浜百合の道行き

 俺は今、仙人峠を越えている。座敷童と一緒に。

「ね、ヒロ、『けいじどうしゃ』というのはずいぶん早いんだ?」
 煽ってくる後続車を振り返りながら、幼い声が無邪気に言った。これは無垢を装った皮肉だと、俺は知っている。いくら大学の先輩から格安で譲ってもらったとはいえ、愛車を馬鹿にするなんて。ましてや、誰も乗せたことがなかった助手席に座っておいて。
「この車にバイト代いくらぶっこんだと思ってんだよ」
「五千円くらい? このゲーム機よりは安い?」
「お前たまにぶっ飛ばしたくなるときあるわ」
「できないくせに」
 俺はぐっと言葉に詰まった。図星だったからだ。

 物心ついたときには、この生意気な座敷童のお守り役を仰せつかってしまっていた。
 わけもわからずこの家に連れてこられ、真っ先に奥の和室に通された。座敷牢のような部屋の真ん中に正座していた、白い着物のおかっぱの女の子。その見た目には似つかわしくない大人びた表情で、彼女はかすかに微笑んだ。
「今度は、ずいぶん小さいのう」
 自分と同じくらいの背丈の子にそんなことを言われて、小さいなりに男のプライドが――いや、まあ、とにかく、ムッとしたのだ。
「お前、だれだ」
「オレは、花」
 はじめての会話は、そんな諍いだったと記憶している。彼女と会話が成り立つと、見守っていた家じゅうが湧いた。俺の心は騒ぎの中で放り出され、十数年経っても、もやっとした感情だけが取り残されている。

 うちには時代ごとに一人だけ、彼女と言葉を交わせる人間が生まれるのだという。先代は、俺の大叔父。それが亡くなったのと同じ頃に生まれたのが俺だった。
 花は座敷童で、大昔からこの家に居着いているらしい。座敷童が住めばその家の繁栄が約束されるのだそうで、確かに本家は古くから地元の名士であった。
 離れて住むことになった両親はかなりの頻度で本家に来てくれたし、関係は至って良好。本家のバックアップで大学へ通い、バイトして車を買うんだと言えば、口を出さずに見守ってくれる。
 不満があるとしたら、花の子守りだけだ。

 携帯ゲームを手渡すと、花は目を輝かせた。電源を入れるのと同時くらいに、「ソフトは?」と要求される。
「これがいいな」
 花は雑誌の付録、ファンシーな妖怪の絵が描かれたメダルを頭の上に掲げていた。仕方ないので妖怪を集めてバトルするゲームをダウンロードしてやっていると、雑誌から顔を上げた花が、「ねえ、紘?」と猫なで声で呼びかけてきた。何か頼みたいときの口調だ。
「何だ?」
「すれ違い通信しないと、激レア妖怪はゲットできないって」
「諦めろ」
「出てくよ?」
「ダメだ」
 眉を寄せて、花は言う。
「そんなら、通信ができるところへ連れてって」
 この家を出て、人が沢山いるところへゆく。花はそう言うが、それは簡単にできることではなかった。
 座敷童が出て行って滅びた家の話を、俺は小さい頃から聞かされていた。だから家に棲まうことに飽きぬように相手をする、座敷童の足枷、あるいはあやかしへの贄ともいえる、大叔父や俺のような者が必要だとも。
 それに、花は家に憑くあやかしだ。依り代となる家から離れれば、花の存在自体が危うい。連れて行け、という花の言葉には、命がけの決意がこめられているはずなのだ。
 残念ながら、俺は『こんな家など滅びてしまえ』と言える立場にない。これまでの暮らし、これからの人生を考えれば、現状維持が得策。その点は、本家の考えと俺の意志は重なる。
 俺に心配を掛けまいとしてか、花は存外軽い調子で言った。
「楽しんだら戻る。だから、お願い」
「お願いって」
「紘以外の誰が連れて行ってくれる?」
「ソウデスヨネー」
 こうして、俺は脱走の片棒を担ぐことになったのだ。

 真夏だというのに、やませが吹いて半袖では涼しいくらいの日だった。冷房の効きが悪い車の窓を開け、風を入れるのにはちょうどいい。
 峠を越えてしばらく行くと、潮の匂いが鼻をくすぐり、隣町に着いたのだと知れた。鉄とラグビーと、はまゆりの町だ。市場を横目に見ながら駅前を通り抜け、橋を渡り、目的地は、数年前にできた大型ショッピングセンター。
「着いたぞ」
 花は目を丸くして辺りを見回す。海の匂い、あの鳥がウミネコ、車も人もずいぶんいるな、とかなんとか。びっくりするのも当たり前で、花があの家を出たのは、おそらくは我が家にやって来た、遠い遠い昔以来なのだ。
 驚いているのは、俺だって同じだ。先の震災から海沿いの風景はどこもかしこもめまぐるしく変わりゆく。あのとき泥とがれきに覆われた街にも、新しい道路や建物がどんどんできてゆく。このショッピングセンターも、その一つだ。

