消えた海坊主

――あのさあ、プールに海坊主がいたって話、知ってる?

「ねえ、染井さんがオカ研ってホント?」
 昼休み、ピカピカに磨かれて光る爪をいじりながら、蛯子さんが私のところにやってくるなり不躾にそう尋ねた。
「そ、そうですけど」
「なぜに敬語」
 くすりと笑われたけど、逆に私は身を固くする。
 何故って彼女と口を聞くのは多分初めてだからだ。たまにジャージの短パンがチラ見えするミニスカに、どうひいき目に見ても赤茶なロングヘア、大きく開いた襟には、恐らくバスケ部の先輩彼氏からもらったらしい小振りのネックレスが覗いている。どれもこれも校則的にアウトな彼女はクラスで一番派手なグループに属していて、高校デビューに失敗して未だに一人で弁当を広げる私なんかに目をくれない。
――あーいや、一回だけ話しかけられたかな、掃除のときに「ゴミなげて・・・てきて」って。あの時掃除当番じゃなかったんだよなぁ。
 ちょっとイラッときた思い出まで引っ張り出してしまったけど、それはさておき。
 そんな彼女がこんな私に何のようなのかと思ったら、『海坊主』ときたもんだ。
 なんで毎度毎度私に来るんだろうなぁこういうの。真夜子に直接話が行くべきじゃない? 私はそれに巻き込まれるくらいがちょうどいいのになあ。
 頭の中でぼやきつつ聞いた話はこうだ。
――何年か前に、学校内のプールに海坊主がいたらしい。プールの中で何者かに足を引っ張られたとか、水中に小さな頭がにやりと笑っていたとか、外から巨大な影を見たのだとか。
「何年か前?」
「うちの姉ちゃんから聞いたの。五つ上だから」
 うちのアニキよりも年上じゃないの。これは情報収集に骨が折れそうだ。
「うーん、私も知らないけど、誰か知ってるかも。聞いてみる。でも意外、蛯子さんってそういうの信じるんだ」
 なんとなく一矢報いるような気持ちでそう言うと、自分が話している最中でもこちらをあまり見てくれなかった彼女はちらりと上目使いで私を見た。
「だってさー、もうすぐプール始まるじゃん? 確かめなきゃ安心できないっしょ」
 そう小さなため息をつきながら、ネックレスをいじった。

 我が札幌日照高校の校舎を簡単に図絵にすると、、下に線を結んだHのようになる。二つの棟の真ん中と東側を渡り廊下でつないでいるのだ。
 その二つの棟と渡り廊下に囲まれたど真ん中に、プールは存在する。夏の間中テントで覆ってあるとはいえ教室の真横にあるので、兄の話によれば授業中は騒音が気になって仕方がないらしい。
「プールか、憂鬱だな」
 東側の渡り廊下を歩いて第二体育館へ向かいながら、真夜子が呻く。彼女は同じオカ研の一年生だ。
 紆余曲折あって私が入部したオカルト研究会は、彼女の他に二年生と三年生が一人ずついるが、部長の三年生は受験生だからかほとんど出てこず、二年生の先輩も先日入部したばかりで、私よりも新参だ。だから実質、彼女がオカ研のトップだ。
 まあそれでなくとも、彼女はオカ研の部室の『主』であるのだけど――。
「意外。体育の時だけは張り切ってるのに」
「失敬な。他の授業の様子なんて知らないくせに。泳ぐのはいいけど色々準備があるだろ、それが憂鬱なんだよ」
「そういう女子みたいなことも言うんだ」
「どういう意味だそれ……」
 ギロリと真夜子が私を睨んだ。そういうところだよ。
 でも、プールが憂鬱なのは多分真夜子に限ったことじゃない。中学の同級生が何人かそれを理由に学校のランクを下げたぐらいだ。私的にはスキーより得意だし、準備の億劫さはあれどそこまで憂鬱ではない。
 雑談しながら到着した第二体育館は静かだった。今日はバド部の割当日だけど、練習はすでに終わってる時間だ。その体育館内にある用具室の扉を符丁のリズムでノックしながら、私は声をかける。
「ヤチ、お菓子持ってきたよ」
「やったー!」
 そう聞こえるなり、バチンと鍵が開いて突風が顔の真横を通り抜けた。理解するよりも早く背後でバレーボールが大きく跳ねる音がした。それが二回ほどバウンドして床に転がったところで、私はやっと何が起きたのかがわかった。
「こら八千代、危ねぇ」
 真夜子が後ろで冷静にそう叱ったけど、私は心臓が口から飛び出しそうでそれどころではない。予想はしていていたのに反応できなかった。思わず床に膝と両手をつく。
「ごめんごめん、テンションあがっちゃって」
 私の頭上にふわりと浮かんだ体操着の少女が笑う。でももう次の瞬間には、床に転がったスーパーの袋に意識が向いていた。
「やったーチョコレートだ!」
――第二体育館ではボールがひとりでに飛び交う。
 そんなポルターガイスト現象の噂の正体が、この八千代だ。見た目は小学生だけど、頭の先からつま先まで純度百パーセントの怪異だ。幽霊ですらないらしい。
 この日照高校には七不思議がある。
 理科室の骨格標本は喋るし踊るし、B棟の四階のオカ研部室には魔女がいる。第二用具室のポルターガイストはボールで遊ぶ。噂の力が、彼女たちを本当に生み出した。
 だから海坊主もいたはずだ。プールなのに海坊主でいいのか、という突っ込みはともかく。
「海坊主ねえ、ここ数年は見てないなあ」
 キノコ型のチョコを鷲掴みにしてぼりぼりと砲張り、真夜子が持ってきた少女漫画の最新刊を読みながら、八千代は『プールの海坊主』について尋ねた私にそう答えた。
「付き合いあったの?」
「夏以外は窓から見えるんだよ、プール。だから春と秋の雨の日はよく喋ってた。お互い話し相手に飢えてるし」
 怪異たちには縄張りがある。私の隣の例外以外はそこから出る事はほぼない。
「雨の日?」
「夏以外でも水があるっしょ」
 雨の日だって大した水量にはならない思うんだけど、それでもアリなのか。
 そう考えながら窓を見上げた。天井近くに設けられた体育準備室の窓は横に細長く、斜めにほんのわずかにしか開かないようだ。雨の日に窓の隙間越しにおしゃべりに興じる二つの怪異……想像したらなんとなく素敵。
「でもアイツ水着のギャルの話しかしないからつまんなくて」
「あ、そう」
 妄想強制終了。
 そういう八千代だって、男子のいない場所では体育会系男子の話しかしないべさ。おかげで女子人気の高いバレー部主将の足がクサいという余計なことまで知っちゃっている。
「いつから出てこなくなったかなぁ。もう三年以上は見てないかも」
「三年前、か」
 結構前だと真夜子がたけのこチョコを食べながら顎を掻いた。
「増えることは少ないけど、減るのは多いからね、最近」
 意味ありげに八千代が私の隣に座る真夜子に言い返した。けど、彼女は素知らぬ顔でチョコをつまむ。
「減るといえば、ブーム全盛期には各トイレに花子が居たって話知ってる?」
「総勢何人だよ」
 そこまで行くとホラーではない。想像しただけで姦しい。
「でももう誰もいない。海坊主も花子も、生徒が噂しなくなったから」
 箱に残った最後のチョコを口に入れながら、八千代はきっぱりと言い切った。そして「安心デショ」と笑う。
 安心、確かに安心だろう。だけど何故か、寂しいと思った。怪異のいないプールやトイレ。それは普通のことなのに。
「吉乃ん。考えてることが顔に出てる」
 隣の真夜子に人差し指で頬をむにゅと突かれた。
「暗い顔しないで吉乃ん。これはヤチたちの宿命みたいなもんだよ」
 八千代が明るく続けた。元はと言えば彼女が妙な言い方したからなのに。
「そう。どうせ遅かれ早かれ、あたしに消された運命だ」
 真夜子――否、B棟四階の魔女は一切の揺らぎを見せない。いずれ学校の全ての怪異の力を取り込んで、学校外でも魔女として生きれるようになるために。
 私は友達として、それを応援している。けれど。
――彼女は八千代をまだ取り込んでいない。それに理由は、ないんだろうか。

