。
 そんなことを思いながら若すぎる死者を悼み、納骨。
 僕は彼女の下半身の方だった。いつか解剖学を紹介した本が自然に思い出された。
 箸が回って来ると、僕は胎盤の部分に当たる骨を拾った。
 そこに至ってようやく――僕の涙腺は、決壊した。
 なんとか骨を骨壺に納めると、彼女の母がハンカチを貸してくれた。「ありがとうございます」。そう、ありがとうございます、彼女の葬式に呼んでくれただけではなく、こうして納骨までさせて頂いて。
 こうして僕の悲恋は想像を超える形で叶った。
 憧れていた悲恋が叶ったことに僕は――慟哭した。


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サークル名:書肆面黒楼(URL
執筆者名:風合文吾

一言アピール
オカルトを独自解釈で書いてくラノベ『LostAlice』シリーズが目玉です。今回は第二巻を頒布。可愛い女の子が続々出て来る!

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