はじまりの魔女たち
完成したばかりの等身大のわら人形を、床に描かれた方陣の上に配置する。
テスさまの研究はよくわからないが、わたしはいわれたとおり、この小屋の二二体の人形を、常に新しいものと取り替えている。
馬の尾の髪や、ぶどうの皮の肌、貝殻の爪をもつ人形たちがずらりとならぶ様子は、村人たちに不気味だと不評だ。わたしもはじめは怖かった。でも、この仕事でしか、テスさまに返せるものがなかった。わたしは魔女でもなんでもない、ただの娘だからだ。
いまではすっかり平気になり、人形も何十体とつくりあげ、十五歳にして、村いちばんのわら人形職人といわれている。
そしてもうひとつ、わたしを現す名がある。こちらはあまり、呼ばれたくないのだけれど……。
「テスさまの審判者、いる!?」
扉がひらき、ひとりの若い魔女がかけこんできた。
ああ、来たか。テスさまが外国の方陣を見に行かれるときは、大抵、その名が呼ばれるのだ。
彼女は神妙な顔つきで続けた。
「テスさまが魔女狩りにあわれたの。七日前よ。すでに処刑されているかも……」
審判とは、タロットで復活を意味するカードだ。つまりわたしはテスさまの復活人。
テスさまは善き魔女だが、教会にとって魔女であることにはちがいなく、いままで何度も処刑されている。その復活の方法は形式化していて、なんの力も持たないわたしでも行えるわけだ。
むしろ、わたしがやったほうがいい。魔女たちは国内外を巻きこむ大規模な研究におおいそがしだし、村人は老人ばかりなんだもの。
それにわたしはこの村の出身ではない。戦乱のなか、家族ぐるみで逃げてきたよそ者だ。
本来の目的地はここではなかったが、道中でヘビにかまれたわたしは歩けなかった。その治癒をテスさまが申し出て、家族は親戚のいる南へさらに下った。そしてわたしは完治しても、ここで人形をつくっている。理由は、恩返し。ただそれだけだ。
テスさまはいつもいっていた。「治ったら、どこへでも行きなさい」と。
でも、テスさま。わたしは思うのです。研究にも農作業にも縛られないこの足は、あなたのもとへ駆けつけるためのものなのだって。
わたしは肉体の代わりとなるわら人形を背負い、狩りにあったという港町へ向かった。
到着は五日後。予定より早かったが、気は抜けない。キリストだって復活は三日後だったのだ。早いに越したことはないだろう。
日暮れ前だったので、宿は後まわしで海沿いに位置する教会へいく。裏の広場では何人もの女の遺体が処刑されたときのままはりつけになっている。異臭がひどいが、ひとつずつ確認するしかない。風化がはげしいものから目をこらす。目印は、ももの内側にあるクモの入れ墨だ。焼けにくいだろうそこに入れているのだが、いかんせん、股をのぞきこむのは勇気がいる。
「おい、娘。なにをしている」
そうこうしているうちに、教会の男に見つかってしまった。手にたいまつを持っている。見回りだろう。
「こんにちは。わたしは、東から来たエクソシスト見習いです」
大げさに両手を広げ、わたしは相手に近づいていく。油断させるには、そのふところに飛びこむのが一番だ。いぶかしむ男に、わたしは話をつづけた。
「女教皇の異名を持つ異国の魔女が、とうとう処刑されたと聞いたので、ひとつ顔でも見てやろうと来たのです……」
知性を意味する女教皇とは、テスさまのことだ。魔女のあいだの名だが、教会側でも有名である。裁判にかけられるたび、彼女は自分の国のことばでそれを名乗るからだ。
男は口ひげをなで、にやりと笑った。
「ふん、おまえは運がいいな。その魔女を捕らえたのは他でもない、このわたしだ」
どきん、と心臓がはねた。
笑みをつとめたものの、続く男のことばは拷問に近かった――捕らえたときの様子や、肌がムチで赤く腫れていくさま、炎の燃え広がりなど、死に様をうたうように語るのだ――わたしは胸をかきみだされる気持ちだったが、この女たちの遺体のうち、どれがテスさまなのかを聞き出すため、必死に耐えた。
それさえわかれば、テスさまを助け出すことができる。テスさまの元気な顔を見て、傷ひとつない身体に墨を入れて、汚れのない服を着せて、ともに村へ帰ることができるのだ!
