夏の熱源

 太陽の熱、人体の熱、機材の熱。そこにさらに「熱意」なんていう熱源不明のモノが加わって、渦を巻いて、ねじれていく。どろどろもわもわがんがん。うねる。
 好きな人にはたまらない雰囲気なのかもしれないけれど、特に興味もなく単純にお金の為だけにここへ来ている私にとっては苦痛に近い。なんで夏フェスって夏にやるの、なんてぶつけどころのない不平が口を突きそうになって、慌ててペットボトルで塞ぐ。冷たいポカリが火照った身体の熱を少しはマシにしてくれる。うねる熱の複合体の中で、私にコントロールできる唯一の熱だ。
「おいバイト! その箱こっち運べや!」
「はい!」
 後頭部にばしん、と声が飛んできて、私は「その箱」とおぼしきケースを持ち上げた。名前ではなくバイト、と呼ばれることにぎょっとしたのは初日だけだ。たった五日我慢すれば終わることだと思えば、大抵のことは我慢できる。武田さんの目がある分、私はまだ楽な方だ。
 五日間の短期バイト。夏のロック音楽フェス会場での雑用。これが私の、今の肩書き。
「なあ、あっちのアンプちょっと調子悪いらしいんだよ、見てきてよバイト……、あ。お前武田さんとこの子かあ。じゃ、何もわかんねえよなあ。お、今川いるじゃん、いまーがわー!」
「誰かー、北側のごみ箱溢れてるから片付けてー」
「私行きます!」
 すかさず、私は駆けだした。黒いTシャツは音楽関係者。緑のTシャツはバイト。スイカ畑のような人の波を、会釈を繰り返しながらすり抜けた。
「あの子、よく働くよなあ」
「ああ。なーんにも知らないけどな」
「それな。でもまあ、いいじゃん。中途半端にこっち側だと、ミーハー発揮させて仕事にならねえし」
 後ろから聞こえる黒いTシャツ同士の会話。聞こえなかったふりをしてゴミ箱に向かう。褒められてるとも貶されてるとも思わない方がいい。
 北側のゴミ箱というのは出演者控室のすぐ近くに並んでいる三台のことで、そのすべてがいっぱいだった。いっぱい、というか、うん、溢れているという表現は実に正しい。フェス会場で売っているのだろう、屋台の食べ物の容器がほとんどだ。白いスチロール皿、縞模様の紙コップ、ソースで汚れたプラパック。最低限、瓶と缶だけは分別することを心掛けて新しいゴミ袋にどんどん放り込んでいく。できるだけゴミしか見ないようにしていたのだけど、目の端にちらちら入り込む緑のTシャツの女の子たちに気がついてしまった。三人まとまって、何か仕事をしているふうもなく、出演者控室のドアを気にしてふらふらしている。私は遠縁の武田さんに、このバイトに誘われたわけだが、武田さんと、さっきの黒Tシャツが言っていた「ミーハー発揮させると仕事にならない」というのもひとつ事実なんだな、と思う。こういうのを見ると。昨日も、自分の好きなバンドの出演の時にステージ袖にいたい、とか言って怒鳴られてる子がいた。「お前何しに来てんだよライブ見てえならチケット買って正面まわれよ馬鹿が!」って。まあ正論だよね、と思う。
 みるみるうちに、よっつ、ゴミ袋がいっぱいになった。よいしょ、と袋の口を縛ったら、きゃあああ、と歓声めいたものが響いた。え、なに、と顔を上げると、ステージ寄りの細い通路を、男の人がふたり、並んで歩いていた。Tシャツが黒でも緑でもなかったから、スタッフではなく出演者なんだろうな、と思っていたら、さっきの女の子たちが甲高い声で説明してくれた。いや、別に私に説明するつもりはなかっただろうけど。
「ハナビのヒロトと、RAY’Sの大樹、やっぱり仲いいんだね!」
「インディーズ時代から交流あったらしいよ」
「下積み時代のライバル、ってやつでしょ?」
「え、それなんか言い方古くない?」
「本人たちが言ってたんだってば! この前の、ロッキンオンの記事で」
 へええ、と私は内心で感心する。よく知ってるなあ。やっぱり好きなものについての知識ほど増やしやすいものはない。私も、漢詩ついての知識だったらあるんだけどなあ。きっとあの子たちに披露する機会はないだろうけど。
 あの子たちが話していたように、バンド同士というのは結構交流があるものらしい。控室から漏れ聞こえる声からも、久しぶり、とか、この前のライブ行ったよ、なんていう言葉が聞かれた。
 ぱんぱんに膨らんだゴミ袋を両手にひとつずつ持つ。もう一回は往復しないといけないな、と思いつつよたよた歩き出したら。
「ディープシーフィッシュの皆さん入られまーす!」
 男の人の声が通って、さっきと同等かもしくはそれ以上のきゃあああ、が響いた。何よあんたDSFなんてアイドルバンドだなんてバカにしてたじゃん、それはあんただってそうじゃん下積みなしの苦労知らずが作った曲だもんね、ってさあ、やめなよふたりとも来るよ、というおしゃべりが続いて、ぱたりと止んだ。
「おはようございまーす」
「よろしくお願いしまーす」
 いろんな方向に会釈をしながら、五人の男女が歩いてきた。
 ディープ・シー・フィッシュ。正式表記、Deep-Sea-Fish、通称DSF。今、間違いなく一番売れているバンドで、それがどのくらいかというと、音楽にまったく興味のない私でも知っているくらい。今年新発売になった炭酸飲料のCMに曲が起用され、それが炭酸の味ごとに四種類のCM、四種類の曲アレンジ、という凝ったつくりで話題を呼んだ……、という知識はここのバイトに入ってから仕入れたものだけど。
 マネージャーとおぼしき長身の男性を先頭に、五人が私の目の前を通り過ぎていく。全員に順番に会釈されて、私も慌てて頭を下げた。あ、ゴミ袋持ったままだ。
「控室、ここな。ふかみん、良く覚えておけよ、お前が一番心配なんだから」
「…………うん」
 ふかみん、と呼ばれた猫背の、髪の毛ぼさぼさの、男の人ががくん、と首を下におろす。たぶん、うなずいたんだと思う。でも、うなずいたきり、控室へ入ろうとしないで突っ立っている。
「どうした」
「……あのさ、ステージの方に、いたいんだけど」
「ステージ?でも出番まだだぞ」
「知ってる。でも、空気、そっちの方の吸っといた方が、いい気がする」
「あ、そ。うーん、でも、どうすっかな、俺まだ打ち合わせあるしな」
「……いいよ。この人に、連れてってもらうから」
 と言ったふかみん……、いや、深水壮太の眠そうな両目が、私を見た。ええええええ。

