少年と海と姫

 ザザッと波が打ち寄せては消える。日差しがさんさんと照らす、波打ち際の散歩道。小さな少年の人影以外はない。
 海で泳ぐには季節外れという訳ではないが、ここは遊泳禁止区域なのだ。そのため、彼以外の人の姿がない。時間が悪いのか、散歩をしている者もいない。
「ちぇっ。ここにはゲームもない。マンガもない。つまんなーい!」
 不平を漏らしながら、彼は裸足で波打ち際を歩いている。時折、積もったその不満をぶつけるように、波を蹴り上げながら。

 夏休みを利用して、少年は両親と共に田舎の親戚の家へと遊びに来ていた。
 始めこそは、お菓子を振る舞われたり、都会では聞けない珍しい話をしてもらったりで、親戚の家は楽しいと思っていたのだが、次第に親同士の難しい会話になり、少年は放り出される形となった。無論、こんな田舎に『友達』なんて誰もいない。滅多に来ない田舎の親戚の家なのだから、当然と言えば当然だった。
 名前も知らない『親戚のおばちゃん』が時々、「ジュースをあげようか」とか、「お菓子をあげようか」とか聞いてくるのだが、もうおなかはいっぱいだったので、全て断った。そして暇を持て余し、彼は一人で親戚の家のすぐ近くにある、この海岸までやってきた。
 散歩でもすれば面白いものが見つかるだろうと思っていたのだが、彼の欲する『面白いもの』など、そうそう転がっているものではない。
 散歩もすぐ飽きてしまった。だが、親戚の家に帰っても、両親はまだきっと、自分の理解できない退屈でつまらない大人同士の話を続けているだろう。
 同じ退屈でも、一人でいる方がマシだ、と彼は思った。

 まだ夕食まで何時間もある。おやつでおなかはいっぱいだし、面白いことなんて何もない。少年は「つまんない」を繰り返しながら、波打ち際をパシャパシャと歩いていた。
 ──あまり親戚の家から離れすぎてはいけない。
 そう気付き、引き返そうかと思った矢先、少年は少し先に、何か光る物が打ち上げられているのを発見した。太陽の光にキラキラ輝くそれは、少年の好奇心をおおいに刺激する。
「なんだろう? 綺麗な貝殻とかかな?」
 ワクワクしながら光る物に近付き、まずはぐっと覗き込む。
 それは七色に輝くビンだった。そしてその中には──
「わぁ……なにこれ?」
 小さな小さな女の子……いや、魚の下半身をした女の子が、ビンの中にいた。
「人魚姫?」
 おとぎ話の人魚姫。そんな言葉が少年の頭の中にふわりと湧いた。
「お人形かなぁ?」
 少年はビンをそっと手に取り、クルクルと回してみた。
「ピィピィ」
「わ! 喋った!」
 ビンの中の人魚姫は、少年だけにしか聞こえないような小さな声で鳴いた。そして少年がビンを回すごとに、中でコロコロと転がる。嫌がっている風ではないが、あまり愉快ではないらしい。人魚が抗議めいた声をあげている。
「ピィピィ」
「ごめんごめん。もうコロコロしないよ」
 少年は笑ってビンを両手で目の高さまで持ち上げた。

 これは面白いものを見つけた。少年は笑顔になって、ビンの中身をよく観察する。
 白っぽい、黄色っぽい髪の毛は優美に波打って長く、腕や体に絡まっている。下半身の魚の尻尾はビンと同じ七色に輝くウロコに覆われていて、見る角度によって。様々な色合いへと変化する。クリクリとした青い大きな目と小さな口は愛らしく、じっと少年を見上げている。
 とてもとても、愛らしい人魚だった。
「君、一人なの?」
 周囲を見渡しても、同じようなビンは転がっていないし、他の人魚もいない。
 少年は手の中のビンをもう一度見つめ、顔を近付けた。
「ねぇ。君はなんて名前? どこから来たの?」
「ピィピィ」
「……喋れないの?」
「ピィピィ」
 小さな声で鳴くだけで、人魚は少年の問い掛けに答える様子はない。ただピィピィと鳴くことを繰り返すだけ。
「それじゃ何言ってるのか分かんないよ。ちょっとでも喋れないの?」
「ピィピィ」
 人魚は少年の小指の爪より小さな手のひらを掲げ、ピンの内側をペチペチと叩く。何かを訴えているようだが、喋らないので何を言いたいのか、少年には分からない。
 英語と日本語のように、自分たちとは言語が違うのかな、とも思ったが、人魚の鳴き声はさっきから全く変わらない。ピィピィと、小さな口から小鳥のように囀るだけだ。表情も乏しく、感情の揺らぎや、鳴き声の抑揚すらない。
「うーん。どうしようかな」
 会話という手段でしか意思を伝えることができない少年と、鳴き声と小さな動作だけでしか意思を表現できない人魚。どうにか歩み寄れないものだろうか。少年は思案する。
「そうだ! ぼくが言葉を教えてあげる。だからぼくたち、友達になろっか?」
「ピィピィ」
「あはは! 君もちゃんと喋れた方がきっと楽しいよ」
「ピィピィ」
 人魚は相変わらず、ビンの内側をペチペチと叩いている。
「友達になったんだから、やっぱり名前が必要だよね。あと、こんな狭いビンの中じゃ可哀想だよね」
 少年の両手の中には、小さな人魚の入った七色のビン。ジュースのペットボトルより小さい。
 ビンの口には、しっかりとコルクで栓がされている。とても小さな人魚が、中から押し開けることができないほど、しっかりと。
「名前、どんなのがいい? 女の子だし、可愛い方がいいよね?」
 少年はそっとコルクに指を掛けた。しかしコルクは固く押し込まれていて、なかなか抜けない。
「ピィピィ鳴くから、ピーコちゃん……うーん、可愛くないなぁ……」
 キュキュッと、コルクが少しだけ動いた。
「あ、そっか。回せば緩くなるよね」
 名案を思いついた少年はさっそくコルクをぐいっと回す。キュキュッと、コルクが鳴り、また少しだけ動いた。
 ビンを回したことで、中の人魚がまたコロコロと転がる。
「ピィピィ」
「ああ、ごめんごめん。コロコロしたら痛いよね」
 少年は波打ち際から離れ、砂浜に座った。そして足でビンを挟み、コルクだけをグイグイと回す。

