星に願いを

 からからと、色とりどりの風車が回る。笑い声を載せた風が、風車を回していた。この場所の活気が回転速度を上げているような気もするほどだ。太陽が地平の向こうへ消えて、空が夜を帯びてきたが、人々の熱気で肌寒さはいくぶん緩和されている。
「ははうえ、ひとがいっぱい」
 沙綾の陰に隠れ、綾乃が小さく零す。着物の袖をぎゅっと掴み身を隠した綾乃は、緊張に顔を強張らせていた。ただでさえ人見知りが激しく、ましてや人で溢れ返るこんな場所は綾乃にとって初めてだ。震えていても、不思議はなかった。左手で綾乃の黒髪を撫で、視線は右へスライドさせる。
 相変わらず、膨れっ面のままの康臣やすおみが前方を睨んでいた。人ごみは嫌だと未だ主張しているらしい。
「康臣、いつまで膨れておるのじゃ。いい加減機嫌を直せ」
「膨れてない」
 ぷいっとそっぽを向いたはずみで、高い位置で結わいた沙綾譲りの若草色の髪が不機嫌に揺れる。ふう、と短く息を吐いて、沙綾は右手に康臣の手を、左手に綾乃の手を握った。そろそろと、顔色を窺うように視線を向けた二人へ、沙綾は柔らかく微笑む。
「たまには、こういう場所も良かろ。年に一度の星祭りだからの」

 星祭り。国の趨勢を占う占星術の結果が公示され、約半月後に国をあげて行われる大きな祭りだ。占星結果が良い未来であればその幸を祝い、悪い結果であるならばその災厄を追い祓う意図で行われる。太陽が一番高い場所まで上った頃に始まり、月が一番高くなる時間まで続き、その間各地で踊りや祝いの歌が響く。大通りにも露店が立ち並び、一番の書き入れ時とあって、あちこちで商人たちも声を張り上げていた。
 すれ違う人々の多さに、綾乃は時折小さく悲鳴を上げる。無言のまま興味に瞳を輝かせる康臣とは正反対だった。
 真っ赤な金魚が泳ぐ浅い水槽に、沙綾はふと足を止める。
「ははうえ? これ、なぁに?」
「お嬢ちゃん金魚すくいは初めてかい? どうだい一回!」
 ここぞとばかりに声をかけた店主に、沙綾は苦笑を返す。きっと、彼の目には姉妹の様に映っているのだろう。猫神という妖怪である沙綾は、若さを維持する期間が長い。これでも二十五年は生き、康臣と綾乃という子持ちではあるのだが。
「綾乃、やっていくか」
「え、う、うん」
 強張った顔のまま、綾乃は首を縦に振った。沙綾は頷き返して、店主に一回分の代金を払う。康臣はこういう繊細で集中力のいる遊びは苦手だ。露骨に面白くなさそうな顔をしている。向かいの射的の方が喜ぶだろう。浅い水槽の前に綾乃がそっとしゃがみ込む。店主から渡された紙の張った輪に目を瞬かせる綾乃。頭に鉢巻を巻き付けた店主はからりと笑って、綾乃の前で水槽を泳ぐ金魚を軽々と水の張った椀へと移し替えた。椀の中でぴちぴちと跳ねる金魚に、綾乃が目を丸くする。
「すごい! おじさんすごいね!」
「ほれ、嬢ちゃんもやってみな。いいか、そーっとだぞ」
「うん」
 強く頷いて、真剣な眼差しで綾乃は金魚の泳ぎを目で追いかける。赤や黒、尻尾の長いもの、目玉が飛び出そうな金魚までいる。水槽の中はさながら小さな絵画のようだ。
 集中する綾乃の耳には、響く笛や太鼓の音は聞こえていないだろう。ゆっくりと金魚への距離を詰める綾乃は、呼吸すら忘れているようだが。
(時臣も、金魚すくいばかり好んでいたのう。下手だった、けれど)
 失敗に悔しさなど微塵も滲ませない、ただ純粋にその時間を楽しんでいた横顔が眩しかった。
 不意に脳裏を掠めた過去の記憶に、沙綾はぐっと奥歯を噛む。傍らにいた、優しい笑顔はもうないのだから。
「えいっ!」
 そこまでの慎重さを唐突に破った綾乃が動かした輪の紙は、いとも簡単に金魚の重さに負けて大きな穴を穿った。
「あれ」
 きょとんと穴を見つめる綾乃に、後ろで見守っていた康臣が噴き出した。
「へったくそだなー綾乃」
「ふむ。康臣もやるか?」
「オレはそれより綿菓子が食いたい」
 胸を張って応えた康臣に、沙綾は綾乃と顔を見合わせ、揃って笑った。実に康臣らしかった。

