氷室開きて、光さす。
言い始めの僕と広間で暇をもてあましていた元気な
ほんとうは平野にもいてほしかったのだけれど、遠征の任務追加でまだ帰還できないのだからしかたない。明日にはまにあってほしいな……。
はふ、と吐いた息がほのかに白い。もう夏だけれども、ここでは吐息が白くなる。
出入口の扉からゆるやかな坂で浅い竪穴へ下る、ほの暗く肌寒い茅葺きの小屋の中。半年前にみなさんの手と宗三さんが運転するトラクターの力によっていっぱいに詰めこまれ、春を溶け残った雪氷の山、あるいは床。そのあちこちをつるはしで砕く音が続いている。
「よいしょっと」
鶴丸さんがのこぎりで四角く切り出してくれた雪まじりの白い氷を、僕は筵を敷いた荷車にまたひとつ載せた。
「前田、それ、もうちょっと奥に詰められる?」
「はい、たぶんだいじょうぶです」
後ろで直方体の氷を抱えた鯰尾兄さんに尋ねられて、横から力いっぱい押しこんだ。重い。何度も押すうちに、なんとか氷どうしの隙間が無くなった。
「ありがと。これでいい感じにはまりそう」
その言葉どおり、兄さんの直方体は荷台の枠と先に置かれた氷たちとの間にちょうどよく収まった。積木の謎かけ遊びのようで、ちょっと楽しい。
「もういっちょだ!」
さらにもうひとつ、愛染が載せようとしたところで「おっと、待て待て」と鶴丸さんが止めた。
「これ以上積むと、荷車が動かなくなっちまうんじゃないか?」
「そうか? って、あー、つっめてー!」
愛染は凍った床へ氷をなかば放り投げるように置いた。軍手の上からしきりに息を吹きかけている。
「とりあえず、これだけ先に厨に運ぶか」
のこぎりを置いて号令を発した鶴丸さんが白い袴を揺らし、その名のとおりの優雅さで、
「よし、行くぞ!」
ひらり、荷台に飛び乗ると、
「ちょっと! 鶴丸さん、なに乗っかってるんですか!?」
「そうだよ! 氷よりアンタのほうが重いだろ!」
すかさず
「いやなぁ。さっきからずっとかがんで、のこぎりぎりぎりしとったじゃろう? 腰がのう、痛うて痛うてのう。じじいをいたわってはくれんかのう」
「急にお年寄りのふりしないでください! ほんとは腰、痛くもなんともないんでしょ!?」
「ほら、アンタがいちばん力強いんだから引っぱってくれよ!」
濃紺のつむじからハネる結わえそこねの髪を逆立てて鯰尾兄さんが問いつめれば、愛染も赤い髪を燃えあがらせそうな勢いでつめよる。
「わかったわかった。じゃあ大典太、きみも手伝ってくれ」
降参した鶴丸さんが、こちらに背を向けて小屋のすみっこにしゃがんだままの
「なんだよぅ、無視かよぅ」
おどけた口調で眉を下げる鶴丸さんに、鯰尾兄さんが「聞こえてないだけだと思いますよ」と苦笑いした。
「ええ、集中していらっしゃるようです。今回はみなさんに運搬をおまかせしてよろしいでしょうか?」
僕も苦笑で尋ねると、鶴丸さんは白い歯を見せて笑ってくれた。
「ああ、まかされた! 大典太のことは前田、きみにまかせたからな」
「はい!」
僕の返事に笑顔でうなずいた鶴丸さんは、荷台の左右から前へ伸びる梶棒の間に飛び降りた。両端をつなぐ支木を持ち、両手と胸で押すようにして荷車をひき始める。
「そーれ、わっしょい!」
鯰尾兄さんと愛染が荷台の後ろを押して助ける。
「祭だ!」
「わっしょい!」
「明日は!」
「わっしょい!」
「まんじゅう!」
「わっしょい!」
おかしなかけ声をあげながら。ゆっくりと坂を上った三振は、氷室の外へ出ていった。
両開きの木の扉を開け放したまま。
かけ声は遠ざかっていくばかり。
「ふふ、溶けちゃうじゃないですか」
元気でそそっかしい三振組らしさにこらえきれない笑いをこぼしつつ、坂を上った。再び閉ざした扉の前は、床からの冷気と外気の熱がもつれ合っているかのような、ふしぎな温度だった。
「前田」
呼ぶ声に坂の下へ目をやった。しゃがんだままの大典太さんが、襟に黒い羽根をたくわえた外套の肩ごしに僕を見上げている。つるはしの音は、やんでいた。
「これは、祭の準備なのか」
詳細を聞かされないまま引っぱられてきた彼が、いつもと同じ無表情で問う。
「愛染の『祭』は口癖ですよ。これはどちらかというと節句の催しですね。でも、たしかにお祭に近いかもしれません」
……うん。僕にとってはお祭かもしれない。だからこんなに心が躍る。
「まだ騒がしくなるのか……」
長く息を吐きながら立ち上がった大典太さんが宙を仰ぐ。つられて僕も上を見た。
鋭角の屋根。密に葺かれた茅のわずかな隙間からもれてくる陽の光は、届く前に溶け消えてしまう淡雪のよう。
