エンディング

「ハッピーエンドとバッドエンド、どっちが多いと思う?」
 尋ねると、屋台の前に居たその女は、怪訝そうに俺を見た。
 この蒸し暑い中、女は掌が隠れる程に袖の長い白衣を着ていた。一方、その下は素足にサンダル、ホットパンツにノースリーブのシャツと、涼しいのか暑苦しいのか、実に曖昧な恰好をしている。腰まで届く長い髪は、金色。だが酷くボサボサで、美しさにそぐわぬ野暮ったさがある。
「何だって?」
 音頭調のアニメソングが遠く響く中、女は低い声で尋ね返した。その後方では大勢の近隣住民が行き交っているが、こちらに注意を向ける者は居ない。境内から離れた隅にひっそりと建つ、この怪しい屋台へ近寄る人間は、そう現れないのだ。
 類は友を呼ぶ、という諺は、将に金言だ。
 女の纏う空気は、ラフな格好とは裏腹に、陰鬱そのものだ。
「何、射的やくじ引きと似たようなもんさ。暖簾に書いてあるだろ?」
「『噺屋』」
「そうそう。ここではね、おじさんが幾つか噺をする。で、ハッピーエンドとバッドエンド、どっちが多かったかを当てられたら豪華プレゼント。どうだい、面白そうだろ?」
 ふうん、と女は言って、暖簾を潜った。中は薄暗い。俺と客がそれぞれ座る長椅子、その間に長机があって、俺はその上に小道具を諸々載せている。ランタン、蚊取り線香、昔懐かし紙芝居の額縁等々。
「ようこそ、お嬢さん。久々のお客さんだ、ちょいとサービスして進ぜよう」
「サービスねぇ」
 興味の薄そうな声色だが、長椅子には随分どっかと座っている。乗り気なのかそうでないのか……まぁいずれにせよ、座った時点で、結果は決まったようなものだ。
「ほれ、水飴だ」
 棒の先端に真っ赤な球体――手渡す際に改めて女を見ると、化粧っ気の無い端正な顔立ちに輝く二つの瞳は、海のように青かった。どうやらハーフのようだ。だが、女は渡されたそれを横目で見るだけで、口を付ける様子は無い。俺は胸中で舌打ちした。
「それで」
 青い瞳で――しかし実に気怠そうに――女は言った。
「噺ってのは幾つだ? あんまり長居は出来ねーんだが」
「そうかい。なら超短編コースで行こう」
 俺は小さく笑って、短い――実に短い幾つかの物語を、紙芝居形式で語った。それは例えば、
 一度入ったら出られない森の物語であったり、
 生涯を呪われた霊能力者の物語であったり、
 嵩を増す赤い湖の物語であったりした。
「――さて、噺は以上だ。な、短かっただろ?」
 ああ、と言って、女は大きな欠伸をした。が、ムッとした俺に気付いたのか、次に女は笑った。
「怖い顔するなって。こちとら寝起きでな。噺がつまらなかったわけじゃねえよ」
 他者を安堵させるような、屈託の無い笑いだった。俺は違和感を覚えた。女の周囲には相変わらず、陰鬱な空気が渦巻いている。にもかかわらず、何故こんな笑顔が出来る?
 ちらりと、女に手渡した水飴へ目を遣る。
 口を付けた形跡は、無い。
「それで、ハッピーとバッド、どっちが多いか、だったか? 答える前に、幾つか聞きたいんだが」
「何だい?」
 女はぼりぼりと頭を掻いて、また一つ欠伸をした。
「正解したら豪華プレゼント。なら、外れたら?」
 俺は声無く笑った。祭りの喧噪が遠い。人々の足音も、古臭いアニメソングも。
 湿気た大気に、蚊取り線香の煙が、蛇のように蜷局を巻いている。
「碌なことにならない、ってか」
「賢いねえ」
「答えない、と言ったら?」
「答えるしかないのさ、お嬢さんは」
 なぁみんな、と言うと、大地が一斉にざわめいた。正確には、足元の大勢の仲間が、賛同するように蠢いた。
 地を這う無数の蟲、蟲、蟲。それらは俺が物語る間に、女の足元にも蔓延り、その足に張り付いている。
「趣味悪ぃなぁ」
 女は呆れたように言って、右手の水飴を見つめた。いや、水飴だったものを、だ。それは今や、球状にひしめく無数の蛆へと変化していた。
「じゃ、最後の質問だ。
 人を呪わば――覚悟は出来てるな?」
 女が告げた、直後。
 どん、と、低い炸裂音が響いた。
「え」
 女の青い瞳が、強く鋭く光っている。……俺は目を見開いていた。
 無い。
 女が持っていた水飴の棒が、蠢く蟲達ごと消え失せている。
「何……何をした?」
「ハッピーエンド」
「何?」
「あたしの答えさ。理由は『あたしがそう信じてるから』。
 こりゃあたしの持論だがな。物語なんてのは大抵、誰かの人生の、ほんの一部分の切り出しだ。神話のスサノオを見ろよ。高天原じゃ只の糞野郎、だが八岐大蛇退治譚じゃご立派な英雄だ。
 オッサンの噺も同じさ。どの話にも必ず『続き』がある。だから、あたしは信じるね。どれも最後にゃ、幸せが待ってる、ってな」
 女の言葉は覇気に満ちていた。纏う陰鬱な空気とは全く対照的だ。だが、何故だ? この屋台に来る奴は皆、俺と同類の筈なのに。
「大体な、オッサン。手がせこいぜ。どうせ、正解かどうかはあんたの匙加減、気に入り加減なんだろ? 曖昧な謎掛けしてくる奴は、大抵そんなもんだよ」
 俺は呆けた頭で女を見ていた。爛々と輝く二つの眼には、確固たる自信が満ち満ちている。眩しい光だ。遥か――遥か昔に目にしたきり、見ることの無かった光。俺は今、それに相対している。
「あんた……何者だ?」
 問うと、女は不敵に笑った。
「分からねえか? オッサンの話にも出てきてただろ」
「『霊能力者』? 本当に?」
 俺は高揚していた。本物の霊能力者と出会う。こんな滅多にない出来事と遭遇するなんて――。
「話を戻そうぜ、オッサン」
 俺の昂奮を押しとめるように、女は尋ねた。あたしは正解か、と。
 俺は。
「……ああ、うん。正解だ。正解だよ、お嬢さん」
 言葉の途中で、俺は笑った。ここ最近感じたことの無い、清々しい気分だ。
「そうさ、結論なんてどうだっていいんだ。分かるだろ? 兎角、この世は表層しか見ない馬鹿者が多すぎる。
 例えば……そう、丁度、お嬢さんの後ろの奴ら」
 眼前の彼女は大きく仰け反り、俺に体を向けたまま、器用に後方を見た。言うまでもなく、その視界には、能天気にへらへらと笑いながら石畳を行き交う、俗人どもが映っていることだろう。
「祭りってのは本来、神に感謝を捧げ、獲物を還す神聖な儀式だ。それがどうだい。今や只のイベントとしか思ってねえ不届き者ばっかりだ」
「一応言っておくがな、祭の起源ってのは、学者様の間でも揺れてる難問だぜ」
「そうさ、お嬢さん。どれだけ目の前のことに自分の解釈を持てるか。重要なのはそこだ。生者の価値は、そこに凝縮されていると言ってもいい」
「聞けよ」
「俺はな、それを為さない馬鹿者どもが、只只管に憎いのさ。想いは馳せるべきものだ。生者は常に考え続け、受け取る中で吟味し続けるものだ。それが出来るのは生者の特権だし、その放棄は生の放棄でもある」
 相手は面倒そうに溜め息をついた。それで俺は我に返った。そうだ、暫く見ない正解者、正しき享受者。彼女には贈り物を授けねば。
「じゃあお嬢さん、あんたには――」
「気が済んだか? じゃ、今度はこっちのターンだ」
 仰け反っていた彼女は、そこから「よっと」と声を吐き、俺を真正面から見据え――一瞬で、俺の目の前に右手を掲げた。
「……お守り?」
 そう。彼女の右手に在り、俺の眼前に突きつけられたもの。それは、一つの古いお守りだった。と言っても、決して神聖なものでは無い。酷く陰鬱な気を纏っている。いや。
 呪われて、いる。
「オッサンが只の語り部だったなら、まだ猶予はあったんだけどな。あんたは邪悪だ」
「邪悪? 俺が? 俺はただ、生の価値を伝えてるだけだ」
「よく言うぜ。気分次第で正解は変える、途中退室も許さねえ。決め手は水飴だな。アレ、あの世の食い物だろ? 黄泉戸喫――口を付けたら、その時点であの世に連れて行くつもりだったんだろ」
「お嬢さん」
 俺は掲げられたお守りを見つめた。呪われたお守り。彼女が身に纏う陰鬱な気は、これが発生源だったのか。そう言えば、昔、聞いたことがある。
 魔を以て魔を祓う――そんな退魔の術法がある、と。
「俺はあんたを祝福したいんだ」
「そりゃ嬉しいね。だがな、オッサン。あたしはあんたの、その高慢で押しつけがましい考え方が嫌いだ。
 祭りだろうが噺だろうが、どう受け取るかなんて他人が強制するもんじゃねえ。厳粛な奴も、気軽に自由に楽しむ奴も居る。居ていいんだよ。……ま、これも所詮はあたしの持論だし、あんたがどう受け取るかは自由だ」
 でもさ、と彼女は笑った。屈託の無い笑顔で。
「オッサンの噺、あたしは嫌いじゃないぜ。……これくらいは素直に受け取れよ?」
「……そうかい」
 彼女の掲げるお守りが、碧く光った。綺麗な光だった。ああ、いや、でも。
 この落ち着いた気分は、きっと光のお蔭では無く――。
「じゃあな、オッサン。往生しろよ」
 どん、と、何かが破裂したような衝撃が、体に響いた。