 祭りの会場から少し離れただけで、熱気は瞬く間に夜の空気に拡散していった。広い敷地を区切る塀の脇を抜け、裏手に続く竹林の緩やかな登り坂を三人の足音が進む。人の喧騒の代わりに、風に揺れる宵の空気が耳元を掠めた。
「このさき?」
「そうじゃ。この先にある社で、わしは昔暮らしていた」
「ちちうえも?」
 首を傾げた綾乃に、沙綾は静かに首を横に振る。不思議そうに沙綾を挟んで顔を見合わせた綾乃と康臣。沙綾は薄く笑みを浮かべる。
「ぬしらの父上は、先ほどあった屋敷の主じゃよ。今もまだ、あの家が存続していて良かったわ」
「あの大きな屋敷って、星詠みの家の人だろ?」
「そうじゃ。ぬしらの父上は、立派な血筋というわけじゃ」
 言って、沙綾の胸に痛みが走る。矢萩時臣。今は亡き、沙綾の夫にして二人の父親だ。あれから二年経った。時臣を喪って二年。あっという間で、だが長かった二年。ようやく心の折り合いがついて、今この道を歩いている。
 星祭りという言葉ですら昨年は耳を塞ぎたかった。占星術は、時臣そのものだ。時臣が生きていた頃は、この祭りが誇らしかったというのに。未だ燻る痛みの中で、それでも沙綾は生きて来なければならなかった。手を引く、二人の為に。
 そして辿り着いた静かな境内。風化した鳥居と手入れのされていない社。神も妖怪もいないのだから、参拝者すらいないだろう。当たり前と言えばそうだった。懐かしく、やはり寂しさが過ぎる。かつての居場所が朽ちている姿は、哀しい。鈴虫が遠くで合唱しているのが、聞こえてくる。
「ちちうえも、ここでそらをみたの?」
 不意に綾乃が問いかける。唇を辛うじて笑みの形に変えて、沙綾は頷いた。
「そうじゃ。星祭りの日は、何故か本業を投げ捨ててよくこの場所に居たの、時臣は」
「じゃあ、ちちうえは、きょうもいるかもしれないね!」
 にこりと時臣に似た笑顔を浮かべた綾乃に、沙綾は言葉を失った。まるで、本当にここにいる、とでも伝えているようで。
「ばっか。いるわけねーだろ。父上は、夜空の星になったんだよ。むしろ今日はちょっとだけ父上に近いんだ」
 空に手を伸ばして、康臣は真っ直ぐな眼差しを星々に向ける。普段暮らしている屋敷より、今日は高度が高い事を理解しているのだろう。沙綾の手を握る康臣の手は、どこか力強い。その強さに、沙綾は胸が詰まった。
「……わしは、弱いのぅ」
「いーんだよ。母上は、オレが守るんだ。オレ、りっぱな男だからな!」
「あにうえ、あやのにはいじわるだよ……」
「気のせーだ!」
 断言した康臣に、綾乃は頬を膨らませる。二人の様子に、沙綾は自然と笑みを零す。
「……少し休んだら、帰るか」
「えぇ、最後の花火は見ねーのかよ?」
 星祭りの最後は二発の花火で締めくくられる。康臣は、あるいはそれを一番期待していたのかもしれない。
 不服に口を尖らせた康臣へ、沙綾は母として毅然とした笑みを見せた。
「ぬしらはそろそろ寝る時間じゃ」
「げっガキ扱い!」
「来年もある。その次も、……きっともっと先まで」
「じゃあ、またらいねんも、ここにくる?」
 綾乃が期待に瞳を輝かせた。そんな綾乃の瞳に、沙綾は頷く。
「そうじゃの。そうしようかの」
「やくそくね、ははうえ!」
 嬉しそうな綾乃に沙綾はそっと空を仰いだ。
 未来は不確定だ。それでも、希望がなければ前に進む事すら出来ない。
 一人ではきっと立ち止まっていた沙綾だった。それでも、多少なりとも前を見ている。綾乃と康臣がいるからこそ、前を。
 見上げた空には、星が輝いている。時臣が未来を読み取り続けた沙綾には見えない文字が、きっとそこにはあるのだろう。
 星詠みは、未来を紡ぐためにあるのだ。過去を捨てて、未来へ進むために星はきっと輝いている。
 それでもまだ、沙綾は星祭りを終えられない。過去を清算し、未来へ祈りを繋ぐ勇気がまだ。沙綾の心には、まだ少しだけ時間が要る。
 だからこそ、締めくくりの花火はまだ、早い。


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サークル名:Garden of Jade(URL
執筆者名:翡翠しおん

一言アピール
ダークファンタジーの長編メイン。物語の最後に辿り着いたときに、もう一回最初から読んで面白いと思ってもらえる作品を作りたい。絵も文も一人のため、絵柄と本編の差に頭をいつも悩ませています。テキレボ内企画「女装男子&男装女子の集い」企画主。

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