「というわけで、ここ数年は誰も海坊主を見てなくて、もういないんじゃないかって」
 蛯子さんが一人になった昼休みの一瞬の隙を狙って、私は海坊主の件について報告をする。蛯子さんの他の友達の前でこの話をする勇気はなかったし、されても彼女だって迷惑だろう。
「そっかあ」
 意外にも蛯子さんは私の報告に対して、ほっとした、ではなく心底がっかりしたような顔で髪を掻き揚げた。「安心できない」と言った彼女にとって海坊主がいないことが安心だと思っていたので、その反応は予想していなかった。
「なんか、残念そうだね?」
 思わずそう尋ねていると、彼女はばつが悪そうに笑う。
「あー、うん。うち実は泳げなくてさ」
 その返事とがっかりした様子が頭の中でうまく繋がらず、私は首をかしげた。まさか海坊主を理由にサボりたかったとか?
 私の様子を見て、蛯子さんが続ける。
「姉ちゃんが溺れたとき海坊主が助けてくれたっていうから、プールあっても日照に来たんだよね。あ、うちの姉ちゃんも泳げなくって。カナヅチ一家なんだ」
 そのエピソード最初に言わなかったじゃない。と思ったと同時に、彼女の見た目からサボリなんて発想をした自分を恥じた。姿は校則違反でも、授業態度が悪かったなんてこと、なかったのに。
「そっか、いないんだ。うちも遇いたかったな」
 寂しげに言いながら、彼女は窓を、その向こうのプールを見た。
 そこにはもうすでに来週からの授業に向けてテントで覆われており、中の様子を窺い知ることは出来ない。けど私たちはそこに何もいないことをすでに知っている。噂はもう流れない。海坊主は消えたままだ。
 何か言うべきなのか迷って、すぐには思いつかなかった。そうしている間に蛯子さんの友達が来て、彼女は「じゃあ」と踵を返す。
「あ――あの、私泳ぐのは結構得意だから。何かあったら、代わりに助けるよ」
 自分でも何を言ってるんだ、と思った。彼女が仮に溺れたって、いつも一緒に居る彼女の友達たちが助けてくれるだろう。
 案の定、蛯子さんは一瞬面食らったような顔をしたけれど、すぐに笑った。
「なら安心。よろしく」
 私たちの短くて長い夏が、始まりつつあった。


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サークル名:押入れの住人たち(URL
執筆者名:なんしい

一言アピール
大体魔女だったり妖怪だったり魔女だったりするサークルです。
今回の話は新刊予定の「B棟四階の魔女」の一部をお送りしました。こんな感じに日高オカ研と魔女(予定)が七不思議とやりあいます。
つよいおねえさんMAPもやります!心当たりのあるおねえさんは名乗り出てください。

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