「売れねえ作家かなにか……ってところか」
 長椅子に座り、彼女は独り呟いた。屋台は消え去り、眼前には長椅子が幾つか置かれた休憩所が広がっている。祭りの喧噪は背後から絶え間なく続いており、蒸し暑さに彼女は白衣の袖で額を拭った。
 ぽつんと、正面の長椅子に、古ぼけた一冊の本が置かれている。
「豪華プレゼント、ねぇ」
 彼女は本を手に取り、無造作に頁を捲った。『エンディング』と背表紙に書かれたその本には、先程の男から聞いた、幾つかの物語が記されている。それを目で追って、やがて彼女は本を閉じた。そして、立ち上がる。本を片手に、夜空を見上げながら。
 後に花火が上がる予定の空には、ちらほらと小さな星が瞬いている。風が吹けば涼しいが、吹かないとじんわり肌に汗が滲む、そんな夜だ。
「ま、貰っといてやるか」
 呟いた直後、仄かに蚊取り線香の香りがした――ような気がした。


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執筆者名:カント

一言アピール
SFファンタジー風味のオリジナル小説をイベント中心に頒布しています。現在は少年と言葉を話す犬の旅路を描いた『少年と犬』シリーズを中心に、Twitterの小説イベントに度々参画しております。今回はそれら小説イベントで記載した短編をまとめた短編集を発刊致します。

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