花を抱えてそぞろ歩きもまた楽し
花を抱えてそぞろ歩きもまた楽し
雲ひとつない晴天の昼空は、美しい夜色の花火で彩られた。人々の喝采が街に響き、賑やかな三日間が幕を開ける。国を挙げてこの佳き日を祝う、建国祭の始まりである。
色とりどりの花が店頭に並び、手に取られることを今か今かと待っている、街角の花屋。その店頭で、あっちを見て、こっちを見て、といくらか目移りをする少年がいた。年の頃は六歳。手持ちのお金は三十五クラウン。一輪買うのが精一杯。
「おにいさん、おにいさん、どれがきれいかなぁ?」
「うちの花はどれだってきれいだよ。坊やが一番と思うものをお選び」
花屋の店主はそう恰幅よく笑った。子どもがひとり、延々悩んでいても嫌な顔をしない良い店主だった。
出来るだけ綺麗なものが選びたい。なんといっても今日は祭りの日だ。少年――エリエも両親の祖国、水の都ウィッシュの伝統衣装を身にまとい、少し背伸びをした風に着飾っている。一枚の布を折って仕立てる、少し袖の長い服だ。
そうしてようやく、一輪。これに決めた、と手を伸ばしたところで、別方からもう一本、手が出てきた。
あれ、とその手をたどって見れば、そこには自分よりもずいぶん年上、十五歳くらいの少年が立っていた。
「おにいさんも、このお花、買うの?」
「……ちょっと迷ってるんだ。僕は別のにしようかな」
そう彼はエリエが手に取ろうとした花を抜き、自分へと差し出してくれた。
「あのね、お母さんの夜のおふねにかざるの。おにいさんは、お花、どうするの?」
「ナ――、おにいさんの、仕事場に飾ろうと思って。選ぶの、手伝ってもらって良いかな?」
彼がそう頼むので、エリエも元気よく頷いた。先ほどからずっとここの花を見ていたのだ。どれが綺麗なのか、選ぶのには自信があった。 「四国の全部を合わせたような、花束が作りたいんだ」
このヴァインには、五つの大国が存在する。
炎を操り火山の麓に暮らす国、ウェルダン。
風と共に峡谷に生きる国、ウィセル。
水を敬い海に面して暮らす国、ウィッシュ。
土と共に地を称え砂漠に生きる国、ウォーム。
そして、英知を追い求める知識の国、ヴァーレ。
ヴァーレは、自ら
それぞれの国には象徴となる色がある。ウェルダンは赤、ウィセルは緑、ウィッシュは青、ウォームは茶。
本当なら、ヴァーレも入れて五国の花束にしたいんだけど、と彼は言った。けれど、ヴァーレの象徴は黒。黒い花は、この花屋にはおいていないのだった。
ないものは仕方がないね、と様々選んで、綺麗な花束が出来上がった。話を聞いていた花屋の店主は茶目っ気たっぷりにウィンクをして、少年の花束へ黒のレースリボンを巻いてくれた。
花屋は保ちが良いようにと、エリエと少年の買った花に水の魔法をかけてくれた。これで放っておいても一週間は保つのだという。
「きれいな花束が出来た。ありがとう。……きみはこれからどうするの?」
「んとね、おつかい! あとね、お外を見てきなさい、って」
手にした一輪の花とは別の手で、母の書いたメモを取り出す。
今日はヴァーレの建国祭。エリエがこのヴァーレに来たのは半年前の話なので、初めての祭りである。行商人の両親の手伝いをしながら学校に通っているが、今日は手伝わずに街を見てこいと言われたのである。
エリエの出したメモを「ちょっと見せてね」と覗き込んだ少年は、「一緒にお使いしようか?」とこちらに声をかける。なんでも、お使いのひとつ、ウォームの伝統菓子は、とびきり美味しく作っているところを知っているらしい。
「僕も、この国には来たばかりで。建国祭は初めて見るんだ。よかったら、一緒に回らない?」
ひとりよりふたりのほうが楽しいね、とエリエは頷く。
ありがとう、と笑った少年は、カイル・ヴァーレというらしい。
時刻は昼。この祭りの期間には、昼に市場が立つ。挽肉と根菜を混ぜ合わせた種に衣を付けて、さっと揚げた軽食を買う。さくさくとした衣に肉の旨味がじわりと染み込み、中はホクホクとしてなんともおいしい。時折しゃきしゃきした根菜が存在を主張して、手のひらサイズではあるけれど、栄養バランスもかんがえられているんだなぁ、とカイルは難しいことを言っていた。エリエもパクパクとふたつほどあっという間に平らげてしまった。
おいしかった、と包み紙を片付けたところで、大音量の歓声が上がる。エリエもカイルもそちらを見た。
そこは国営闘技場。水魔法で作り出された投影画面には、闘技場の中の様子が映し出されている。
対峙するのは男がふたり。一人は諸刃のよく使い込まれた大剣を構え、もう一人は自身の身の丈よりも長い槍を構えている。幾度かの打ち合いの末に間を置いたところなのだろう。双方どちらも細かな傷を負っているが、その表情はどちらも余裕と不敵さを感じさせる。
