永久の夢を夢見て

 つらいことばかりの人生でした。生きていることに常に後ろめたい気持ちでいるような、この世界に自分一人分の居場所を取っていることにさえ申し訳なく感じるような、そんな思いを抱きながら生きてきました。
 命は等しく生きるために生まれると言います。けれど知っていてほしいのは、ごく希に、この世界の仕組みに適さない、生まれながらに生きるということに不適格な人間もまた、この世には少なからず生まれてくるということです。そして、わたしは明らかにこの部類でした。
 枠に収まろうと必死になりました。「当たり前」をこなそうと試行錯誤をしました。そのすべてが無意味に終わったとき、わたしは絶望よりも深い安堵を覚えたものです。これで、すべてをなげうつ覚悟ができる、と。
 わたしにとって、地獄のような日々のなかの唯一の救いは、一日の終わりに訪れる安息の時間、つかの間の眠りのひとときでした。
 わたしは必ず夢を見ます。それはとても鮮明で色鮮やかに再現され、現実の世界と寸分違わないほどのリアリティーをもってわたしを包んでくれました。その夢に包まれるとき、わたしはつらい現実を忘れ、文字通り、あらゆることを夢見ることができるのです。
 そこでは、誰もわたしを傷つけません。心ない言葉によって言い知れぬ不安の底に落とされたり、冷たい視線によって心を震え上がらせることもない。夢の世界で、わたしは心から安らいで、常に感じていたあの生きがたい心持ちから解放され、自分の存在を迷いなく肯定することができました。それがたとえ自分に都合の良い、虚構に満ちた嘘の世界であるとしても、わたしはその世界によってどれほど救われたか知れません。
 素晴らしい夢の世界に溺れるにつれ、わたしの心はますます厭世的になっていきました。現実世界はわたしの本来生きるべき場所ではないと、そう強く思いこんでいったのです。そしてついに、わたしは現実に居場所を求めることを諦めてしまいます。いつしか、夢の世界こそがわたしのあるべき世界だと考えるようになっていたのです。
 永遠に夢を見続けるにはどうしたら良いのか――。短い眠りの時間以外のほとんど時間、わたしはそのように考え続けました。
 一番簡単に思えたのは、肉体に死を与えることです。
 死。現実から存在を切り離すためのもっとも確実な方法。けれど、死後に人はどこへ行くのか、その説は無数にあって、確実なものはなに一つありません。そしてなにより、死は絶対不可逆のものです。もし死後の世界が、地獄絵図に見るような苦しみに満ちたものだったなら……。
 わたしは真っ先に浮かんだ死という選択肢を、すぐさま捨て去りました。
 次に考えたのは、死以外の方法で肉体を半永久的な眠りに就かせることでした。肉体は現実に置き、精神だけを夢の世界に永遠に置こうと考えたのです。
 幸い、科学技術は永眠である死と単なる肉体的な「眠り」を識別する程度には進歩していました。すなわち、肉体の生死を見かけ以外の方法で判断することができました。見かけには死んでいるかのような状態でも、身体を計器によって測定し、生きていると結果が出たなら機械に繋ぎ、生きているとも死んでいるともつかないその状態を保つことができたのです。
 半永久的な眠り。それはとても妙案に思えました。
 問題は、それをどのようにして故意に行うかでした。生きながら死んでいるような状態というのは、本来は人為的に作り出すものではありません。なんらかの要因で自然発生的に起こってしまう現象なのです。それを人為的に作り出す方法――眠り姫に魔女がかけたような、命を害さずに眠りだけを与える魔法。あの糸車の、魅惑的な針の先。その正体を、わたしはあらゆる手段を講じて求め続けました。
 夢の世界を愛していたように、わたしは非現実を描いた物語を愛していました。だから、わたしの問題解決策はまず、身近な小説のなかに出てくる魔法や架空の技術に着想を求めるところから始まりました。そこから、それらの魔法や技術のもとになっただろう現実の事象を調べ、やがては難解な学術研究もひもといていきました。
 そうして気がついたのは、わたしの求める眠りのなかの世界は、生死の狭間にあるということです。
 生まれてから死ぬまで、肉体は時を刻むことをやめず、その生命維持には思考と運動が不可欠です。それらの活動を停止し、仮死状態にして半永久的に一定に留め置くことは、およそ自然のことわりに反します。それを無理に行えば、生命を損なう可能性が大いにありました。そして現在の人知の及ぶ限りでは、その自然を超越するための要素がいまだ発見されていなかったのです。
