臓器籤

 二〇一一年の春。大日本帝國は未曾有の災害に見舞われた。本州の半分ほどを揺らす大地震、それに伴う大津波、そして、津波に襲われた原子力発電所が、破損した。
 地震が襲ってきた事により、内閣は対応に追われた。そこに追い打ちをかけるように、原発事故が起こったのだ。
 時の総理大臣、新橋聖史は、震災の対応のための会議、及び軍隊への指示の合間に、原発に関する報道に対する指示をどうするべきか、公設秘書と相談をした。
 小さな休憩所には、三人の人物。新橋総理その人と、政策担当秘書の曙橋祭、もう一人は公設第一秘書の湯島照だ。三人の意見は、一部一致している。報道局を野放しにして好きなように報道をさせていると、被災者の救助に影響が出ると言う事、それに加え、原発に関して、特に『放射能』と一般的に言われている物についての不安を煽るだろうと言う事が懸念されていた。
 被災者の救助の件に関しては、報道用のヘリコプターや車の規制をして欲しいと言う要望が、軍からも来ている。以前起こった大きな震災、阪神淡路大震災及び新潟中越地震。その時に、報道陣のヘリコプターが救助を阻害したと言うのだ。これを鑑みて、報道にはある程度規制を入れた方が良いだろうと、三人は思って居る。
 しかし、救助以外、『放射能』と呼ばれている物に関する報道には、規制をかけるべきか否か、新橋総理は決めかねていた。
 規制するとするのなら、報道する際の言葉に掛けることになる。検閲を入れることによって迅速な情報の伝達が出来なくなるというのも懸念のひとつだが、それ以上に、一度言葉や表現に規制をかけると、なし崩し的に、様々な物に表現規制が及んでいく。新橋総理はそれを懸念した。
 次の対策会議の時間が迫る。その中で、曙橋がこう言った。
「総理、臓器くじをしましょう」
 臓器くじ。それは、多数を救うために少数を犠牲にするのは正義か否か、と言う事を考える思考実験だ。
 曙橋はこう言いたいのだろう。少数の、表現を規制されて困る報道関係者や作家を犠牲にして、より多数の震災被害者を救うべきか否かを考えろと。
 新橋総理は考える。国の上に立つ物として、より多数を救うことは正義である。けれども、彼女はそれを即断出来なかった。
 新橋総理は、ちらりと湯島を見る。湯島は視線を斜め上に向け、口を開いた。
「私の意見としては、多数を救うことを優先するべきだと思います。ですが」
「ですが?」
 新橋総理が問うと、湯島は言葉を続ける。
「もし少数の中に、私の弟が含まれるのであれば、私は多数を切ります」
 少数の中に弟が含まれれば。その仮定は、新橋総理にも当てはまった。新橋総理の弟は、作家だ。長年努力をして、数年前に夢を掴んだばかりだった。
 難しい顔をする新橋総理に、湯島は口元を歪めてこう付け加えた。
「ですが、今回私の弟は少数には含まれません。むしろ、放射性物質の研究をしているので、『放射能』に関するより正しい情報を伝えるための規制ならば、私は歓迎です」
 湯島は有能な秘書だ。しかし自分の欲を隠さない。いや、だからこそ有能なのかも知れない。湯島の率直な意見を聞き、新橋総理は曙橋の方を見る。すると彼は、すこし俯き気味に口を開いた。
「総理はご存じかと思いますが、僕の先輩には小説家が居ます。それ以外にも、物語を書くのが好きな知り合いが、沢山居ます。その人達のことを考えると、いずれ彼らの首を絞めることになるであろう言論規制には、躊躇いがあります」
「ならば、あなたは言論規制には反対?」
 心なしか弱々しく感じられる曙橋の言葉に新橋総理が問いかけると、曙橋は強い口調で答えた。
「僕は、創作活動をして居る彼らを信頼しています。喩え言葉を狩られたとしても、彼らは上手くやる。そう信じています。
そして、真の創作家という物は、限られた枠の中でも力を失う物では無いと、そう思います」
 その言葉を、新橋総理は厳しい顔で、湯島は薄ら笑いを浮かべながら聞いている。
「しかし、被災者は手を差し伸べなければ、時を待たずして命を失う人、そして生活を失う人が大多数です。
それならば、優先するべきは多数の被災者です」