「なぁ、前田」
「はい」
「この小屋は何だ? 厨に立派な冷凍庫があるのに、なぜ雪を詰めて保管しているんだ?」
ひたいを覆う濃灰のヘアバンドの下で、彼の眉間に小さなしわが寄った。大典太さんのことはいつも仰ぎ見るばかりだから、この角度でお顔を見るのはとても新鮮だった。
「ここは『氷室』です。昨年、連続で誉をちょうだいしたときにごほうびをいただけるということで……ダメでもともとのつもりで主君にお頼みしてみたら『風流だし予算も余ってるし、いいよ』と、建てていただけました」
各本丸の季節は主君の心ひとつで変えることのできる「景趣」らしいけれど、ここは現世と同じうつろいに合わせられている。もっとも、これはお頼みしたことではなくて、そもそもの主君の意向なのだけれど。
「風流、とは?」
「宮中行事の『氷室の節会』にちなんで、加賀前田家は氷室で保管した雪を毎年水無月――今の暦では七月一日になるのですけど――その日、徳川将軍家に雪を献上していたのです」
お教えしたかった。同じ前田家の刀。愛染や平野は知っていること。だけど、大典太さんは知らないこと。
「五代綱紀公の頃、ある菓子職人の発案で『雪が無事に江戸へ届きますように』と、神社におまんじゅうがお供えされるようになりました。その願掛けの行事は長く続き、城下町に広まるにつれかたちを変えていきます」
「かたち」
この
うちとけられていないのは「
「ええ。『雪が無事に江戸へ届きますように』から『家族やだいじなひとたちが無事にすごせますように』となって。白の一種だけだったのが
凍てついたままの坂を注意深く下り始めた。みなであちこちを砕いて散らばった小石ほどの大きさの氷を手桶に拾い入れながら、彼のもとへ戻る。
「というわけで、明日は『氷室まんじゅう』を作るのです」
「この雪を溶かした水でか?」
「そうしたいところなのですが、筵の切れはしや土が混ざってしまっていますし、明日までに濾過するのは難しいですから……。とりあえず、今年は現世のお酒で蒸したものが中心になるでしょうか」
「そうか。少し残念だな」
「残念」と、そうおっしゃってくださることが嬉しくて、つい頬がゆるんでしまう。
「明日は遠征組も帰ってくる予定ですし、全員そろいますからね。本丸総出でおまんじゅう作りです」
「ん? 俺も作るのか?」
「当然です。大典太さんも作って食べるんです」
僕は大典太さんの前に立つと、ゆるんだ頬を引き締めた。そして、深い深い緋の色をした両の眼をまっすぐに見上げてこう告げた。
「みなさんのご無事を、みなさんで祈るのです」
わずかにではあるけれど、彼は落ちくぼんだ眼窩の奥で目をみはったようだった。
大典太さんは、みはった目をそらさなかった。しばしの間、僕たちは見つめ合った。光の淡雪が頭上で散りいく、ほの暗く肌寒い氷室の中。時を止めたかのような静寂がはりつめる。
すっ、と息をのんだかのような音をもらして、大典太さんが薄い唇を開いた。そのとき、
「前田! 前田! 聞いてくれ! 驚きのまんじゅうを考えたぞ!」
バターンと乱暴に開かれた扉から、おなじみのはしゃぎ声が飛びこんできた。
「いやですよ、そんなみょうちきりんな味のまんじゅう。ぜったいおいしくないです」
「いやいや、うまいって。ぜったいうまいって。光坊と歌仙がたいへんおいしくこしらえてくれるって」
「鶴丸、鯰尾も。足元に気ぃつけろよ。この坂、さっきより溶けてるぜ」
「というか、だな。遠征に行かれる前に宗三からトラクター借りればよかったんだよなぁ」
「わぁ、危ない! 転ぶ転ぶ!」
本丸に満ちる陽と万緑の香、それを含ませた鮮やかな光と暖かさをまとって。
「まったく……」
からになった荷車をひいて転がるように坂を下ってくる三振組のようすに、大典太さんは大きなため息をついた。
「ここはほんとうに騒々しいことこのうえないな。毎日がお祭り騒ぎだ」
そして、つるはしを担いだ彼は――――
自身が納まる蔵に止まった烏すら落とすというその強大な霊力を畏れられ、病魔に臥せった
――――わずかに唇をほころばせて、笑ってくださった気がした。
サークル名: ゴズイーニ・ズッキーニ(URL)
執筆者名:キウリ一言アピール
ゲーム『刀剣乱舞』の二次創作サークルです。
今回投稿させていただいた作品は、ふたつの掌編からなる新刊『氷室開きて』に収録するうちのひとつです。(ちなみに、もう一編は遠征から帰ってきた平野くんと鶴丸さんの「驚きのまんじゅう」(?)の話)
お楽しみいただければ幸いです。