ひとりの青

 諸泉もろいずみがひとりの生徒に気がついたのは、背負っていたリュックサックをおろしたときだった。
 リュックサックは、とても重かった。中身は一眼レフカメラのレンズだ。リュックサックを押しつけてきた男は、目の前に広がる砂浜で、写真部の部員たちに追いかけられている。
 追いかけられている優男は、写真部の顧問であり、同期でもある音田おんだだった。
 諸泉は、防波堤のうえに立っていた。眼前に広がるのは、砂浜と、そして穏やかな波が寄せてはかえす海。波打ちぎわにはぽつぽつと私服姿の高校生たちが遊んでいたり、カメラをかまえていたりする。
 今日の天気は快晴。夏空に入道雲が浮かぶ、絶好の撮影日和だ。
 海の近くには研修施設として使える学寮があり、彼らは夏休みを利用して、合宿にやってきているのである。
 諸泉が気になった男子学生は、他の生徒たちとはなれたところにぽつんと佇んでいた。波打ちぎわのきわどいところまで足を進めていて、時折彼の足を波がさらっていく。
 気になったのは、彼がカメラを手にしてはいたが、かまえてはいなかったからだ。被写体を探しているようすもなく、ただぼうっと、遠くを見つめている。ただ、彼の茶色の髪だけが、ふわふわと風にそよいでいた。
 もしかすると、具合が悪いのかもしれない。面倒だなと思いながらも放っておくことはできず、諸泉は重い腰をあげていた。
 砂浜に足をおろすと、足裏にざくざくとした響きが伝わってくる。
「おい」
 諸泉が声をかけると、彼はびくりと身体をふるわせた。ふりかえった彼は、声をかけられたことに戸惑ったような目をしている。
 生徒の名を呼ぼうとして、彼の名を知らないことに気がついた。
「大丈夫か? えーっと、すまん、名前なんだっけ」
「……田波たなみです」
「田波か。具合わるいのか? ぼうっとしてるけど」
 田波の顔色は、白いようにも思えた。こんなに暑いから、熱中症にでもなったのだろうかと心配になるくらいだ。
 田波はいえ、と否定してから、急に目をみひらいていた。諸泉のうしろにある何かを見て驚いているらしい。
 そんなものがあっただろうか。諸泉が振り返ると、今まで立っていた防波堤と夏の空、そして空をゆったりと泳ぐ魚の姿があった。
 半透明の魚だ。マグロのように大きい。学寮に来てから時折みかける「何か」だ。今のところ害はなさそうだったし、何よりも諸泉と音田にしか見えないから、放っておいたのである。
「田波も、見えるのか」
「え……」
 諸泉が生まれつき持つ、人とは違うもの。不思議なものを見るという能力。諸泉も音田に会うまでは同じ能力を持つ者を見かけなかったが、ここにもいるとは。
 田波は、間抜けにも聞こえる声をあげていた。そこでようやく、彼の表情がはじめて見えたような気がする。
「せ、先生も、見えるんですか」
「ああ。俺だけじゃなくて、音田先生も見えるぞ」
「そう……なん……で……」
 田波は驚いたからか、それとも体調がさらに悪くなったのか、ついには座り込んでしまった。
「おい、ちょっとヤバそうだな。いったん寮にもどるぞ」
 立ち上がることができるか問いかけるが、田波はうずくまったままだ。本格的に体調が悪くなったらしい。
 諸泉は田波に背をむけて、かがみこんだ。おぶされと言うと、しばらくためらっていたが、やがてあきらめたらしく、背中に重みがのしかかってくる。
 せっかく重いものを捨てたのに、また背負うとは思わなかった。だが、今度の重みはそれほど悪くない。
 諸泉は砂浜を歩きながら、いまだ生徒たちに追われている音田へ声をかけた。
「音田先生! 寮に戻るんで、荷物おいてくぞ!」
「えっ? わかりましってうわーっ! その辺に転がすな! 溶ける!」
「知るか!」
 音田は防波堤に放置された荷物を見て、悲鳴をあげていた。すこし胸のすくような気持ちになりながら、彼らに背を向ける。
 海から聞こえる声が遠ざかるにつれて、蝉の声と足音、そして田波の息づかいがはっきりと聞こえてくるようだった。
「……すみません」
「何が」
「運んで、もらって……」
 耳もとで、苦しげな声が聞こえてくる。苦しげでもはっきりとした声色だった。
「気にすんな。ちょうど涼みたかったところだ。お前、いつから調子わるかったんだ」
「……さっき、急に」
「急にって、魚が見えたときか?」
 田波の答えはなかったが、耳元でうなずいているような気配があった。つまり、ぼうっとしているときは元気だったということだろうか。
「嘘つくな。さっきぼうっとしてただろうが」
「あれは、」
 田波はそれだけつぶやいたかと思うと、急に黙り込んでいた。沈黙の後、ちょっと考えてただけ、と気まずそうな声が聞こえる。声の響きには後ろめたさと、苦しさが、混ざっているように感じられた。
「ちょっとにしては、ずいぶんと深刻そうだな」
 なるべくさりげなく聞こえるように心がけながら、問いかける。田波は身の内に何かを抱えていることが察せられた。こういうとき、聞き出すことは難しい。
 音田だったら、もっと簡単に聞き出しただろうか。沈黙のなか、ぼんやりと追いかけられていた音田のことを思い出していた。
「……たいしたことじゃ、ないんです。どうしてみんな、あれが見えないのかって思っただけで」
「俺には見えるぞ」
「それは、びっくりしました……先生は、どうしてみんなに見えないのかって、思ったことは無いんですか?」
 田波の言葉は、切実なものを持っているようだった。きっと不思議なものが自分にしか見えないということで、何かあったのだろう。
 教師として、どういった言葉を返してやるのが良いのだろう。自分のことを振り返ってみるが、何かあったはずの過去は、ぼんやりとして思い出せない。
「どうだったかな。そうだったかもしれねぇけど……思いだせないな」
 嘘をいっても慰めにはならない。正直に話したが、教師として、なんてやつだと思ってしまう。
 田波は何を思ったのか、くすりと笑みをこぼしていた。
「なんか、先生らしいです」
「そうだろうな」
「さっき、海を見ながら思ってました。海は、ひとりと似ていて、先生たちは、この海の向こう側にいるような気がする。俺も、……そうなれるのかなって」
 それで、田波はぼうっとしていたのか。ようやく本当の彼が、見えたような気がする。
 海は孤独と似ている。
 田波は何を思って口にしたのだろう。だが、諸泉が孤独の向こう側にいる、という表現は、当たっているようだと思った。
 学寮の近くまできても、ふわふわと魚は泳いでいる。
 魚が限られた者にしか見えない光景は、あたりまえのものとして受け入れている。
 いつから、自然と受け入れるようになったのだろう。かつては田波のように、もがいていた時期もあったはずだ。いつからか、あきらめてしまったのだ。情熱も、すべて捨てて。
 ふわふわと泳いでいる魚が、ふと向きを変える。諸泉たちを見つけたようだった。
「あ、やべ」
 この世ならざるものに、目をつけられると面倒なことになる。逃げようと足を速める前に、魚が諸泉たちに向けて泳いできた。
 何とか避けようとしたが、それも叶わなかった。魚は田波の身体をすりぬけて、そして唐突に姿を消してしまう。
「田波? 田波!」
 声をかけるが、返事はない。どうやら気を失っているようだった。

