僕は魔王にはなれない

「とりあえず、何も聞かずにこのゲームやってもろてもええですか?」

 その日、常連になっている大学近くの喫茶店にて。古ぼけた木製のドアが勢いよく押し開き、取り付けられた鈴の音が店員を呼ぶのも放って。
「ロミオ先輩」
 背後から声がかかった。

 遅れてやってきたのは文学部の後輩、柴田 智秋しばた ちあき
 今どきの男子大学生らしい灰色のチェスターコートを脱ぎもせず、後輩は慌ただしくノートパソコンを取り出す。
「ゲーム? あ、もしかしてゼミで作るってやつか」
 一方で呼び出された先輩、こと玉宮 露澪たまみや ろみおは、後輩の性急さに圧倒されながらも、コーヒー片手に起動する液晶画面をまじまじと見つめた。特に珍しくもない、初期設定のままのデスクトップ。後輩はその中から一つのフォルダを迷いなくダブルクリックする。
「そうです。一応俺がシナリオ考えて、友人がプログラミングしとるんスけど、」
 けど。
 何か問題があったのだろうか。そう尋ねるロミオの視線に、しかし智秋はだんまりを決め込む。割と日常的に無表情な目からは何も読み取れない。
「とりあえず、はよスタート押してください」
 正面には全画面表示で開始したコンピュータゲーム。『ニューゲーム』のボタンにカーソルを合わせ、ロミオの指示を待っている。
「あー、うん」
 なにやら違和感が残るが、所詮は素人が作った簡素なゲーム。店内は昔流行った邦楽のレコードがレトロな空気を緩やかに彩っている。
 ロミオはそれ以上深く考えることもせず、右手の中指でキーボードのEnterを押した。

【あなたの名前を教えてください。】

 真っ暗な画面に、入力コマンドが表示される。
「……これ、なんでもいいの?」
「先輩いつも名前何にしてるんスか?」
「え? 『ぎょくろ』だけど」
 水を置きに来た喫茶のマスターに「カフェオレ」と一言告げて、智秋は淡々と「ややこしいんで今回はロミオにしといてください」と助言する。
 そこに反論することもなく、赤メガネの先輩は素直に自分の名前を入力した。

【ようこそおいでくださいました。これは、勇者が魔王を倒して世界を救うロールプレイングゲームです。このゲームのエンディングを見るためには、物語を正しく始めて、正しく完結させなければなりません】

 テロップで入ったナレーション。文学部部長が早速眉を寄せる。
「ずいぶんと親切っていうか、丁寧でくどいというか、……この説明必要?」
 ゲームの導入にしては少々違和感が残る。そう告げるロミオに、智秋は表情を変えることなく「まぁ進めてみてくださいッス」と返した。

【しかしこの世界は平和です。このままでは勇者は旅立ちません。どうしますか?】

「は?」
 画面は村のグラフィックへと移動する。黄緑一色の地面に、同じ間取りの小屋が点在してある。記憶の片隅に置かれそうなモブっぽい村の人々。想像に難くない。これは勇者が旅立つ村のはずだ。
 半分ほど水位を下げたコーヒーカップを机上の定位置に戻して、ロミオはもう一度メッセージに目を通す。
「どうしますか? って、いや選択肢『魔王の誕生を宣言する』『手当たり次第子供をさらう』『村を襲う』の三つって、え? あ、これ魔王が主人公?」
「そうッスよ。先輩は魔王になって、勇者を旅立たせて成長させて、ゲームをエンディングにまでもっていく、ってのがこのゲームの目的ッス」
 さもそれが当然のように告げる柴田 智秋に、しかしロミオは反感抱く前に得心した。
「なるほど。柴田が考えそうなストーリーだな……。ってことは、この選択によって物語が変わってくるってことか」
 目の前には例の三つの選択肢。残虐非道な魔王の行動を決定する。
 結局ロミオが選んだのは『魔王の誕生を宣言する』というもの。もっとも無難なものを選んだつもりだった。選択肢の一番上にカーソルを合わせ、決定キーを押した瞬間に次の質問が現れる。

