イノセンス

 青褪めた春の残り香を、あなたは愛したのだろうと思う。
 はれの日に似つかわしい、さやかな秋の午后ごご午後だった。人知れず弔われたあなたの身も知らず、世界は祝福を謳う。
 おめでとうございます、姫君。いいえ、おめでとうございます、妃殿下。祝福を、さいわいを、この祝祭に、成就の佳き日に、恋物語に喝采を!
 臣民は傅き、私はあざやかな宝石とレースと刺繍とリボン、乙女のあこがれるすべてで彩られた盛装に身を包み、今宵夫となるべき年下の少年はかたわらで、民衆を見おろして微笑んだ。佳日の歓声は音高く、散花は目にもあざやかだ。
 父を殺され、修道院で生まれ、その後母の死にともなって歳の離れた兄に引き取られた、狭霧の異名を冠す悲劇の姫君。そんなあわれでうつくしい少女たる私は、今日のこの日、侯爵家遠縁の、少年公子に嫁ぐ。うら若き夫は侯女よりも年下で、けれどこの不遇の姫君を彼女の兄と共に後見し、しあわせにできるだけの地位と血筋があると信じられていた。
 然様、狭霧姫さぎりひめは、しあわせになる。修道院で過ごした不幸な日々を捨て、しあわせになるのだ。
 そう背丈も変わらない夫と腕を組んで控え目に、私の婚姻を祝う人々へ手を振った。白い袖が、たおやかに揺れる。
 青褪めた春の陽射しは遠く、秋の午后を澄み渡る風が、陽光を孕みさんざめく。
 なるほど、一点の曇りもない蒼穹はこの純粋無垢な婚礼に相応しかろう。婚礼を祝す詩人の賛歌も、時を経ず高らかに響くだろう。おとぎばなしはそうして、この祝祭をもってして、めでたしめでたしとくくられる。
 さて――最後に秘め事をひとつ明かすとしたら、しあわせには代償がつきものだということだ。
 あわれでうつくしい狭霧姫。そうとも、確かに姫は美しかった。修道院という閉塞的な箱庭にあって、姫君は誰よりも美しかった。だから、狭霧姫と呼ばれたは、修道女たちの中にまぎれられた。儚い容貌だ、男であるはずがないと騙って。だから、彼の兄は手駒として妹を欲した。稀有な麗しさだというのなら、公子の心も掴むはずと謀って。
 夫を殺された妻は、最初の息子を置き去りに修道院に逃げ込むほかなく、その後生涯を修道女として生きるしかなかった。孕んだ身で神の花嫁となり、産み落とした二人目の子は男だった。つまりはそんなありふれた話だ。女子修道院で生まれた彼は生来、娘として育てられた。見目も言葉もなにもかも、ひたすらに少女を装うことが、彼の命を守る術だった。であるがゆえ、父の仇を討った兄侯爵に、彼は妹姫として所望された。生来の私は狭霧姫と呼ばれた彼とともに育った修道女の私生児でしかなく、けれど似通った色彩とあまり通じぬ別種のうつくしさゆえに、狭霧姫とともに、彼の兄侯爵に引き取られた。
 目的など、ひとつである。政略のために他ならない。今も昔も、おとぎばなしなどそんなものだ。
 おもえば、神の花嫁の不義の子として、ふたり手に手を取り合って虐げられた彼とともに……自分たちではどうにもできない生来のかんばせのうつくしさを、不信心と詰った修道院を発ち。そうして彼の兄君の城まで旅した短い日々こそが、人生最後の、あるいは生涯忘れ得ぬ、私と彼がそれぞれにいとおしんだ時間だったのだろう。
 おろかにも、姫君の侍女としてのこれからの生活に思いはせていた私と。
 おだやかに、春の花を腕いっぱいに集めては花冠を編んだ同い年の幼馴染。
 祈るように花の一つ一つに触れた彼は、とても賢い人だったから……もしかしたらこの結末を、早々と察していたのかもしれない。
 あるいは――青褪めた春の、残り香を。あなたは愛してくれたのだ。私の首に、環のおおきすぎる花冠をかけて。これじゃ冠にはならないじゃない、と笑った私の喉に、手を添え。あなたはけっして手放せぬ、忌まわしい祝いを吐いてくれた。