先に攻めたのは片目を黒い眼帯で閉ざした大剣の男。地を蹴り一気にその間合いを詰め、両手で下から斬り上げる。相手の男はそれを槍の柄で受け、耳をつんざく音がなる。その攻撃をいなし
剣戟のたびに歓声が上がり、エリエもカイルも魅入られたようにそれをしばし見ていたが、ずっとそこに立ち止まっているわけにも行かない。
腹ごしらえも済み、建国祭記念試合の一部が見られた幸運に感謝して、エリエとカイルは次のお使いの場所へ。向かうは知の国ヴァーレの中枢、ヴァーレ城。本来ならば研究を己の道とする人間しか入ることを許されない場所だが、この祭りの時期だけは一部一般公開されているのだった。
「ひろいねぇ、たかいねぇ」
エリエはその門をくぐってまずそう感嘆の声をあげる。
門を抜けた先は、噴水を囲うようにした中庭が広がっている。煉瓦敷きの地面には魔法陣など様々な模様が描かれているが、エリエにはまだ難しすぎてただの落書きと変わらない。
その中庭は、門を背にして右手が大きな実験を行う際に利用する実験棟、左手が研究者達の住まう宿舎と小さな実験室を備えた研究棟へと続く。そして正面には両開きの荘厳な扉。ヴァーレが誇る叡智の源流、ヴァーレ国立図書館への入り口である。
こっちだよ、とカイルがエリエを呼ぶ。慣れたように研究棟へと歩みをすすめるカイルを少し小走りに追いかける。すると、カイルがそっと手を差し伸べた。こうしていれば危なくないね、と優しく微笑んでくれるので、エリエは遠慮なくその手を取った。
カイルに連れられ歩いているうちにも、たくさんの紙を抱えて駆けていく人や、街で買い込んだ飾り物を抱えながら、片手で器用に本を読み進めつつ歩く人など、街ではあまり見ない様子がちらほらと伺える。
そうしているうちに、何やら音楽が聞こえてくる。
「ここは、いつも食堂になってるんだけどね。今の時期は、半分ウォームのお祭り会場になってるんだ」
そう扉を開くと、封じ込められていた音が一気に広がる。
手鼓に合わせて数台の弦楽器がつま弾かれ、笛の音は流麗に彩りを添える。穏やかながら雄大なその舞曲は、遠い砂舞う砂漠、彼らの故郷を思い起こさせる。見たこともないエリエすらそう思わせる、厳しくも雄大な音楽だった。
楽師の周りには曲に合わせて踊る人々がいて、彼らも皆楽しそうだ。
そんな脇を抜けて、売店へ。エリエはそこで連れてきてもらった理由を思い出す。
たっぷりと柑橘果実の汁を生地に混ぜ込んだ、花開いたような形の揚げ菓子。地を司る国ウォームが祭りの際に作る伝統的なもので、家庭によりいくらか味もレシピも違うらしい。ふわりとした髪の売り子は、エリエと目を合わせるようにしゃがみこんで、ふたつほどおまけをしてくれた。揚げたてが一番おいしいよ、と言われたので、おまけの分をひとつ、カイルに渡す。
ふたりで頬張れば、鼻孔を抜ける柑橘の香りに柔らかな甘みが後を追いかけ、もっちりとした生地は程よい弾力でなんとも美味しい。
家で両親とともに食べるのもまた楽しみだ、とエリエは形が崩れぬよう慎重に鞄の中へしまいこんだ。
そうしている間に時は過ぎ、夕暮れ時。そろそろ両親から戻ってこいと風魔法で連絡が入る。もうすぐ灯り流しの時間だった。
「灯り流し?」
「んとね、みんなでおふねながすの! お母さんのおふねのかざりにするのに、お花買ったんだよ」
エリエはそう右手の一輪を掲げる。
「流したおふねはね、かみさまのところにいくんだって。お水をたくさんありがとうの代わりに、あかりをどうぞってするんだって」
元は船を模した魔道具を川に流すというウィッシュに伝わる伝統行事。水に富んだウィッシュらしい。
エリエはカイルの手を取った。驚いた彼の手をそのまま引いて、灯り流しの会場へ急ぐ。
街の中を流れる一番広い川は、エリエ達と同じように灯り流しに訪れた人々で賑わっていた。
突然見知らぬ人間を連れて来たことにエリエの両親は驚いたようだったが、余分に作ってあった船形の魔道具をカイルへ渡してくれた。エリエは母へ花を渡し、彼の母親は船へそれを飾る。
周囲に倣ってエリエとカイルはそっと水面に船を浮かべた。すると、ふわりと仄かに灯りがともり、緩やかに流れていく。
浮かべた魔道具は、人の持つ魔力によって灯りの色が異なっている。エリエは蒼、カイルは珍しくも白。他の人々が流したものと合わさり、それはまさしく天へと登る星屑の川のよう。
その情景を彩るように、締めくくりの花火が中天に打ち上げられ、ヴァーレの建国祭は鮮やかに終演を迎えた。
サークル名:神様のサイコロ(URL)
執筆者名:唯月 湊一言アピール
一次創作の谷出身、TRPGの沼と創作の街を行き来するしがない案内人の個人サークル、「神様のサイコロ」です。本作では、神が代替わりする世界「ヴァイン」の一国、知識の国ヴァーレの建国祭へご招待いたします。もしお気に召しましたら、少年カイルがヴァインを旅する本編『神送りの空』をどうぞお手にとって見てください。