【どのような方法で宣言しますか?】
 →新聞掲載(掲載料60万G)
 →テレビ広告(掲載料100万G)
 →記者会見(会場・他諸経費70万G)

「え、お金とるの?」
「当たり前やないですか。何でもかんでも無料でできる世の中やありませんやろ」
 いやそうだけど。そうだけどさぁ。もの言いたげな文学部部長の視界端に、小さなコマンドが存在を主張する。
 資本金:300万G。
 あ、これ使ったら消えていくやつだ。宣言方法でまごつくロミオに、智秋は先回りして忠告する。
「先に魔王宣言してしまったら後には引けないッスからね。これから魔物のレベル調整とか、恐怖を浸透させるための広報とか、あとやっぱり収入ないとキツいと思うんでちゃんと儲かる事業を開始したりせんと、……勇者に倒される前に破産するッスよ?」
「なんでそんなところはリアルに作ったの…!」
「俺ら何学部でしたっけ?」
「……経済学部だね」
 ロミオはうんと頷いて決定のEnterを押す。手にしたことのない金額があっさりと手元離れていく様に、言いようもない不安が掻き立てられた。その後も社会情勢に即した質問と選択肢に応えていく度、表示の資本金が上下していく。序盤は収入よりも圧倒的に支出が多く、無意味に幹部候補を雇用すると人件費がかさんだ。泣く泣く一人解雇した。心が痛くなった。
 勇者はまだ村を出ていない。ステータス画面には勇者の現状を見る項目があり、それによると今日は「女子高生と知り合いになる」と書いてあった。殺意が沸いた。
 コトン。カフェオレのマグカップが机を鳴らす。カーソルキーに指をかけたロミオの正面で、柴田 智秋はふと熱い息を漏らした。ぽつり。まとめるように口を開く。
「そんな感じで、資金をやりくりしつつちゃんと魔王として活動しなければならない社会の厳しさを味わうゲームが、」
 その間に魔王ロミオは麦を収穫している。
「……タイトル『魔王だってラク」
「んんんん、待て柴田ストップ」
 なんスか。それ以上は言ってはいけない…! なんで。そんな気がするから…!
 セリフを遮られた後輩と歯止めを聞かせた先輩は視線だけで会話を繰り広げ、そして、
「それで、」
 意識が現実に戻ってきたこのタイミングで、ロミオの声のトーンが沈んだ。空気が緊張感をはらむ。黒い液体を飲み干し、文学部部長は言葉を続ける。
「それで、俺を呼び出してまでこれをプレイさせた理由って?」
 トン、と間が水を打つ。
 それは、見過ごしてはいけない確認事項だった。急な呼び出しを受け、馴染みの喫茶店で待ち合わせたはいいものの、一体なぜゲームをすることになっているのか。優しく問い詰める先輩に、返答を避けていた後輩の口がついに開く。
「……『勇者』のステータス、見てもらえますか?」
「……?」
 文学部部長は余計な茶々は入れなかった。先ほども確認した勇者のステータスを表示させると、智秋が巧妙に隠されたプロフィール画面を表示させる。
「勇者『うさみ ゆうき』…?」
「そう。先輩も知ってますやろ? 俺の友人、宇佐美 裕貴」
 知っているもなにも、裕貴はまさに戦友ともいうべき大学の後輩だ。特にこれと言って変わっているわけでもない至って平凡な男で、確か、数週間前に。
「こないだチャリで事故ったっつーんは聞いとるかもしれんッスけど、もう退院してるんスよね。それやのに、アイツ、最近大学で見かけました?」
 画面に事細かに載っている。事故にあった経歴。バイト先の情報。好きなゲームの話。
「初代は赤派、って書いてないッスか?」
 おい、嘘だろ…?
「まさか、この勇者が…?」
「……」
 割と日常から無表情な後輩が、視線をそらして黙り込む。……それが、なによりの返答だった。普通なら「あり得ない」と一笑に付す事態も、この後輩がかかわると途端に前科持ちの再犯になり得る。
「なら、つまりこのゲームって…!」
 目を見開いたロミオに、智秋は真剣な表情で嗤う。
「さすが先輩、察しが早いッスわ」
 このゲームの目的は、物語を正しくスタートさせて正しくクリアさせること。ロミオがゲームを進めないと、勇者は物語を始めることもできない。
「先輩が必死に根回しして物語を開始させ、勇者となっている『うさみゆうき』にストーリーをクリアさせる。それが、先輩にしてほしいことッス」
 しん、と空気が沈む。
「……なるほど」
 しかし玉宮 露澪はうろたえなかった。落ち着いた口調。真剣に、だが爛々と輝く瞳。ニィと効果音を付けた挑戦的な笑みは、……まさに魔王のもの。
「ならば仕方ないな。さぁ、本気を出そうか」
 白熱灯が気温を管理する昔ながらの喫茶店。その奥で今、一人の魔王が誕生しようとしていた。

