自由に道は選べなくても

 国立高等士官学校の学年末。季節は早春、温暖な気候の国シャルウィンでも、まだ少し風が冷たく感じられる3月のはじめ。数日前に卒業生を見送ってからは校内の様子もどこか寂しげだったが、今日は誰の顔にも活気があった。明日から十日ほどの休暇が始まるのだ。
 教室で手渡される成績表をぱらりと開き、生徒たちが一喜一憂するのも前期の終了日と同じ光景だが、ひとつだけ違っていたのは、成績表に挟まれた一枚の用紙。
「……進路希望調査票?」
「みなさんは休暇中、ご家族とよく話し合って自分の進路についてじっくり考え、提出期日までに本校へ送付します。先日も伝えましたが、提出が遅れると2年次の受講に影響しますのでくれぐれも忘れないように。では、良い休暇を」

 エマニエルは教師に言われるまで忘れていたが、そういえば半月ほど前に、進級時の説明があった。級友たちが一様にざわついているのを見れば、どうやらこの調査票は重要な物らしいと分かる。
 2年に進級すると少しずつ専門的な科目や演習が増えるため、一部の講義は専科に分かれて受けることになる。そのための希望調査だ。
 希望者が多い場合、成績上位者から優先される。つまり、常に学年3位以内を維持しているエマニエルはもちろん、友人のキサラギ、サイアッドも、成績的には何の問題もなく希望する専科に進めるということだ。
「キサラギは、もう進路を決めているのか?」
「俺の希望は入学したときからずっと変わらない」
 放課後の教室でエマニエルに問われ、キサラギは即答した。
 サイアッドの方を振り返ると、
「私は推薦枠での入学だったので、はじめから進路は士官科と決められているんだ。君は?」
 黒髪の二人から同時に目を向けられて、エマニエルは言葉に詰まる。今の今まで進路をろくに考えてこなかったが、それを正直に告げるのも何だか面白くない。
「別に、進路はどこでもいい。私はキサラギと同じところにするよ」
「お前なぁ、自分の将来だろう。そうやって投げやりに決めると後悔するぞ」
「適性で選ぶ生徒も多いそうだよ。君もそうするのはどうだろう」
 サイアッドの助け船を受けて、ふむ、と考え込む。
「成績が一番良かった演習は、魔法だが」
 エマニエルが首をかしげると、金とも銀ともつかない細い長髪が揺れてきらめきが散り、目を伏せて考えを巡らせると長い睫が頬に影を落としていっそう艶を増す。一年間で見慣れた容姿でも、美人に見えることに変わりはなかった。
 キサラギが目を上げると、向かいでサイアッドが、エマニエルの顔をぼんやり見つめていた。間抜けな顔をしてるな、とキサラギは思ったが口にはしない。
 高等士官学校を受験するのはほとんどが男子だが、女子も数名は入学する。制服は男女で同じ形でも、この歳になれば身体つきなど様々な点で、男と女の違いは明らかになってくるはず。冷静に見比べれば、エマニエルは他の女子生徒より長身で、手の指先なども少し骨ばっていることが分かるだろう。
(サイの場合、冷静さが足りないというよりは、最初の思い込みが強すぎたんだろうな)
 キサラギは、友人の気の毒な誤解を思ってため息をついた。
「じゃ、お前は魔法科を希望すればいいんじゃないか?」
「あんなもの、方法さえ覚えてしまえば誰でもできる。面白くない」
「エマニエル……それは暴論だよ」
 呆れたサイアッドがやんわりと口を挟んだが、実際、エマニエルは後期の魔法演習で完璧に近い成績を修めていた。できる人間にとっては簡単すぎて退屈なのかもしれない。まれに、まったく魔法を使えない者もいるが、少なくとも入学試験の段階で魔法を使える兆しがない者は、ふるい落とされているはずだ。あとは本人の努力次第ということになる。
 入学してから初めて魔法を学ぶ生徒がほとんどで、1年次は基礎ばかり。エマニエルも初めてだったが、やり方は全部教科書に書いてあり、それをなぞってやれば基本的には誰でも魔法が発動するのだ。
 キサラギは「そんなもんかね」と頭を掻く。
「魔法はいちいち頭で考えるのが面倒だろ。俺は剣や格闘の方が気楽でいい」
「格闘の方が難しいよ。目の前で相手から繰り出される攻撃に、全身の運動機能を駆使して即座に対応しなければならないんだから」
 魔法は使うべき術を判断したら、あとは唱えるだけでいいのに、と真顔で言うエマニエルを、何とも言えない目つきで二人は見つめた。
「……ま、それが適性というやつだろ。お前には魔法科が向いてるよ、間違いない」
「私もそう思う。もちろん士官科に興味があるなら、その選択肢も」
「ない」
 サイアッドの言葉を途中でさえぎり、エマニエルは立ち上がった。
「私は国のために軍に入りたいわけじゃない。ただ普通に暮らせる平和な仕事に就ければそれでいいんだ」

