少女と夏祭り

 私は夏祭りの会場を歩いていた。普段外を出歩かない私にとって、夏祭りの会場とはこの世で最も忌避すべき場所の一つだ。そのような場所を歩いていると、暑さのせいだけではない嫌な汗が頬を伝うのがわかる。
 私は「おそろしいもの」から逃げるためにこのような場所に来ているのだ。私が「おそろしいもの」に見つかってしまうくらいなら、夏祭りの会場を歩くことなど何ともない、そう自分に言い聞かせて歩いている。こんな場所にいると、あたりから漂う暴力的なソースの匂いに空腹を覚えるが、楽しそうな歓声の前にはすごすご逃げ帰らざるをえない。結局、人がほとんど並んでいない店で焼きそばを買って食べた。おいしくない。
 空になったトレイを会場に用意されているゴミ箱に投げ入れて、自販機で買ったお茶で一息ついていると、私の袖を引くものがあった。ぎくりと体がこわばるのが分かった。我ながら、空腹で油断をしてしまったのは失敗だったのだろう。
 動かない首をぎりぎりと回して後ろを見ると、そこには私の予想通り、真っ赤な浴衣を着た少女が私の袖を掴んでいた。
 ――追いつかれてしまった。
 少女は透き通るように真っ白な肌と鴉の濡羽のように艶のある黒髪をしている。少女らしいあどけなさに、何をかもを達観した諦めのようなものを混ぜ込んだ、そんな不思議な表情は濃い色気を孕み、少女を大人らしく見せていた。
 彼女は私を追っている。理由はわからない。気づくと私の後ろにいて袖を引くのだ。それは私がどこにいてもだ。職場にいるとき、通勤中の電車の中で。トイレや風呂の中でも彼女は現れて、私に存在を突きつけるのだ。
 私は努めて彼女を視界に入れないよう、気づかないふりをしたまま歩き出した。私が彼女に気付いたことを気づかせてはいけない。そう思った。
「本当に、祭になんて来るんじゃなかった」
 私は夏祭りの会場を歩いている。この世で最も忌避すべき場所の一つを。袖にそれ以上に恐ろしい少女を携えたまま。
 どくん、どくんと心臓が跳ねているのがわかる。先ほどから止まらなかった汗が、より一層ひどくなった気がする。早く家に帰って風呂に入らなければ風邪を引いてしまいそうだった。
 しかし、急げば急ぐほど私がどこを歩いているかが分からなくなる。そもそもこの祭り会場はこんなに広かっただろうか? 広さなんてたかが知れている神社近くの公園を貸し切って行われるこの祭りは、だから公園の広さ以上にはならないはずだった。けれど私はもう何度も公園の中を往復できるくらい歩いていた。
 私はどこを歩いているのだろう。私は少女によって、どこに連れられて行くのだろう。
 気づけば一時間ほども経っただろうか。スマートフォンの時計も腕時計も、少女に腕を引かれた時から止まってしまったようだった。祭であれだけ騒いでいた人々もいつの間にかいなくなってしまった。
 私の他にいるのは袖を引いている少女だけ。それを認めたくなかった。認めるしかなかった。
 延々と歩き続けて棒のようになった足を止めた。つんのめるようにして、少女も足を止める。不規則な動きに下駄がからんと高い音を鳴らした。
「一体、君は何なんだ」
 私の声は震えていた。私の影に隠れてしまうほどの少女が、恐ろしかった。
 そんな怖れを感じ取ったのか、少女は私の袖を引いて歩き出した。私の顔は引き攣っていただろう。
 連れてこられたのは綿菓子の屋台だった。少女がそれをじっと見るものだから、私が作るほかなかった。店から材料を拝借して、下手糞な綿飴を作って少女に渡した。少女は無表情なままそれを受け取ると、もう片方の手で再び私の手を引いた。
 その後も、少女は私の手を引き続けた。射的、焼きそば、金魚すくい、チョコバナナ、型抜き、りんご飴……。少女と私は淡々とそれらをこなしていった。私には彼女が何を考えているのか全く分からなかったし、少女もまた目的を語ろうとはしなかった。私たちはただひたすらに祭りの会場を歩いて行った。

 ――どれほどの時間が経ったのだろう。私には正確な時間を確認する術などないが、棒のように動きが鈍くなってきた足と限界を訴え始めている胃の容量からして、決して短くはない時間を少女と歩いているだろうことはわかる。
 少女は私にとって、恐ろしい存在のままだった。当然だ。この祭り会場にいた人たちはいまだにどこにいるかわからない。時計を止め、人を消すような存在に恐怖を抱かないとしたら、それは人間として必要な危機管理能力が備わっていない子商品だけだろう。
 しかし、私は少女のことを恐ろしい存在としたまま、「こうして祭りを回るだけであれば付き合ってやってもいい」と思いはじめていた。共に行動する限り、少女が私に危害を加えようとしたりすることはなかったからだ。
 少女の表情は面でも張り付いているかのように変化しなかったが、少しでも楽しめているのならいいなとそう思う。相手に満足してもらって、今後は私に付き纏わないでもらえるというのが最高の終わり方だろう。そのためにはもう少し積極的に祭りに参加してもいいのではないだろうか?
 そんなことを考えていたものだから、私は少女が足を止めたことに気付かなかった。
 そこは、最初に立ち寄った綿菓子屋だった。どうやら祭りの会場を一周してきてしまったらしい。少女はじっと綿菓子屋をみて、ぐるんと顔を振って私の顔を見た。
 その目は、恐ろしいほど何も映してはいなかった。ああ、そうだ。私は何を忘れていたのだろう。この少女は「おそろしいもの」だ。
「ま、まっ」
 私が恐怖に思わず命乞いをしようとしたとき、少女の口が開くのを見た。
 そして、私の視界は暗転した。

 私は夏祭りの会場を歩いていた。普段外を出歩かない私にとって、夏祭りの会場とはこの世で最も忌避すべき場所の一つだ。
 私は「おそろしいもの」から逃げていた。「おそろしいもの」に見つかってはいけない。捕まってはいけない。「おそろしいもの」は私を恐怖のどん底に突き落とすのだろうから。
 私は隠れるようにして夏祭りの会場の外れまで行き、近くの店で購入したぬるいラムネを一気飲みして、

 ――ひし、と私の袖を掴む気配に凍りついた。


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サークル名:無灯庵(URL
執筆者名:談儀祀

一言アピール
名もなき少女と名もなき青年の物語が、どうかあなたの心臓を穿ちますよう。
少年少女が雁字搦めになる物語を愛しております。第六回テキレボ出展作品も、この物語と同じく誰かが苦しんでいるのを見守る物語になりそうです。

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