祭りの終わり

 マルボロのスーパーライトが切れた。
「なんか買ってくるものない?」
 清水にコンビニに行こうとしていることをそれとなく伝える。
「うーん、オカモトのゼロワン」
「今ボケんじゃねえよ」
 本気で頭をはたいてやろうと思ったが、それより煙草が欲しい。貰ったギャラを握りしめ、「ごめん」という彼女の脇を通り過ぎて小劇場という言葉そのままの小汚い楽屋を抜け出した。
 上松戸の夜風は冷たく、繁華街なのに人はまばらで、十一月の風は骨まで染みていくような気がした。西友で買った安物のスーツはくたくたで今にも破けそうだ。
 どうしてこんなことになったのかなんて、今更考えることそのものが既にナンセンスだって知っている。成り行きで大学時代の後輩とお笑いコンビを組み、フリーターをしながらまだどうにかそれで食っていこうと踏ん張っているなんて、数年前に死んでしまった親が生きていたらどんな小言を吐くのか、それだってだいたい想像できる。漫才の脚本を書き始めたあたりから、世の中にそれほど予想外なことはないって俺は知っている。清水はあんな澄ました顔してるけど意外と馬鹿だから知らないだろう。
 ネオンが壊れかけたパチンコ店を過ぎ、ようやく見つけた緑色の看板のコンビニに入って、おにぎりとカップめんに小さなロールケーキを買って、マルボロのスーパーライトを店員に頼んだ。眼鏡をかけた細い身体の、いかにも学生みたいな男が、無表情で白いハードケースを二箱、ぞんざいに取り出してレジ袋に入れた。この時間のサービスなのだからこれで十分だ、と思えるようになったのはいつからだろう。
 灯りの消えた小劇場の前で、清水は化粧っけのない顔でビニール傘を持って立っている。
「追い出された」
「悪い」
「ロールケーキ」
「買った」
「オカモトのゼロワン」
「あるかボケ」
 軽く頭をはたくとなぜか彼女はぶすっとした顔をした。のるわけないだろ、そんなしょうもないボケ。
 ビニール傘とレジ袋を交換すると、清水のおでこににきびが出来ていることに気づいた。一瞬だけ悪かったと思うも、そもそもお前のボケのキレが甘いせいだ、とツッコミを入れたくなってやめた。
 国道八二一号線沿いに建てられた、工事現場のプレハブ事務所を少し豪華にしただけのアパートへ向かう。騒音に目をつぶれば、そこまでひどい物件じゃないし、家賃は前より安いから気に入っている。
 今は作家になってしまったお笑い芸人が書いた漫才コンビの小説が好きで好きすぎてここまで歩いてきてしまった。清水はもともとお笑いが好きでやりたかったと言っていたから、就活でどこにも内定をもらっていないところにつけ込んで「トラコナイト」を結成してもう五年。大学時代の同期のほとんどは結婚し、年収はどんなに少ないやつでも俺の三倍以上になっていた。かたや俺は、学生時代からほとんど変わらない生活を送っている。変わったことと言えば、部屋が広くなって清水が同居するようになったことくらいか。
 薄い扉を開けると、清水はすたすたと上がり、電気ケトルに水を入れスイッチを押した。これも大学時代、隣で騒音をかき鳴らしていた軽音楽サークルからこっそりくすねてきたもので、もう七、八年使っていてくすんだ染みやごりごりの湯垢がくっついて離れない。
 もともと育ちがいいのか何なのか知らないが、清水は本当に何もできない。包丁を握らせれば必ず負傷する、フライパンは鈍器にしか使えない、半透明のプラスチックのチェストには色とりどりの布がひしめきあっていて、それが下着の群だと気がつくのは多分俺くらいであって欲しいし、ごくまれに熊の遠吠えのようないびきをかくことがある。もったりとした一重瞼は美人というには恐ろしく失礼で、かといって笑いの武器に出来るほど不細工でもなく、しかし生かし方を知らないのかどんな服を着てもどんな化粧をしても何かボタンをかけ間違えたような雰囲気で周囲からしょっちゅう二度見される。持っているもののなさに関しては天下一品で、だけど人一倍プライドが高くて繊細でそのくせ貪欲な彼女に俺はボケとしての才能を見いだした。いや、本当のことを言えば誰でもよかったのかもしれない。とにかく彼女は俺がだまくらかすのにちょうどよい人材だった。運命と言ってもよかった。相方としては。
「食べないの?」
 冷蔵庫で発泡酒を探す俺に彼女は鈍くさい声をかける。俺は無言でプライベートブランドの恐ろしく不味い発泡酒を持ち出して、マグカップに注いだ。
「今から食うんだよ」
 清水がドライヤーのスイッチを入れた瞬間、部屋が真っ暗になった。
「お前何してんだよ!」
 ツッコミを含めて今日だけで三桁に届きそうな俺の空虚な怒号がこだました。
 その後、飯を食うことを忘れるなど、コンビとしてはいくつかベタな流れになり、結果俺はオカモトのゼロワンを買わなかったことを後悔させられることとなるのだが、めんどくさいので詳細は省くことにする。
 それより、求められているのは祭の話だ。

