まなうらの、あお

「海を見た事が無いの」
 旅の途中のある晩、共に火の番をしていた時、赤い炎に金髪を照らし出されながら少女がぽつりと洩らした言葉に、ミサクはさしたる驚きも覚えぬまま、「そうか」と淡白に返した。
 それもそのはずで、彼女は物心つく前から、世間より隔離された山奥の村で暮らしてきた。大海どころか、湖ほどの水たまりも目にした事は無いだろう。
「貴方はある?」
 そう問われて、ミサクは「ああ」と即座に頷き返す。
 将来、アナスタシア王国特務騎士隊長という立場を得る為に、幼い頃から、先代隊長に各地を連れられ、戦い方や生き延びる術を叩き込まれる日々を過ごす中、当然、海のある町にも行った。
『溺れた相手を救う術を身につけろ』
 背が高くて筋骨逞しく、立っているだけで威圧感のあった先代は、そう言って、幼いミサクを、落ちても死にはしないがそれなりの高さがある崖から、海の中へと蹴落とした。
 視界一杯に水面が迫った直後、身を叩く衝撃と、喉と鼻を突く塩辛い水が襲いきて、むせながら、身にへばりつく服の重みに耐え、必死に手足をばたつかせた。
 波にさらわれそうになると、
『我武者羅に岸を目指すな。離岸流を避けて横へ行け』
 と指示を飛ばされ、訳もわからないまま水をかいて、命からがら近くの浜辺へよろよろと上がった。
 文句の一つも言ってやろうと、咳き込みながら顔を上げた時、ふと、命懸けで泳いできた海を振り返って、ミサクは言葉を失った。
 一面の、あおだった。
 あお。ミサクの瞳の色の青ではない。より緑に近い、空とも異なる、碧。その美しさに、引き込まれるように見入って、不満など吹き飛んでしまった。
 そしてそれは、今、目の前で「海を見た事が無い」とぼやく少女の瞳の色と、同じだった。
 だからミサクは、臆面も無く告げるのである。
「貴女の瞳の色だ。とても綺麗だった」
 すると相手は、海色の瞳を軽い驚きで見開き、それから、照れくさそうに相好を崩す。
「まるで、口説いているみたいよ、貴方」
 言われてから、そうだろうかと首を傾げる。思ったままを口にしたつもりなのだが。
 そういえば、女性の部下にも、『隊長は無自覚に異性を振り回していますよ』と笑われた事があったか。
 まあ、それはいい、と思い出を横に置き、少女の瞳をまっすぐに見つめながら、本音を口にする。
「いつか、貴女に海を見せたい」
 すると彼女は、金の睫毛に縁取られた目を細め、一瞬、間を置いた後。
「お願いね」
 そう、どこか寂しげに微笑んだ。
 それを目の当たりにしたミサクの胸にも、ずきりと痛みが走る。
 知っている。彼女が心の底から共に海を見たいと思う相手は、自分ではない事を。海の色だと、綺麗だと言いながら頬を撫でて欲しい相手は、別にいる事を。
 それを思うと、心の奥でじりじりと焦げつく熾火がある。
 自分は、彼女の一番にはなれない。ミサクにとって、彼女が一番でも。男女が一人ずつ向かい合ったとしても、双方の想いが噛み合うとは、決して限らないのだ。同じあおの音を持つ空と海が、決して交わらないように、ミサクの青と、彼女の碧は、決して同じ道を歩めないのだ。
 上辺だけの約束に、胸がまた痛む。疼きを忘れたいかのように、ミサクは枯れ枝を少々乱暴に炎へ投げ込んだ。

 そう。
 人が二人いて道が交わらないように、交わした約束が果たされるとは限らないのだ。
 あの頃より伸びた銀髪を風になびかせ、彼女の瞳と同じ碧の海を見つめながら、ミサクは小さく嘆息する。
 あれから何度目の春だろうか。自分を取り巻く環境は大きく変化を見せた。
 あの時の仲間はもういない。
 仕えた国も潰えた。
 寄る辺を失った大陸は荒みきり、人々は、新たな存在に救いを求めてばかりいる。
 彼女を、シズナを奪った存在に。
 顔を伏せ、歯噛みしていると。
「みさくぅー」
 波打ち際から自分を呼ぶ、まだ舌っ足らずの声が聴こえて、ミサクは面を上げた。
「うみ、はいっていい?」
 身に覚えが無いのに育てる羽目になってしまった息子が、赤の両眼に期待を満たして、こちらの返事を待っている。これは「良い」以外の答えを待っていない顔だ。
 またひとつ、溜息をつき、
「危険な所までは行くなよ」
 と声をかける。たちまち息子は表情を明るくし、服を脱いで浜辺に放ると、歓声をあげながら、まだ冷たいだろう水に身を浸した。
 もし、彼女がここにいたら。はしゃぎながら泳ぎ回る息子を見やりつつ、ミサクは考える。
 彼女は喜んだだろうか。水と同じ色の瞳を喜びに輝かせて、海に飛び込んだだろうか。
 自分ではない男と、仲良く手を取り合って。
(シズナ)
『あの日』片方を失い、残された左手で顔を覆い、声に出さずに彼女の名を呼ぶ。
(シズナ、シズナ、シズナ)
 年を経てもなお、まなうらに浮かぶ彼女の顔は、鮮やかに思い出す事が出来る。
 彼女に会いたい。抱き締めて、その海色の瞳を真正面から見つめたい。
 あれから数年経っても消えるどころか、より一層募る想いと、燃え盛る嫉妬心は、海の水をもってしても、ミサクの心から押し流す事は不可能であるように思えた。


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サークル名:七月の樹懶(URL
執筆者名:たつみ暁

一言アピール
ダーク風味ファンタジー『フォルティス・オディウム』親世代の番外編です。この話の片想いこじらせ野郎が、「何があってこうなった」かについては、発行済み(のはず!)の上巻を、是非よろしくお願いいたします!

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