 着物が目を惹くのか、花は客の注目の的になっていた。俺は、花の手を引いてエレベーターに乗る。
「まず服を買ってやるから、来い」
「なに、この箱」
「上の階まで連れてってくれる機械。『3』押して」
「光ったよ!」
 こわごわボタンを押した花が、鬼の首でも取ったような顔で見てくる。たかがエレベーターでドヤ顔、と思いながらも、花には何もかもが初めてなのだ、と思い直す。
「すれ違い通信は?」
「着替えたらな」
「はーい」
 聞き分けのいいこどもを演じるあやかしが、片手を挙げてよい返事をしてみせた。
 俺は、一瞬だけ、これが花の本当の顔かも、と思ってしまった。これで意外と老獪なところもあるから、装うのが上手いだけなのだろうけれど。
 子供服売場に放つと、彼女はピンクのTシャツとポシェットを手に戻ってきた。日曜朝の番組の少女戦士のつもりらしい。ポシェットにゲーム機を入れて肩に掛けると、花は高らかに宣言した。
「ようし、うろうろしよう!」
 俺と花はショッピングセンターの隅々まで歩き回った。花はエレベーターが気に入ったらしく何度も乗った上、エスカレーターも面白がって、何往復もした。アイスをおごらされ、プリクラを撮らされ、ぬりえを買わされた。
 気付けば夕方になっていた。俺が、帰るぞ、と言い出す前に、花は「戻る」とぽつりと呟いた。

 花は車に乗ってから一言もしゃべらなかった。車は相変わらずひどく唸りながら坂を登っていたが、花はそれをからかうことはなかった。『座敷童』に戻ったのだろう。
 長いトンネルに入ると、俺はカーステレオの音量を下げた。
「今日はどうだった」
 俺の呼びかけは、花には届いていないようだった。花はトンネルの壁を眺めていて、運転席の俺からはその顔は見えない。いや、これまでずっと、花の本当の表情なんて、俺は知らなかった。離れがたくなると分かっていたから、知ろうとする自分を制していた。
「楽しかったか」
 すると花は突然、運転席の俺に勢いよく振り向いた。
「たのしかった。きっと、花の一生でいちばん、たのしかった。絶対に忘れないから!」
 花は笑顔を作って、そう叫んだ。涙を浮かべているようにも見えたけれど、俺は運転に忙しくて気づかないふりをした。
 道行きの終わりが、近づいていた。

 大叔父を失ってから、何年もひとりでいた花。俺が初めて見た花、家の奥の和室に一人きりで座っていた彼女は、闇の底から見上げるような顔をしていた。まさに萎れた花のようだった。
 あやかしのくせに、人間なんかに情をかけるからそんなことになる。
 俺は、失って落ち込まれるなんて御免だから、現状維持がいい。あの日の心も取り戻さなくたっていい。曖昧に、過去に置いてきたままで。いい加減に子守りをして、花の中からきれいにいなくなる、それが理想だ。
 なのに花は、『絶対忘れない』と言った。
 すべて台無しだ。
 いや、台無しにしたのは俺だ。一日だけの駆け落ちなんて思ったのが間違いだった。たった数十年しか一緒にいられないくせに、花と共に生きたいと願ってしまった。ずっと前から花をあいしていたのだと、本当は絶対に忘れられたくないのだと、気づいてしまったのだ。
「そんな顔で笑うなよ。お前、また、座敷行きなんだぞ」
「紘?」
 花は驚いたように俺の名を呼んだ。
 俺は泣いていた。花の前では決して本音を見せないようにしてきた俺が、だ。それでも暗いトンネルの中、みっともない横顔が見られないだけ、ましだろうか。
「さっき、服を選びに行った花が戻ってこなければいいと、何度祈ったか。店の中を歩き回ってたとき、もう自由にどこへでも行っていいぞって、何度言おうとしたか。でも俺は自分で花を突き放すことなんてできないから、結局言えなかった。花に俺と家にいて欲しいから、言えなかった!」
 花は、今度こそ目を丸くして俺を見つめた。その視線を躱す言葉を、俺は持たない。だから、トンネルを抜ける前に、一言だけ。
「俺も、一生でいちばん、楽しかった。忘れようとしたって忘れられねえよ」
 トンネルを抜けても、辺りはまだ夕陽が残っていた。花は、涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃの俺の顔を見て、「ひどい顔」とこぼした。
「うるさい。汚い、から、見るな」
「汚くない。紘が花を想って流してくれた涙が汚いなんてことは、ないよ」
 大人びた口調で、花はまるで諭すように言った。ひくひくとしゃくりあげる俺の腿に小さな手が乗せられ、ぽんぽんと軽く二度、励ますように叩かれる。
「紘は難しく考えすぎ。あの家にいなかったら、出会うことさえなかった。花は紘と出会えて、紘が好きだから、死ぬまで一緒にいる」
「は?」
 頭の中が真っ白になった。車が揺れて、慌てて運転に意識を集中する。
「もう一回。もう一回、聞きたい。聞かせてよ」
 返事代わりに、俺の腿がきゅっとつねられた。ちくりと可愛らしい痛みを感じるということは、夢ではない。花の手は、つめたいやませの夕暮れにも関わらず、熱い。横目で盗み見た花は、優しく微笑んでいる。
 トンネルを抜けたって、一日きりの脱走が終わったって、愛おしい座敷童との日々は続くらしい。それならせめて花の笑顔を枯らさぬよう、死ぬまで子守りを全うしてやろうと、俺はハンドルを握る手に力をこめた。
 俺たちの家は、もうすぐそこだ。


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サークル名:赤卒文庫(URL
執筆者名:良崎歓

一言アピール
田舎が舞台の現代ファンタジー、学園恋愛虫ツイノベ、刀剣乱舞燭へしなどを書いてます。「浜百合の道行き」は「ふたごもりの家」収録の短編をやや縮めたもので、海の街へ脱走する座敷童のお話です。距離が近いあやかしとヒトの組み合わせが好きです。

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