消えるも深めるも

「エンニチに行ってみない?」
 親友の絵梨えりが口にする聞きなれない単語に僕は首を傾げる。
「社会学の実地調査なんだけど、ちょっと遊んでいきましょうよ」
「実地調査なのに遊び?」 
「そうよりょう、遊んでもいけるのよ。まあ行ってからのお楽しみ」
 いたずらっ子のように笑う絵梨。
 その日の講義後、絵梨と向かったのは、東部市の停車場からちょっと離れたところにある広場。そこは以前にも訪れたことがあった。奥の小高い一角に古いボロ小屋がある広場で、絵梨がそれにずいぶん興味を示していた。
 そのときは誰もいなかったのだが、いまは一転して人で賑わっていた。多くの露店が連なって、老若男女が見て回っている。陽が落ちて暮れ霞む中で、吊るされた提灯ちょうちんほのかに人々を照らす。街灯とは比べ物にならない弱々しい灯りが、広場に幻想的な雰囲気を作り出していた。
「これがエンニチよ。縁がある日と書いて縁日」
 少し得意げに語る絵梨。遊んでいこうと言っていたのはこういうわけか、と納得する僕の手が引かれる。縁日の雑踏へと飛び込んでいった。
 焼き鳥やげそ焼き、一銭焼きや、飴細工や綿菓子、かる焼きといった食べ物の屋台が並ぶ。と思えば、風車やお面、風船といった小物などを扱う店もある。大道芸人が無言劇を演じている。
 以前の無人ぶりを思わせぬ活気に、思わず僕はワァと声を漏らす。絵梨は広場を観察しながら書付に筆を入れている。そういえば実地調査とも言っていた。
「社会学的にどういうもの? 見た感じ、闇市の名残りとか?」
「言われてみればよく似ているわね、戦後すぐの闇市の写真と」
 闇市は必要性から発生したから明らかに違うけど、形態の類似性は気になるかしらね。と絵梨は言い、書付にサッと追記する。
「縁日は神様の降誕に由緒のある日と言われているわ」
 雑踏を抜けて、絵梨は広場の奥にあるボロ小屋を見上げる。やしろ、と呼ばれる古い信仰施設だそうだ。絵梨に言われて見れば、何枚か張られたお札や、門のような石柱がどことなく威厳があるような気がする。
「昔は縁日に宗教的な儀式が行われて、その日にお参りすると良いことがあると信じられていたの。縁という言葉は南洲なんしゅう由来だそうよ。機縁だとか、お断りするのを縁がなかったとか、今でも使う言葉よね。帝都は昔から交通の要衝だったから、大陸各地の風習が混じったものがその原型なのかもね。こうした縁日をはじめとして、かつての帝都には複数の異なる信仰体系が共存していたのではないかって考えられているわ」
「この帝都で信仰が?」
「西欧のヴリル教会とはまた違う形でね。とても信じられないでしょう?」
 まったく想像ができない。現代の帝都では、科学こそが国家繁栄の要と信じられている。それを指して科学信仰だという皮肉が出てくるほどだった。何よりも僕自身が科学の道に足を踏み入れた身だ。宗教の信仰は実感が持てない。
「でも、長いときを生きてきた信仰でさえ、時代の流れや科学の勃興なんかで形骸化してしまった。新興の科学や現代的な考えに侵攻されてね」 
 韻を踏みながら言う、絵梨の社を見上げる視線はどこか感慨深げだった。
 どれほど権勢を奮ったとしても、時と共に失われていく。その中で残されたこの社が時代や周囲の喧騒から隔絶されたように佇んでいる姿に、僕も一抹の寂しさを覚えてしまう。
「でも残ったものはあるわ。それがこれ」
 屋台とたくさんの人々。幻想的な雰囲気が作り出す縁日を絵梨が示す。お参りをする人を目当てに屋台を出したのが始まりらしい。それが徐々に拡大し、信仰が消滅しても定期的に露天商や屋台が集まる風習だけが残った。いつしかそれ自体を縁日と呼ぶようになったそうだ。
「昔は信仰の一環として社の主や祭主が取り仕切ったみたいだけど、今はこの辺りの自治会が自発的に催しているそうよ。つまり神様との縁はなくなっちゃったってわけ」
 どんな縁があって縁日が開かれていたのか、解らなくなってしまった。それでも、今もこうして人が集まっていることに意味はあるような気がした。そうやってできた人と人との縁も、ここにいる僕らも。
「僕らの縁はきっと大丈夫だよね」
 そうあってほしいと願って。
「僕らはさ、僕らの縁を形骸化させないようにしていこうよ」
 縁を深めていこう。そう言って僕は微笑む。
 絵梨はキョトンとした表情で僕を見ていた。そうだね、と絵梨も笑ってくれると思っていた僕は戸惑う。絵梨の頬が真っ赤に染まっていく。
「な、なぁにを突然言い出すのよぅ!」
 ワタワタと手を動かして慌てる。そういう反応をされると僕まで照れてしまう。
「そ、そこであなたまで照れるなぁ!」
 絵梨が理不尽なことを言う。しばらく顔色が戻らなかった僕らだけど、それもややしてお互いに笑いだす。
「まったくもう。ほら、屋台を回りましょ」
 気を取り直した絵梨に促されて僕らは再び喧騒の中へ戻っていく。
「私もそう――ってるわよ」
「え、今何か言った?」絵梨が何かを言ったのを聞いた気がした。
「なんでもない!」怒ったように絵梨は僕の手を引っ張る。
 そんなやり取りもあって、幾つかの屋台をひやかし、目を引いた食べ物を買って歩きながらかじる。食べ歩きは行儀がよくないのだが、周りの人たちがそうしているので、僕らもそれにならう。絵梨は犬とも狐ともつかないお面を頭に横留めにして笑顔だ。
 買い物も一段落して、二人で大道芸人の手品に見入っているさなか、
「待った」という絵梨の声と「え?」という幼い声がした。
 振り返ると、斜め後ろにいた絵梨が僕の背後に手を伸ばして小さな手を握っている。十二、三歳頃と思われるその手は真後ろにいた少年のもので、僕の財布を抜き取ろうとしていたのだ。