  *

 生徒たちが次々に大きな荷物を抱えて学び舎を去っていく。行き先の近い者同士で乗り合い馬車をつかまえたり、サイアッドのような家の者は迎えの馬車が門前まで来たりもする。
「本当に乗っていかないのか。君さえ良ければ、私の家の馬車でどこへでも送り届けよう」
「私は帰省する気がない。どうぞ、おかまいなく」
 エマニエルにそっけなく断られ、サイアッドはとても残念そうな顔をする。
「……それでは、私はこれで。また新学期に」
 するりと自然な動作でエマニエルの手を取り、うやうやしくくちづけるサイアッドの振る舞いは実に紳士的だった。大きな鞄を持ち上げて馬車に乗り込む後ろ姿を、エマニエルは不思議そうにながめる。
「どうしてあいつは、いまだに私を女だと勘違いしていられるんだ?」
「恋は盲目、って言うからなぁ」
 キサラギが相槌を打った。
「でも、お前がちゃんと否定してやれば、それで誤解は解けるだろ。なんで黙ってるんだ?」
「……面白いから」
 それだけではないのだろうな、とエマニエルの横顔を眺めて思う。彼の生まれ育ちを考えれば、女として扱われる境遇を面白がって楽しめるのは皮肉でもあり、意趣返しのような思いもあるのかもしれない。
(余計な詮索、だな)
 キサラギは肩をすくめ、小さな荷物をひょいと背負うと、
「じゃあな、エマ。また4月に」
 サイアッドの乗る馬車に向かって歩き出した。
「二人は同じ方向なのか?」
「同じ家なんだよ。こいつの父親が、俺の身元保証人でね」
「そう、なのか。じゃあまた」
 身元保証人の家へ帰省する、という感覚がエマニエルには理解できなかったが、キサラギは当然のように馬車に乗り込んでしまった。
 ガタゴトと整備の悪い道を行くサイアッドの家の馬車を見送って、ふと校舎を振り返ると、いつの間にかもうほとんど生徒が残っていないことに気がつく。
「……静かになれば勉強にも集中できて、ちょうどいい」
 調査票には「魔法科希望」と書いて、教員室に直接提出した。

  *

 久しぶりの実家は居心地が良かった。何といっても、起床の鐘で叩き起こされることもなければ、1分で制服を着るよう急かされたり、ぎゅうぎゅう詰めの食堂で冷めた朝食をかき込んだりすることもなく、朝からのんびり過ごすことができるのは最高だ。
 今朝もサイアッドは好きな時間に起き、楽な恰好のままで居間へ行き、食前に出されるお茶を飲みながら手紙の束を確認する。家宛の手紙の処理は当主である父が行うのが普通だが、実家にいる間はいつの間にか、先に起きるサイアッドが済ませてしまうようになっていた。よほど重要そうな親展でもない限り、勝手に封を切れるほど手紙にも慣れてきた。
「おや、私宛だ」
 学校から、同じものがキサラギ宛にも届いていた。
 おおかた事務連絡だろうと思い、まとめて封を切る。しかし封筒は同じでも、キサラギ宛の書面は自分宛と違う内容だった。
「事前調査の結果……不適格な事由……?」
 目を通したサイアッドは、怪訝そうに眉をひそめる。キサラギの希望する士官科に進むには問題がある旨が、簡潔に書かれていた。だがキサラギの成績であれば何ら問題はないはずだ。それに士官科にも、身元保証人が自分の親ではない生徒はいる。
 訝しむサイアッドの目に、『買取証』という決定的な文言が飛び込んできた。
「サイ? どうした、朝からぼけっと突っ立って」
 後ろからキサラギに声を掛けられ、手元を覗き込まれても、反応できないほど動揺していた。
「……ああ、やっぱり却下されたか。階級に厳しいからなぁ、この国は。身元を保証してもらって受験はできても、従者階級で買い取られた人間を士官にする気はないってことだ」
「君は知っていたのか」
 サイアッドの声は憤りで震えていた。
「そんな顔するなよ。お前の父親は、俺の将来に期待して進学と生活の支援をしてくれたんだ。俺はそれに感謝してる」
 大したことではない、という口調でキサラギは笑った。だがサイアッドは笑えなかった。この買取証がある限り、友人だと思っていた人間を対等に扱えないというなら、その証書をいつか必ず破棄しよう、と固く心に決めた。

  *

 4月。十日ぶりでも、エマニエルの目立つ容貌は変わらず光っていた。
「キサラギが武術科希望だったとは意外だったな。てっきり士官科希望なんだと思っていたのに」
 戦術系の演習では負けなしだったのだ、そういった才能は士官科に行けばもっと伸びるだろう、とエマニエルは思っていた。
 友人の言葉に、一瞬遠くを見たキサラギは、きゅっと口の端に笑みを浮かべて答える。
「言ったろ、最初から行きたい進路は決めてたって」
 たとえ一つしか選べなかったのだとしても、自分の進む道は、自分で選んだのだ。
 これまでも、これからも。


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サークル名:えすたし庵(URL
執筆者名:呉葉

一言アピール
1冊完結のファンタジー「ESTASIA」シリーズをメインで頒布しています。全然仲良くならない若者たちがじたばたもがきながら旅するお話で、恋愛要素ほぼ無し・全年齢向けです。アンソロ作品はESTASIAと同じ世界観ですが、直接は関係ありません。(知っているとちょっと楽しめる要素が増えるかもしれません)

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