 死ぬよりほかに道はないのか……。起きているあいだの苦悩が嵩み、ただでさえ少ない眠りの時間は削られ、いつしか夢にさえその苦しみが反映され、わたしは疲れ果ててしまいました。どうすれば、この大いなる苦悩を打ち破り、恒常的な夢の世界へ辿り着けるのか。わたしはいっそう深く、その苦悩の淵に呑まれていきました。
 そんなわたしに僥倖をもたらしたのは、とある地質学者と、彼が発表した新たな発見でした。
 太古の地層を専門とするその学者がとある古い地層から発掘した微生物が、実験室のシャーレのなかで息を吹き返したというのです。どんな生き物も長らえたことのない、数千年という過去からの生還を果たしたその時間旅行者のニュースに、わたしはひどく興奮し、居ても立ってもいられなくなりました。
 思えば、生きていてこれほどの幸福を感じたのは初めてのことかもしれません。わたしはすぐさま地質学者に連絡を試み、訪問と個人講義の約束を取り付けました。
 地質学者と出会い、彼の語る知識に熱中するうちに、わたしはつい饒舌になってあれこれと話をしました。なにせ、くだんの時間旅行者たる微生物の謎が解明されれば、わたしの悲願の成就が一気に近づくのですから、冷静でいるほうが難しいというものです。地質学者は微生物の謎を解明するための生物学にはさほど明るくなく、わたしは、わたしの学んだ限りの生物学の知識をもって、微生物が時間旅行者となった原因の仮説を立て、検証に必要な実験行程を並べて、それを行うように訴えました。幸いにも、地質学者はつてのある研究者を集めて検証すると請け合ってくれました。
 結果が出るまでには時間がかかりますが、光明が見えたというだけでわたしの心は浮き立っていました。それまでずっと、苦悩の淵で暗中模索をする日々だったのですから。
 わたしがあまりに浮かれていたからでしょうか、地質学者はわたしにこう訊ねました。「きみの熱意はどこから来るのか」と。わたしは隠し立てすることなくありのままを答えました。「この微生物のように、時を止めて半永久的な眠りに就き、夢の世界へ行くことが目的なのだ」と。
 彼は重ねて訊ねました。「なぜ、夢の世界へ行きたいのか」と。わたしは答えました。「この現実世界はあまりに居づらく、わたしには到底生きていくことができない。夢の世界こそが、わたしの真実あるべき場所なのだ」と。
 わたしの言葉を受け、地質学者はなぜか突然、呵々大笑しました。わたしは戸惑い、居たたまれない気分になりました。きっと彼はわたしを嘲笑したに違いないのです。学問に身を捧げ、まっとうにこの世界と向き合ってきた人からすれば、わたしのように、文字通り「夢を見ている」者など笑いぐさでしかないでしょう。きっと彼は呆れ果てて言うに違いありません。「そんなくだらないことのために、ここまで来たのか」と。そしてわたしに「立ち去れ」と命じるのです。
 わたしは来るべき言葉を怖れてひたすら縮こまりながら、彼の笑いの収まるのを待ちました。
 彼は目に涙が溜まるまで笑い続け、腹痛と引き笑いをこらえながらわたしに言いました。「けれど、いまのきみほど精力に溢れ、明確な目的を持ち、活き活きと生きている人間はほかにいないだろう」と。
 わたしはどきりとしました。そしてこのときようやく改めて、おのれを省みるということをしたのです。
 気がつけば、胸を占め続けた大いなる悩みは、生きることへの漠然とした苦しみから、夢の世界へ行くための試行錯誤へと転じていました。あれほど焦がれた夢すら見られなくなるほど、わたしは寝ても覚めても興味の対象に没頭していたのです。皮肉にも、夢を見るために行ったすべてが、わたしが現実で生きるための目的となっていたのでした。
 それこそ夢から覚めたように呆然としているわたしに、地質学者はなおも言いました。「きみの提案した研究はきっと実を結ぶだろう。そうなれば、きみは歴史に名を残す研究者となるはずだ。そして、世界中の人々がきみに教えを請いに集まってくる。もはや、夢へ逃げる間もないほどに」と。
 その言葉に、わたしはしどろもどろになりながらかろうじて反論しました。空気のなかに消え入りそうな、我ながら実に情けない声でした。
「いえ、わたしは夢の世界へ行きたいだけなのです……」
 地質学者が、またもや花火が爆ぜるように笑い出しました。
 よもやこんなことになろうとは。


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サークル名:さらてり(URL
執筆者名:とや

一言アピール
和風や異世界なファンタジー作品を書いています。強い女性が好みです。和風ファンタジー長編『創月紀 ~ツクヨミ異聞~』全4巻完結しました。

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