 キュキュッ、キュキュッ、ポン!

 コルクが抜け、ビンの中と外の世界が繋がった。新鮮な潮の香りが交じる空気が、狭いビンの中を満たす。人魚は少しだけ首を傾げた。
「やったね! これでもう自由に外に出られるよ」
 少年がビンの口から中を覗き込む。
「ピィピィ」
 人魚はビンの底から、まっすぐ少年を見上げている。
「一人で出られないの? もう、しょうがないなぁ!」
 少年はそっとビンを逆さにして、落ちてくるであろう人魚を受け止めようと、手のひらをビンの口へと翳した。
「ピィピィ」
 人魚がビンの中を伝って、這い出てくる。そしてポトリと少年の手に乗った。
「うわぁ、やっぱり君は可愛いね」
 七色のビンの中にいた人魚も愛らしかったが、手のひらの上にいる人魚はもっと愛らしかった。物珍しそうに少年の指のにおいを嗅いだり、ペタペタと彼の手のひらを叩いたりしている。
 人魚は、いつか母親の料理を手伝った時の、切り身魚のように、少しヌメったひんやりとした感触だった。だが、長い髪はくすぐったい程ふわふわだ。
「そうだ! 人魚姫だから、ヒメ……ううん、ピメちゃんとかどう? 可愛いでしょ?」
 名案を思いついたとばかりに、少年が人魚に顔を近付けた時だ。

 ガリッ!

「あいたっ!」
 少年は思わず腕を振り回し、人魚を投げ捨てた。
 手を見ると、指先に鋭い棘が刺さったかのように小さな血の玉が出来ており、ゆっくりと血が滴る。ポタリポタリと。
「ピィピィ」
 少年の足元に、人魚が這い寄ってくる。今まで無表情だった人魚が、ニタリと笑ったような気がした。
「う、うわー!」
 少年は一目散に逃げ出した。
 指はあの人魚に齧られたのだ。そして今度は、彼の裸足の足を目指して這い寄ってきた。
 この人魚はきっと血を吸うんだ、と思った時には、少年は走り出していた。もう彼女を可愛いとも、友達になりたいとも思わない。思えない。
 立ち止まって指を見る。

 ポタリポタリ。

 少年の指から血がまだ滴っている。相当深く噛まれたのだろう。血が止まる気配がない。
「なんだったんだろう、あの人魚姫。ぼくの指を噛むなんて……」
 指先がジンジンと痛む。少年は涙目になっていた。
 ふと気付くと、片手には、人魚が入っていたビンを持って走っていた。七色の綺麗なビンだが、あの人魚が入っていたかと思うと、得体の知れない恐怖が蘇ってくる。
 自分が持っていてはいけないものだ──瞬間的に悟る。
 少年は慌ててビンを海に向かって投げ捨てた。ポチャンと海に落ちたビンは、波にさらわれてすぐ見えなくなる。
 人魚はあの小ささだから、少年が走れば追ってはこられないはずだ。少年は再び、一目散に親戚の家に向かって走り出した。
 人魚姫に出会ったなんて、誰も信じてはくれないだろう。それどこか、笑って相手にもしてくれないはずだ。だって小さくて可愛い人魚姫なんて、おとぎ話の世界のものだから。きっとこれは夢なんだ。
 そう考えてはみるが、指からはまだ血が滴っている。ジンジンと痛む。だから──現実なんだ。
 夢でも現実でもどっちだっていい。もうあんな人魚に齧られるなんてごめんだった。
 少年は無我夢中で、親戚の家を目指した。人魚から、逃げるために。

 ──海に消えた小さな人魚は、きっともう見つからない。


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サークル名:アメシスト(URL
執筆者名:天海六花

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