 黒Tシャツの人がすっとんできて、僕がご案内します、と言ったんだけど、なぜか深水壮太氏は私に、と言って譲らなかった。自分でちゃんと自覚しているけれど、私は美人じゃない。どっちかというとブスの部類だ。何をそんなに気に入られたものかわからないけれど、深水壮太氏がそう言うなら、と私はゴミ袋を放棄させられてステージ袖への案内役になった。
「すみません、無理言って。俺の手が空いたら、すぐ行きますから、それまで一緒にいてやってくれませんか。目を離すと、どこ行っちゃうかわかんないから、この人」
 マネージャーさんにお願いされ、私ははい、とだけ答えた。背後から、三人分の鋭い視線を感じていた。
 深水氏を連れて爆音鳴り響くステージ袖に行くと、すでに話は通っていたようで、インカムをつけた黒Tシャツの人がパイプ椅子を出してきて深水氏に勧めた。深水氏が、またがくん、と頭を下げてそれに座る。私はなんとなく、立ち位置に困って、パイプ椅子の少し後ろに立った。深水氏は、ステージの方向をぼうっと見ている。私は名前も知らないバンドを。
 爆音が終わった、と思ったら、喋り声が聞こえてきた。挨拶の時間に入ったらしい。
「皆さん今日はありがとうございまーす!」いえーい。
「楽しんでますかー?」いえーい。
 沸き起こる、完成と熱気。熱い、渦。
「俺たちは、この舞台に、このフェスの舞台に立つことを目標にしてきました! 本当に嬉しいです! 去年引っ越しのバイト頑張ってた甲斐がありました!」どっと、笑い声。
「大変だったよねー、高そうな壺とかさ、運ぶの緊張したよね」あははははは。
 この人たち、歌よりお喋りの方が上手なんでは、なんて失礼なことをちょっと思ったら、急に、深水氏がぐるん、と振り返った。
「ねえ、今のどういう意味かな」
「え、ええ?」
 話しかけられたことも驚きなら、問いかけの意味も分からなくて私は間抜けな声を出してしまった。とりあえず話しやすいように腰をかがめつつ、どういう意味、とは、とつっかえつっかえ問い返す。
「フェスに出ることを目標にしてたのにどうして引っ越しのバイトしてたのかな」
「え? ええと、それは、たぶん、お金のため、では……」
「そのお金は、音楽やるためのお金だよね」
「たぶん……」
「ふうん……。じゃあなんで、引っ越しのバイトなんだろう」
「ええっと……」
 時給が良かったからでは、と言おうか迷っているうちに、深水氏はステージに向き直った。

「何度聞いてもわかんないんだよね。なんで皆、音楽やるためのお金を、音楽以外で稼ぐのかな」

 何気ない、一言だった。
 でも、私の全身から、ぶわっと汗が出た。うねりが、強くなる。熱だ。
 やばい。これは、やばい。
 今、私の隣には太陽がいるんだ。
 私は慌てて、ポカリを飲んだ。もうすっかりぬるくなっていて、熱は少しも逃がされなかった。君はどうして夏フェスのバイトしてるの、と訊かれることを、急に、私は恐れた。
「では聴いてください、最後の曲です」
 夏フェスの舞台に立つのが目標だったというバンドがまた、爆音を鳴り響かせて、私は少し恐怖から解放された。
 けれど。隣では。
 深海の太陽が、じりじりと夏を焼いていた。


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サークル名:つばめ綺譚社(URL
執筆者名:紺堂カヤ

一言アピール
文筆担当2名のほか計7名が在籍。小説を中心に、ファンタジーから青春ものまで幅広いジャンルの作品を発表。看板作品は中国をモデルにした架空の国の動乱を描いた『口笛、東風となりて君を寿ぐ』。今回は紺堂カヤ著作の青春バンド小説『手ノ鳴ルホウヘ』の番外編を読み切り短編として書き下ろした。

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