この忌々しい夕日に乾杯を

 一日が終わろうとしていた。
 太陽は地平の彼方へと消えつつ、よく熟したトマトのように、辺りを染め上げていた。
 いつものように、皆が集う。
 俺たちよりも、ずいぶんと若いくせに、ずっとくたびれてしまっているテーブルを囲み、前よりも少なくなってしまったグラスが並べられる。
 ウィスキーの封が切られ、銘々のグラスへと琥珀色の喜びが注がれていく。
 グラスを鳴らぬ程度に合わせ、喉へ胸とを灼く液体を流し込む。
 また、この時間が来た。
 今日も、この時間が来た。
 嫁共はずいぶんと渋い顔をしてくれるが、まあ良いって事よ。
 この楽しさを女共に教えるのは、まだ早いし、正直教えたくも無い。
 今しばらくの間、男だけの楽しみにしといてくれ。
 獲れたてのタマネギと去年のベーコンで作ったマリネを囓っていると、壁のカレンダーへと視線を向けた1人が、今気付いたと言う風に口を開いた。
「ああ、もうこんな季節か」
 その言葉につられるように、全員、解っているはずのカレンダーへと顔を向ける。
「ああ、そうだな」
「ふん、もうそんな頃合いか」
 ここにいる誰もが、そんな事はとうに承知していた。
 小麦が夕焼けを写し取ったかのような実りを迎え、日が落ちるとぐっと冷え込むようになる頃。今年の実りを神に感謝する頃。
 感謝を形にする頃。
 いちいちカレンダーなど見なくても、俺たちにはわかっている事なのだ。
 それでも日付を確かめ、安堵し、しかめっ面をするのを止められない。
 今年も、祭の季節が来たのだ、と。

 いつから始まったかなんて、知らん。
 どうしてこんな事をしているかなんて、知らん。
 俺の爺様の爺様のそのまた爺様の……。とにかく、ずいぶんと昔からやっている事ぐらいしか知らん。
 感謝と喜び。
 それが大きければ大きいほど派手に、来年はもっと大きく表せるようにと派手に。
 そんな事を繰り返してきたんだろう。
 気付いた頃、ちょうど俺が所帯を持った時分には、国から何だかとか、かんだかとかに指定されて、村の連中だけでやっていた祭に、どっと観光客が訪れるようになっていた。
 別に悪い事じゃ無いと思う。
 祭ってのは、なるべく大勢で、派手に楽しくやるもんだ。部屋の隅っこで、一人きりでやるもんじゃねえ。
 とは言っても、全てが自分の手の内に無いって事に、些かの寂しさは感じてしまうがな。本当、人間ってのは面倒くさいものだ。年を食うと、特にな。
 そんな事を考えながら、また一口ウィスキーを、無言のまま舐める。
 ここにいる全員、理解していた。
 もう、祭の主役では無い事を。
 自分たちに出来る事は、文句を付ける事位なのだ、と。
 太陽は地平線の向こうへと消えていった。
 俺たちはただ、無言で杯を重ねていた。

 ここ数日の間、村は抑えられた熱気に溢れていた。
 村に住んでいる者、村を出て行った者、一年ぶりに村に来た者、そして初顔。そいつらが、都会から、別の地方から、あるいは見知らぬ国から、続々と集って来ていた。
 顔を見せない奴もいる。
 ふん。端金を稼ぐ事が、親や女房に顔を見せるよりも大事だと言うつもりか。
 そんな俺のしかめっ面を崩してくれるくらいの良い空気に、村は包まれていた。
 何度味わっても、この空気は良い。
 決して上手くはいかない人生での内で、明日は楽しい事しか無いと思わせてくれる、数少ない空気だ。
 まるでガキだって?
 そいつは言ってくれるな。それに、ガキで丁度良いじゃねえか。
 楽しむ事にすら一々理屈が必要な大人より、素直に楽しめるガキの方がずっと幸せだ。
 どうせ、ガキのままでは生きられないのだから。
 流石に年寄りとされるぐらいに生きてくると、ぼちぼち人の顔が見られるようになるもんで、一癖二癖、あるいは腹に何かを抱えているような奴がいるのも見て取れる。
 そんな連中でも、目が次第にガキみたいに輝きだしてくる。
 それでいい。
 お前さんたちがどこで何をしているかは知らないが、祭を楽しんでいってくれ。
 神様だって、そのくらいはお目こぼしをしてくれるさ。

 翌日の正午、祭は爆発した。
 天に花が咲き、地は人の歓喜と熱気のるつぼと化した。
 この日のための衣装を着飾り、この日のための音楽を奏で、この日のための舞踏が続く。
 それはさらなる歓喜を呼び、村の隅々まで満たしていくようだった。
 それらを一段高いバルコニーから見下ろしながら、俺たちは酒を酌み交わす。
 もはや手の届かなくなった熱気をうらやみ、あるいはかつての姿を重ねながら。
 もう主役じゃ無いからな、何があろうとさして文句を言うつもりは無いよ。
 若い娘が尻を振って踊れば口笛を吹き、若い男が音を外せば冷やかしに笑う、その程度がせいぜいさ。
「おい」
 一人が広場の一隅を示した。
 ガキが群がる露店が連なる向こう、人混みから離れた場所に、男女の姿があった。
 どうした若いの。この期に及んで何を怖じ気ついていやがる。どう見ても、相手にゃ脈があるじゃねえか。
 思いの丈を、どんとぶつけてやれ。
 諦めた事、やらなかった事にお情けをくれるほど、神様はヒマじゃ無いぞ。
 案の定、上手くいったらしい。祭よりも熱い抱擁と接吻を交わしていた。
 けっ、おめでとうだ、あの野郎。
 神よ、若き二人に恩寵を。

 日が暮れても尚、祭の熱気は冷める事を知らなかった。
 いや、夜の帳が訪れてからが、祭の本番だ。
 俺たちは腰を上げ、とっておきのワインを手に取る。
 テーブルを囲み、賑やかに、和やかに談笑する若者たちへと向かう。
 最高の夜に、最高の酒をくれてやろう。
 最高の女は駄目だ、俺の女房だからな。それに、もう抱く事も出来ないところに行っちまった。
 若者たちは、大きな笑みを作って、俺たちを迎えてくれる。
 覚悟しろよ。
 お前さんたちは年寄りになった事がないだろうが、俺たちは若者だった事があるんだからな。
 グラスが酒で満たされ、飲み干す事で心が満たされる。
 この楽しき時間が、永遠に続いて欲しい。
 決して満たされる事の無い思いを抱きながら、熱く愉快な夜は過ぎていった。

 日が昇ると、全ては終わっていた。
 夢幻であったかのように村から人は消え、静寂が戻っていた。
 そして日が暮れる。
 俺たちはいつものように集い、酒を酌み交わす。
 あの佳き日を、佳き想い出とするために。
 そして願わくば、次の佳き日までグラスの数の減らない事を。
 ささやかな祈りをこめて、新たなウィスキーの封が切られた。 


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サークル名:POINT-ZERO(URL
執筆者名:青銭兵六

一言アピール
ハードボイルド調小説を中心に、書いています。他にはガンダムの二次創作なども。今回の話は、祭の会場の隅っこで、何やっているんだかわからないけれど、集まって酒飲んでいる親父共みたいな話でございます。

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