初めてのロベンバ
ノーラ家の本家に生まれた男子に課せられる、武芸以外での最初の〝試練〟――
それが、五歳になって最初に迎える収穫祭の日に、ひとりでロベンバを作る、という
「まだ盛り付けぐらいしか手伝えませんのに」
妻は苦笑混じりに嘆息するが、かつて私も
……我がノーラ家では、遠くログリアムナス
「収穫祭の晩に使用人達に振る舞う為の菓子だ。
「はい、父上」
私が息子に与えることが出来るのは、ロベンバの作り方が記された紙片のみ。包丁と天火の使い方だけは事前に教えることが許されているが、当日は一切の手出しが出来ない。……如何にそれが炭の
無論、ロベンバは、小麦の粉と鶏卵と
……この屋敷に勤めて長い使用人達は、ノーラ家本家の男子に課せられるこの〝試練〟を知っており、「何しろ若様が初めておひとりで
ただ、親馬鹿かもしれぬが、息子ノーマンは、私以上に負けん気が強く、独立心も旺盛だ。自分のことは自分で出来ると事ある毎に主張するし、実際に、時間が掛かってもやり遂げる。そんなノーマンであるから、私が五歳の時よりは
収穫祭の前日、夕刻――。
明夜の振舞菓子であるから、明朝から拵えるのが常道なのだが、ノーマンは早くも準備に掛かっていたらしい。私が渡しておいた紙片を片手に部屋までやってくると、「父上、しつもんしてよいですか」と切り出してきた。
「父上からいただいた手じゅん書に書いてあるざいりょうですが、これでぜんぶですか?」
「そうだが、何か足りぬと思うのか」
「母上が作ってくれるロベンバには、もっと色々なものがのってるから、本当にこれだけでいいのかって……
私は苦笑しそうになるのを
「そのロベンバは、様々なロベンバの基本となるロベンバ。菓子作りも、剣術と同じで、まず基礎となる技を
「わかりました、父上」
ノーマンは素直に頷く。
「あと、し用人と話をしてもよいですか。ちょうりばに行ってみたのですが、けいらんと牛らくが足りないようなのです」
「ふむ。……お前が必要だと思うなら、屋敷の厨房に回って、
名家と呼ばれる家の子女は、特に幼い内は、
因みに、我がノーラ家では代々、家族の分の食事は全て当主の妻が――折々には当主自身が――専用の調理場で拵える。屋敷自体の厨房は使用人達や来客などの為に設けているもので、当主一家の調理場とは切り離されている。ただ、日々の食材の仕入れは一緒にしているから、食材の不足について相談すれば便宜は図ってくれるだろう。
……と言うか、
ノーマンが勇み出ていって半
「旦那様……若様が、厨房で賄い方の者らと御一緒だとか……」
私は思わず苦笑した。
「構わん。明日の支度をしたいようで、話をしに行っても良いかと尋ねに来た。賄い方の仕事の邪魔をしていないのであれば咎める必要はない」
「それが……何処からか迷い込んだ野良猫に皆で餌をやっていたとかで……追い出せと他の者が注意したところ、若様から何がどう悪いのかと食って掛かられたとのことで」
そういう仕儀なら、注進に及ぼうとした者の気持ちもわからぬではない。私は些か渋い表情で「その者は何と反論したのだ」と問うた。
「野良猫は不潔だという趣旨のことを返したようですが、若様は納得されなかったとのことで……じゃあ僕も此処に居たら駄目なのか、まだ風呂に入っていないから汚いぞ、と仰せになったとか」
うっかり笑いそうになるのを堪え、「それはその者の反論が不用意であったな」と応じる。ノーマンは得てして、子供と侮り極度に簡単な言葉で適当にお茶を濁そうとすると納得せず、反発してくる。……ただ、だからと言って、大人の使う言葉で説明すれば理解してくれるというわけでもない辺りが、難しいところではあるが。
まあ、野良猫が敷地内に居るのは、そもそも〝侵入者〟を見過ごした門衛の責任でもある。餌をやったら居着くかもしれぬし、仮に飼うことになるとしても、厨房に入り浸られては賄い方の者も困ろう。
私は腰を上げ、自ら厨房に赴くと、驚き慌てる賄い方の者達を制しておいて、床で野良猫とやらを構っていたノーマンに歩み寄り、努めて静かに声を掛けた。
「明日の準備の話はもう済んだのか?」
私から叱られるかと身構え、痩せこけた茶虎の猫を
「い、いえ……まだです……」
……正面切って問われると嘘が
「まず、
明けて、収穫祭当日。
我がノーラ家本家の屋敷内は、祭気分とは微妙に異なるものの、何処かそわそわしたような、奇妙な雰囲気に支配されていた。
私も、前々から休みを申請していたので将軍府への出仕はせず屋敷内に留まっていたが、朝から何かと落ち着きなく、妻に笑われる始末であった。
ノーマンは、朝食もそこそこに調理場に籠もった。大量の材料相手に悪戦苦闘しつつ、昼前にはどうにか、切り分けた生地を天火に入れることが出来たらしい。時々こっそり覗きに行っている妻によれば、何やら型を持ち出して生地を切り抜いていたとか。
「前に私が作るところを見ていて、真似してみたのかしら」
母親が普段しているように他の物を乗せなくて良いのかと訊きに来たぐらいだから、恐らくそうだろう。単に生地を延ばして四角く切り刻んだだけの私よりも、余程色々と考えているではないか。
程なく、
ノーマンが、ひどく消沈した様子で、私と妻の待つ食堂に入ってきた。
「父上、母上……ごめんなさい、うまく出きませんでした……」
……聞けば、余り大きくはない天火で使用人全員分を一度に焼こうとして、あちこちくっついてしまったらしい。確かに、手にしている皿の上には、形が大いに崩れてしまったロベンバ。辛うじて、猫顔の型抜きを使ったらしいことは察せられる。
「食べてみたら、かたいし……母上のロベンバみたいなあじになってなくて……」
……いや、食べられるのであれば、黒焦げにしてしまった私より
私は、ほっと息をついた。
「怪我もなく、何より材料を無駄にしなかったのは上出来であった」
「そうね、収穫祭の日に料理を捨てれば、
「……そういう目で見ると、皆々にとって酷だな、我がノーラ家の仕来りも」
型崩れしたロベンバを摘まみ上げ、囓ってみる。……硬いと言っても岩のような硬さではないし、もう少し冷めれば味も馴染むだろう。収穫祭の日の料理は残してはならぬ、という習わし故に黒焦げロベンバを食べねばならなかった三十年ほど前の使用人達に比べれば、今の使用人達は遙かに幸せである。
思いながら、私は、手にしていたロベンバの残りを口の中に放り込み、ごり、と噛み砕いた。
サークル名:千美生の里(URL)
執筆者名:野間みつね一言アピール
架空世界物や似非歴史物が中心。架空世界の一時代を描く長編『ミディアミルド物語』が主力。大河ドラマ『新選組!』の伊東甲子太郎先生や超マイナーRPG世界を扱う等、ニッチな二次創作も。今回は、初回アンソロ以来の『ミディアミルド物語』から外伝となる一篇を書き下ろし。本伝を御存じなくとも全く問題ございません。