 そしてその言葉を忘れ去りもしないうちに、惨禍はするどく、降り注いだ。
 兄君の城の奥深くで、かくては殺された。修道女の私生児であった、私という人間として、彼はみじめに殺された。もはや私の名前を語る者も、彼の記憶を語る者もない。たったひとり遺されたのは狭霧姫の名を騙る、愚かでばかで無知だった、この私にほかならない。
 思い出にひどくかなしくなって、とっさに幸福そうに笑みをほころばせる。すると腕を組む夫が、もう一方の腕を私の髪に伸ばした。優しい手つきで前髪を梳き、額にかるく口づける。生涯白くあろうではないか、と。そう互いに誓いあったこの男もまた、いたいけな顔で抱え込む過去に、なにやら秘め事を飼っているらしい。契約上の夫婦の間に交わした相互不可侵と同盟の約定を、まさか忘れたのではあるまいなと。そう咎める仕草は、はたからみればただの愛撫である。返答に代え頬を染めてはにかんだ私に、彼は安心したように目元をゆるめて、ふたたび婚礼を祝す民衆へと大きく手を振った。
 案ずることはない。無垢な婚姻を貫くことを、反故にする日は決して来ない。世間や後見が望むように、私が夫の子を孕む日も、あるいは夫が私を離縁する日も、訪れはしない。私が微笑みの下に飼う後悔や、夫が心臓の裏に抱え込んでいるのだという、彼の憤怒がついせぬかぎりは。
 然様、私にとっても彼にとっても、この夫たる少年にとっても望ましい、これはいまや私が兄と呼ぶ、仇敵への返礼である。
 ……あなたと旅して、もう半年が過ぎた。あなたが殺されて、もう半年も過ぎてしまった。晩春に咲く青褪めた花が、あなたが愛したように咲くことを拒んだとしたら。拒絶はかつて狭霧姫と呼ばれた彼を、悔いなく天へ昇らせない為の、足枷になってくれるだろうか。
『しあわせに、なってくれるんでしょう』
 私の名前で弔われたあなたが。永劫、土に縛られるとしたら。
『だけど一生、忘れさせない』
 あなたの名前に殺された、私の名前は報われる。私の名前で殺された、あなたの無念を受け継げる。
 そうでしょうとも。忘れなど、しない。忘れず私は生きて死ぬ。
 まつりごとにも、祭事まつりごとにも、なにひとつとしてかかわりのない、私とあなただけが知る、つたなくてずるい、まつりごと。それだけを秘か、いっとう大事に首に飾って。
 朽ちた花冠は、とうにほどけた。けれども今とて息をするたび、食事をとるたび、この声であなたの名を騙るたび、私は己の胸に、心臓の上に、あなたの白い手で差し出された、あの日の花冠を思い出す。私と揃いの無垢の名を持つ、青い花冠を幻視する。
 そうして、あなたのせいで殺された私は、あなたとともに生きていると、いつまでだって思い知る。
 世界は、祝福を謳う。ふしあわせだった狭霧姫は、望まれた婚姻でしあわせを手に入れた。祝祭のさなか歌い継がれるのはただただ、うつくしい候女のおとぎばなし。
 そのはじまりの前に咲き初めた残花の色は凋落ちょうらくすれども、いくつもの情をからませすぎた私の名前は――今や私ひとりが愛する、ふたり歩いた青褪めた春に、今もあなたの墓標として眠る。


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サークル名:からん舎(URL
執筆者名:篠崎琴子

一言アピール
架空近代×少年少女×ファンタジー、取り扱っております。
アンソロ寄稿作は無垢で無知な雛草の、まつりについての掌編です。
新刊には少年少女の結婚にまつわる短編集と、間に合えば墓無しの魔女と名無しの花嫁の御伽噺を準備予定。文章だけでなく装丁も楽しんでいただけましたら。

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