浜に打ち上げられた鯨の話

 遠い昔に、北の方で行われていた祭りだと、先生は言った。
 ベランダで煙草を吸いながら、その話を聞かせてくれた。
 文化祭の前日の午後のことだ。

 僕は、昼食を食べてから教室には戻らず、図書室で自習をしていた。
「みんな協力しているのに、こういうのは人としてよくないでしょう?」
 委員長がまっすぐにこちらを睨み付けて、言った。
 文化祭で漫画喫茶をやるので、手伝いに来いということらしい。そう言ってくれればいいのに、人間性に言及されてしまっては言い返す気もなくなってしまう。そんなこと言われてもなあ、と。手伝いには呼ばれても、どうせ打ち上げには呼ばれないのが僕だ。今頃教室では、好き放題言っているだろうな、と思う。
 あともう二言三言、厳しい言葉を置いて、委員長は図書室を出て行った。
 参考書とノートを閉じ、僕は席を立った。カウンターに先生はいなかった。先生というのは学校司書だ。いつも書庫にこもって本を読んでいるので、用があるときには呼びに行かないといけない。
 先生は、薄暗い書庫の奥の突き当りにある、ベランダに通じるガラス戸の向こうにいた。
「禁煙じゃないんですか」
 ガラス戸を開けると、煙草の匂いがした。
「ああ。俺は悪いことをしているんだ。真似しちゃだめだぞ」
 ここには、生徒も職員も滅多に来ない。図書館は三階にあるから、しゃがんでしまえば外からも見えない。見えたところで、図書室は校舎の北側の雑木林に面しており、人通りも少ない。
「今日は、なんか賑やかだな」
「明日から文化祭ですよ」
「へえ」
 知らなかったのかよ、と声には出さずに突っ込む。
「君はサボりか」
「ええと、まあ……向いてないんで」
 そうかそうか、と先生は笑った。
 それから、世間話のように、その話を始めたのだ。
 浜に打ち上げられた鯨の話を。
「祭りといえば、思い出す話があるんだけどさ」
 そんな風に、その話は始まった。
「学生時代に、フィールドワークのために立ち寄った村で聞いた話なんだけどな」
 先生は、短くなった煙草を缶コーヒーの空き缶に突っ込んで、新しい煙草に火を点けた。
 
 その村は、海のそばにあった。漁業で生計を立てている小さな村だ。
 昔々のある年、冬までもう少しという頃、大波が来て多くの人々をさらっていった。そしてその命と引き換えに、一頭の鯨が浜に打ち上げられたのだ。
 鯨はほどなく死んだ。その日のうちに解体され、肉はもちろん、革も、髭も、筋も、生き残った村人みんなで分けあった。
 そして、日が暮れる頃には、浜に残った鯨の骨の周りは、肉や革に対する礼品で一杯になった。村の人々は、冬に備えて置いておいた干物や漬け物を、惜しむことなく持ち寄って、鯨の骨のまわりに供えた。火を焚き、歌い、祈りを捧げた。
 その村では、祭りというのはそういうものだった。決まった日に行うものではなく、大きな贈り物をもらったときに、その礼として行うものだった。
 先生が話してくれたのは、そういう話だった。
「その贈り物というのは、どこから来るんですか」
 僕は問うた。
「海の向こうからだよ。海の向こうに、別の世界があると思ったんだろう。あの世とか、彼岸とか、そういうものが」
 先生はそう答えた。
「それは、どこの村の話ですか」
「さあ。どこだったかな。北の方だったと思うけれど、名前は覚えていない。実際の話なのか、神話の類いなのか、それすら忘れてしまったんだけどさ」

 次の日も、僕は図書室にいた。
 校内は文化祭で賑わっていた。あちこちで好き勝手に音楽が流されていて、呼び込みの声はほとんど怒鳴り合っているみたいだった。そういう喧騒を、僕は数学の問題を解きながら、遠くに聞いていた。
 図書室にはほかにも数人の生徒がいて、自習をしたり本を読んだりしていた。昼前に、先生が焼きそばとクッキーを買ってきて配った。そして配り終わると、またいつもどおり書庫に入っていった。
 焼きそばを手に書庫の奥のガラス戸からベランダに出ると、案の定、先生はそこで煙草を吸っていた。
「鯨って、結局、何だったんですか?」
 僕は問うた。
「あれは、別にオチなんてないさ。教訓もない」
 そして、まあ食え、と手の動きで示した。僕は先生のとなりに座り、焼そばを食べ始めた。
「その村では、どんな生き物も遠い海の向こうの世界から来て、死んだらそこに帰っていくのだとされていた。人の魂もそうだ。大波でさらわれた人々も、そういう場所に旅立っていく」
「鯨も」
「そう、鯨の魂も、そういうところから来て、帰っていくんだとさ。肉や革は、いわばお土産だ。だから代わりに、お供え物をしてもてなしてやる。向こうで、うちの知り合いに会ったらよろしくな、ってことかもしれない。あるいは、単にまたお土産持って遊びに来いよ、ってことかもしれない」
「海の向こうに帰ってしまった人も、また戻ってくるんですか?」
「戻ってくるんじゃないのか。鯨みたいにお土産はないかもしれないが」
 なるほど、と頷きながら、それについて少し考えてみる。
「なんか、遠い世界に繋がっているみたいですね」
「彼らにとって祭りというのは、交換の場だったのかもしれない。向こうの世界にあるものと、こちらの世界にあるものと」
 文化祭の喧騒は、夕方まで続いた。
 暗くなって、どの教室もすっかり片付いた頃、ようやく僕は学校を出た。

 後日談だけれども、先生はこの数か月後にベランダで煙草を吸っていることがばれて、職員会議でちょっとした問題になった。そして議論の末、ここは生徒の目につかないという理由から、大目に見てもらえることになったらしい。もちろん、表向きは学校の敷地は全面禁煙だ。先生は、秘密だぞ、と前置きして教えてくれた。その日はとても寒く、ベランダで凍えながら煙草を吸っていた。僕は先生が吐き出した煙を眺めながら、遠い海の向こうへと帰っていった鯨のことを思った。


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サークル名:エウロパの海(URL
執筆者名:佐々木海月

一言アピール
「土には雨を、夜には言葉を。その一瞬に呼吸するものたちへ。」「すべては、137億年の中の一瞬。」をテーマに、静かで孤独なSF小説を紡いでいます。

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