 確か、その一週間くらい後の話だった。
「久々の大仕事じゃん」
「ほんと、なんで呼んだんだろうな」
「OB枠?」
「いや、事務所が寄越すのおかしいだろ、もっと上よこしてやれよって」
 翌日、俺たちは未だに近所にある出身大学の学園祭へ向かっていた。俺も清水も就活の時のイマイチなスーツを着て、冴えない学生みたいにふらふらと歩く。地下鉄の改札から百五十二歩、覚えているのは昔こいつと計ったからだ。養成所時代も「歩くのが異様に早いコンビ」と同期にイジられるくらい俺たちは歩くのが早かった。普通の学生がたらたら十五分かかる道を十分ちょっとで向かい、学園祭実行委員会の担当者と打ち合わせを始めた。
 担当者は、学部で言えば遠い後輩にあたる、利発そうだけれども少し引っ込みがちで、それでいて斜に構えた部分を垣間見せるようなツーブロック男で、俺は昔の自分を見ているようで殴りたくなりながら、隣で今にも笑い出しそうなところを必死でこらえている清水と足踏み合戦をしていた。打ち合わせと言っても、要は三十分適当に場を持たせればいいだけの話で、それ以上の大した中身はなかった。まあ、そんなもんのギャラなんだろう。安請け合いしやがって、と事務所の方向をにらんでおいた。ゲンを担ぐのは嫌いじゃない。
「懐かしいね」
「学生時代は滅多に学園祭なんか来なかったな」
「わたしも。あんまり得意じゃないの」
「どういう風の吹き回しなんだろうな」
「あ、拓ちゃんさあ」
 清水は俺の頭に手を伸ばした。彼女の指先で髪が数本、哀れに抜けた。
「お前なあ」
「ゴミついてた」
「もうアラサーなんだから髪抜くのやめろよ」
「ごめん」
 少し悪いと思ったらしく、彼女はうつむいた。これはまずい。
「それより、俺らのサークル、まだあるのかな」
「ないでしょ」
「即答すな」
「わたしらより後、見たことないし」
 確かに、部室に入り浸る先輩はともかく、後輩の顔は見たことがない。
「落語なんて今更流行らないからね」
「そうでもねえと思うぞ? 最近アニメもやってるし」
「案外結構いるのかな」
「そうだといいな」
「二億人くらい」
「会計ちょろまかし放題じゃねえか」
 俺たちはこうやって日常会話から徐々に漫才のテンションにもっていく。そうやってクラッチを丁寧に切っていかないと数分の漫才すらまともに出来はしないのだ。
 やっぱり、不器用なのかもしれない。
 そして、清水とこうやって漫才のテンションに持って行くだけの、日常でもネタでもないこの会話が一番落ち着くのは何でだろう。やりすぎてしまったのかもしれない。何もかも。
 何はともあれ、学園祭は学園祭で回っている。俺たちは俺たちの漫才をするしかない。俺たちだけで、新しい祭を作っていくしかないのだ。見に来る客は客じゃない。実際は新しい祭の実験台だ。祭囃子や出店だけが祭じゃないってこと、後輩のあいつらにもちゃんと見せてやらなくちゃ。

「そろそろ、お願いします」
 ツーブロ野郎、よろしく頼むぜ。
「行くか」
「せりふ飛ばさないでね」
「お前が言うなや」
「オカモトのゼロワン」
「それ本番でぶち込むんじゃねえぞ」

 そうして、多くの実験台に囲まれて、俺たちの祭が始まった。


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サークル名:(株)ごうがふかいなホールディングス(URL
執筆者名:ひざのうらはやお

一言アピール
世界の皆様に「ごうがふかいな」の概念をお届けする、(株)ごうがふかいなホールディングスです。当日企画「みんなのごうがふかいな展」も細々とやっておりますので、ぜひ参加してみてください。みんな違ってみんなごうがふかいな、それが同人創作というものだと思います。ちなみに本作と同じ人物が登場する予定の鉱石トリビュート「ゲンセキ」を新刊として持っていく予定です。

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