「いやいや、そんなに一気に魔物のレベルあげたらあきませんて。敵の強さも段階踏まんと、ザコ戦で裕貴が死にますやんか」
「いやさっき教会買収したから、これで復活資金がとりあえずうちの収入になるし、魔物のレベル下げるのはその後に」
 時刻は夕方を過ぎる。ドリンク一杯で長居する男子大学生二人に、だがマスターは嫌な顔一つしない。いつものことだった。ゲームの本編も終盤に差し掛かっている。最強に育て上げた勇者ゆうきは今、ほどほどに筋トレした魔王ロミオの許に向かっている。
「なんというか、魔王の『よくぞ参った』がこんなに感慨深いセリフだとは……」
 あとはもう待つだけ。玉宮 露澪は、長かった勇者の旅路を思い出して深く息をつく。長かった。資金の獲得は大変だったが、意を決して始めた多角経営が功を制して利益を上げたのは大きかった。だがその経営譚ももう終わり。これでラスボス戦を手抜きにすると最終ゲーム評価が「クソゲー」になると聞いて、気合を入れる。
 ドット絵で作られた洞窟の最深部。むき出しの玉座で待ち構える魔王の前に、平凡そうな男が立ちはだかる。
 カラン。と古ぼけた木製のドアが押し開き、取り付けられた鈴の音が店員を呼んだ。勇者と同じ髪色をしたとりわけ特徴のない男が、喫茶店の奥に二人を見つける。
「あれ? ロミオ先輩に智秋? お久しぶりですー」
 …………
「……は?」
「おう宇佐美ぃ久しぶりやなー。ケガ大丈夫やったん?」
「一昨日退院だったよー。で、智秋は先輩となにやってんの?」
 即座に出迎える柴田 智秋に手を振って、その男、宇佐美 裕貴はきょとんと首をかしげる。
「いや、ゼミで作ったパソコンゲームの出来が心配で、先輩にやってみてもろててん」
「……は?」
 振り返ったロミオの動きが、固まる。ギギギと首を回して視線を向けた先には、ぬけしゃぁしゃぁと言い切る後輩。
「あれ? 先輩、まさかと思いますけど、本気で人間がゲームの中に入ったなんて思うとったんスか?」
 パソコンから勇者が必殺技を放つ電子音が聞こえる。店内を緩やかに彩る昔流行った邦楽のレコードは、
「柴田っ、おま、だましたなあああ!!」
 大企業の社長にして魔王であるロミオの叫びによってかき消されていった。


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サークル名: いただきます(株)(URL
執筆者名:凡符

一言アピール
ギャグが好きなんです。面白いことを言いたいのです。鼻で笑ってほしくて、魔王が勇者にエントリシーと書かせるタイプのカンパニーコメディ小説「魔王だってラクではない」を書いています。寄稿作品は短編集「He is Ms.ゆうき」シリーズの一つとなりました。智秋くんとロミオ先輩はやっぱり馬鹿やってます。

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