 曙橋は、いつも人の事を気にかける、優しい性質の持ち主だ。しかしながら、情に流されて大局を見失うことはしない。彼もまた有能な秘書だった。
 新橋総理は、二人の意見を聞いて考える。多数を救うために少数を犠牲にするのは本当に正義なのか。少数の中に自分の弟が含まれているにも関わらず、多数を選択して後悔しないのか。彼女は思案する。彼女の中で総理大臣としての自分と、かつて美術の道を志した自分とが、葛藤する。
 時計の針は進む。結論はもう、出ているのかも知れない。けれども、それを口にすることに些かの恐怖があった。
 湯島が見かねたように言う。
「新橋総理。まさかご存じないとは思いませんが、国民の大多数は愚かです」
 それを聞いた曙橋が一瞬湯島を鋭い目で見て、視線を落とす。湯島は言葉を続ける。
「地震について、救助について、支援について、そして今回最も厄介な『放射能』と言う物について、正しい知識を持っている者は極一握り。大多数はデマに流され、センセーショナルな発言ばかりを正義と錯誤する。あまつさえ、自分に都合の良い情報以外は切り捨て罵り、正しい情報を受け付けようとしない」
 嘲りの混じった湯島の言葉に被せるように、曙橋も口を開く。
「認めたくない物ですが、これも事実です。
我が大日本帝國の国民は、基本的には善良です。ですが、その善良さは独りよがりで、時として害になるケースも少なくは無い。
総理はそれも考慮して決断をしなくてはいけません」
「そう。基本的には善良です」
 今度は湯島が曙橋の言葉に被せる。
「その善良さ故、日本国民は『放射能』を恐れる。先の大戦でアメリカに落ちた三発の原子爆弾。そのうちの二発は過疎地に落ちたが、一発は人口の密集する市街地に落ちた。その時の地獄絵図を知り、我が国民は皆が心を痛めた。そして、戦勝国である我々が永い平和を願い宣言したのが『非核三原則』です。これはご存じでしょう?」
「そして、旧ソ連のチェルノブイリ。その原発事故にも心を痛め、恐れた。
日本国民は善良さ故に『放射能』を怖れ、そして正しい知識を得る機会を失っています。
この国民を、今一度教育する機会は、今なのかも知れません」
 湯島と、曙橋の言葉を聞いて、新橋総理が口を開く。
「国民の教育のためにも、言論規制をするべき。と?」
 その言葉に、二人は頷く。
 数秒間、時計の音を聞いて、新橋総理は心を決めた。
「次の会議で案として出しましょう」
 曙橋がちらりと見て問う。
「通せますか?」
「通せるか? ではありません。通します」
 次の会議までの時間が迫る。新橋総理は席を立ち、準備をする。その間、学生時代のことを思い出していた。新橋総理が通っていたのは美大で、周りの人々は皆、何かを表現することを生きがいとし、それを職にする者も少なくなかった。きっと自分は彼らから疎まれるのだろう。そう思った。そして、弟のことに思いを馳せる。彼は実力のある小説家だけれども、窮屈な規制が出来るきっかけになりかねない姉をどう思うだろうか。自分は、ほんとうに弟を殺すことになりかねないのでは無いか。不安だった。
 それでも、意志は曲げない。そう決めた。
 休憩室を出て会議室に向かう途中、湯島が新橋総理に言った。
「言論規制の案が通れば、あなたはネット上で相当叩かれるでしょうね」
「覚悟の上よ」
「それは心強い。
どんな風にネット上で炎上という名前の祭になるか、見ていることとしますか」
「祭なんて、まつりごとには付きものよ。いちいち気にしては居られない」
 短いやりとりを交わし、新橋総理は会議室に入る。臓器くじの結論は出たのだ。


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サークル名:インドの仕立て屋さん(URL
執筆者名:藤和

一言アピール
現代物から時代物まで、ほんのりファンタジーを扱っているサークルです。
こんな感じの少し堅めの物からゆるっとした物まで色々有ります。
いっぱい集めるといっぱい楽しいよ。

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