「だから、骨を砕いて、岬から海へまいたのさ」
「えっ?」
思いがけないことばに、ふっと顔をあげる。
「はは、きみもおかしいかい。何度も裁判にかけられる魔女、テス。正体はもちろん、複数の魔女たちだ。彼女らが口裏を合わせ、裁判でテスと名乗るようにしているだけ。だから仲間に笑われたよ、処刑後すぐに骨を砕くなんて、おまえは臆病者だってな」
「なぜ、そんな……」
「肉体を完全に滅ぼし、もしこれでテスが現れなくなったら、手柄はますます大きいだろう?」
空を抱くように腕をひろげる男。
なんて、きたならしい顔をしているんだろう。
「魂まで滅ぼせるものか!」
わたしはふところに入れていたわらひもで、男の足を引っかける。
派手に転んだ男は、何が起こったかわからない様子だ。そのすきに、岬へといそぐ。背中の荷物から人形を取り出した。
岬には大きな十字架がたっていた。
いままで、テスさまがどんな思いで拷問を受け、処刑されていたかなんて、考えもしなかった。復活すれば、また彼女は苦しむだろうか? 逡巡のあいだにも、時はすぎていく。この人形に魔法をかけるしかない。わたしにできることは、それだけだ。
「テスさま……お願いします、どうか」
わたしはふところから取り出した薬を人形へたらしていく。
「そこの娘、よくもやってくれたな!」
ふりかえると、さきほどの男が迫っていた。
わたしは胸ぐらをつかまれ、十字架へおさえつけられた。はあっと肺から息がもれる。男はわたしが抱いた人形に火をうつすと、うばい、海へと放った。
「テスさま……!」
力をふりしぼり、衣服から身体を抜く。
十字架から自由になったわたしは、ためらいもなく人形のあとを追って海へと飛びこんだ。
だれかに手をにぎられた。
そんな気がして目を覚ました。
けれどもそれはきっと夢で、あたりにはだれもいない。どこかの波打ちぎわのようだ。
「ああ、わたし、助かったんだ」
視界がだんだんはっきりしてきたが、おかしい。わたしはまじまじと、自分の身体を見おろした。
「年老いている……?」
そもそも裸で海へ飛びこんだはずだが、黒く丈の長いつなぎを身につけていると気がつき、はっとする。まばらな爪、なみうつ栗毛。すべて覚えがある。これは、わたしが作ったわら人形だ。
「おはよう、わたしのかわいい審判者」
「テスさま!」
聞き覚えのある声に、顔をあげる。ところがあたりを見回しても、だれもいない。あるのは燃えさかる背丈ほどの炎だけ。
「どこにおられるのですか」
「おまえの心のなかよ。人形を海まで連れてきてくれたおかげで、蘇ることができた」
いわれてみれば、声は外からではなく、内から聞こえてくるようだった。
「では、村へもどって、本当の復活を遂げましょう。ここはいったい、どこなのですか?」
「時の果てよ。死した魔女の魂が流れつく場所として生み出したの」
各地で研究していた方陣は、このためのものだったらしい。テスさまはずっと魔女への制裁をうれいていた。魔力を手放す活動もされていたから、世界から魔力を消す方陣だと思っていたが、反対だったようだ。
「魔女の魂は、あの炎から人形の身体を得て復活するの。……そうか、おまえは魔女じゃないから、海から来たのね」
そのつぶやきが、胸にひびく。
ああ、そうか。わたしはもう、村へは戻れないのだ。
「また、おまえを縛ってしまったね。すまない、どこへでも行ける足があったというのに」
わたしは燃えさかる炎に手をかざす。
「わたしは、テスさまの審判者です。テスさまのおそばにいることが、なによりも幸せです」
わら人形からできた身体とは思えないくらい、肌も、爪も、本物だ。涙を流す瞳さえも。
「ありがとう」
そこには時も距離も存在しなかった。
わたしは仕事をもらい、庭となる島をつくり、月と太陽に似たものを生み出した。この身体は魔力を得るほどに強く、出すほどに弱くなるようで、庭が育たないうちは朽ちていくように感じた。
テスさまは、しるべとなる書を残すことに魂を費やされている。
会話も減り、せつなく思ったが、それを伝えることはなかった。何度も生をくりかえし、拷問や処刑に耐えて来られたのだ。ひととき復活の世話をしていただけのわたしに、一体なにがいえるだろう?
ある日、炎のそばにわら人形がたおれていた。それは次第に人の皮膚や眼球を取り戻し、わたしのなかのテスさまを慕った。
「死後もあなたの研究にたずさわれるなんて、光栄です」
呼ばれるうちに、わたしは自分自身がテスさまであるかのように錯覚する。魔女が増え、彼女らのために自分と同じ庭をこしらえた。それからまたすこしして、テスさまがこころから消えていることに気がついた。
書をつくられているのだとばかり思っていた。
自分の庭の木のうろに墓をたてれば、内でつくられていた書がそこへ宿った。
うろは、現実世界へと続いているらしい。はじめのころ、わたしのためにとつくってくださった道だ。
永遠に通ることのないその入り口に、最後のわら人形をおく。
さきほどすべての庭に、これと同様の、動物を模した人形をおいてきた。植物が育てばその魔力でか弱き魂を得るだろう。彼らは魔女と世界を見守る存在となってくれるはずだ。
いま、炎の広場ではサバトが開かれている。うろを行き来する魔女のおかげで、ここも次第に変わっていく。もういいだろう。できることはもう何もない。
「これから、参ります」
あるとすれば、ひとつだけ。
サバトのにぎわいを遠くに聞きながら、わたしはそっと目を閉じた。
サークル名:イチナナ(URL)
執筆者名:だも一言アピール
前回新刊として頒布した『時の果てのファイア・ガーデン』のスピンオフで、巻末おまけとして配布したものです。