 縁日の騒がしさもここまでは届かない。ましてや忘れられた社の裏側などに誰が来るものか。意地悪に笑う絵梨と困惑する僕、すねた顔の少年の三人以外は。
 擦り切れたシャツとズボン姿。髪もボサボサで顔も薄汚れている少年は、典型的な浮浪児という様子だ。
 絵梨が彼の腕を掴んだまま、ここまで引っ張ってきた。最初は真っ青だった少年も、絵梨が騒がないのをいいことに、今はすねた顔で地面に腰を下ろしている。
「少年。状況は分かっている?」
「知らねぇよ」
 僕らを睨みつけて不機嫌そうに答える少年。絵梨はこの子をどうするつもりなのだろう? 僕の視線に気づいた彼女は、いたずらっ子のような笑みを浮かべ、ボロボロのがま口を取り出す。
「これは何でしょうか?」
「それ俺のじゃねぇか!」目を丸くした少年が慌てて自分の懐を探ると、硬貨が何枚か転げ落ちる。お金が懐に全部残っていたことに安堵の表情だ。
「中身は残しておいたの。これも返してあげるわ」といって財布を少年に投げて返す。
「いつの間に。ねぇちゃん、天才スリ師か?」
 財布を受け取った少年の絵梨を見る目が輝いている。
「あなたはまだまだ駆け出しみたいね?」
 肯定も否定もせず絵梨は得意げに片目をつむってみせる。
「私はかのえ絵梨。あなたは?」
「ジュンってんだ。エリ! 俺を子分にしてくれ!」
 少年、ジュンは居住まいを正して頭を下げた。土下座だ。こんなお嬢様を捕まえて何をと絵梨は言うが、「でもスリの天才なんだろ?」とジュンは食い下がる。
「私は天才じゃないわ。スリは技術の積み重ねよ。上達するには腕を磨くしかないの」
「ならその技術を俺に教えろ、いや、教えてください!」
 なお食い下がるジュンに、絵梨はやれやれと肩をすくめる。
「ま、いいでしょう。何回かだけ見てあげる」
「ほんとか! いまさら嘘なんて言うなよ」ジュンは表情を明るくする。
「庚絵梨は嘘を言わない。だからあなたも嘘をつかないで。それに私から習うなら二つ条件がある」
 ジュンは警戒したように「なんだよ」とボソボソ返す。
「一つは見てあげる間にスリの見込みがないと私が判断すれば、私が用意した仕事に就くこと。その時はいい仕事を見つけてあげる」
「……わかった。その時はエリが用意した仕事をする」
 よろしい、と言うのを見ながら、絵梨の思惑に僕は気付いた。絵梨は見込みがどうだろうとジュンに真っ当な仕事に就かせる気なのだ。
「もう一つは簡単よ、瞭の財布は狙わないこと」
「なんだそんなこと。このにいちゃんは絶対に狙わない。嘘はつかないよ」
「に、にいちゃん?」
 ジュンの言葉に僕は顔を引きつらせる。
「瞭、まただわね?」 
 絵梨はクスクスと笑い、からかう。
「え? もしかしてこのにいちゃん、ねぇちゃんかよ。なんでそんな男みたいな恰好してんだ?」僕のささやかな胸の膨らみに気付かずジュンが僕の胸をサッとなでる。
「な、な、なにを!」
 僕は慌てて胸をかばい後ずさる。
「本当ににいちゃんじゃないの?」
 絵梨が「こら」と、でこぴんを放ち、ジュンは小さな悲鳴を上げた。

 ジュンと別れ、僕らは帰路へついた。
「騒がないでくれてありがとね」
 絵梨が言う。少年が僕の財布に手を付けていた時のことだ。
「あそこで騒いでいたらあの子、ひどい目に合わされたろうからね」
 駅などでスリを看破された後どうなるか、僕も何度か見たことはあった。警察に突き出されるまでに周りの人間たちから暴力にさらされるのだ。絵梨に腕を掴まれたジュンも、それを恐れたに違いない。
「それにしても絵梨って何者? 怪盗の《白貌びゃくぼう仮面》って君だったりしないよね?」
「とんでもない。ご存知の通り侯爵令嬢様よ」
 絵梨が笑う。
「ま、そんな肩書き以前に、あなたを大切に思っているただの親友よ」
 さっきの仕返しだろうか。真っ直ぐな言い方に、今度は僕が顔を赤くする。
 そんな僕を見るのは、あのいたずらっ子のような笑顔だった。


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サークル名:蒸奇都市倶楽部(URL
執筆者名:蒸奇都市倶楽部(人見広介)

一言アピール
現在絶賛製作中の新刊『蒸気人間事件』の主人公たちのある日の一幕におねショタ風味をねじ込んで描きました。
彼女らの日常での当たり前と、僕らの日常の当たり前はもちろん違います。ええ、スチームパンク「風」が薄い言い訳ですがね。新刊はきっちりスチームパンク「風」ですよ。間に合って、いや間に合わせます。

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