 * * *

 研修施設として使われている学寮の部屋にある二段ベッドは、古びている。蛍光灯の白い光に照らされて、傷が目立っていた。
 二段ベッドの下に、田波は横たわっていた。未だ意識は戻らず、顔色はあまりよくない。
 しゃがみこんで様子をみていた諸泉に、音田が近づいてくる。
「どうだ」
「わからん。まだ目を覚まさねぇ。どんな影響があるのか……」
「何事もないと良いが……」
 音田は部屋の奥にある共有スペースへと向かい、絨毯のうえに腰をおろした。ため息をついた彼の表情はどこか暗い。
 暗い窓の外をながめる音田の顔は、昼間の彼とは別人のようだった。あれだけ明るい音田がそんな顔をするとは思わず、驚きがこみ上げてくる。
 田波が意識をなくすまえ、語っていたことが思い出される。
「田波も、俺たちと同じらしいぞ」
「そうなのか。まあ薄々そうだろうなとは思っていたが……こいつ、俺には何も言わないんだな」
 教師として失格だな、という呟きは、諸泉が思っていることと同じだった。
「音田は明るいからじゃないのか? 俺と違って意欲的だし」
 音田は、諸泉とは違う。頑張っても教師という仕事に熱くなれない諸泉とは違って、熱心に生徒たちと向き合っているのだ。
 自分とは違って遠いところにいる音田は、諸泉にはまぶしくも感じる。
「意欲的ねぇ。違うな」
 音田は諸泉の言葉に、唇をゆがませていた。
「ただ、明るいところにいれば、明るくなれると思っただけだ。だけど……結局はだめだったな。見かけだけだ。お前とそう変わらないさ」
 静かに語る音田は、今まで見たことのない暗さが宿っているようだった。生徒たちに追いかけられる彼からは、想像もできない。
 遠いところにいると思っていたのに、こんなに近いところにいるとは思わなかった。
 彼に、いったい何を見ていたのだろう。
「音田先生! いますか?」
 部屋の外から、生徒たちの声が聞こえてくる。音田は自嘲を引っ込めて、いつもの「先生」へと戻っていた。
 先生となった音田は、諸泉の横を通り抜けていく。扉に手をかける前、一度だけ振り返った。
「田波のこと、頼んだぞ」
「……ああ」
 諸泉がうなずくと、音田は廊下へと消えていった。遠ざかる声を背に、諸泉は田波へと向き直る。
 田波は、未だ眠ったままだ。
 彼が目を覚ましたら、何から話そうか。何に苦しんでいるのか、聞くことはできるのだろうか。
 心のどこかに火が点いたような感覚を覚えながら、彼の寝顔をながめていた。


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サークル名:秋水(URL
執筆者名:志水了

一言アピール
新刊として予定している現代ファンタジーものの過去編を書いてみました。テーマは重め、語りはライトなお話を書きます。現代・異世界ファンタジー中心。暗い過去や虚ろなものを抱えた少年少女やお兄さんお姉さんが悩みながらも歩く日常、非日常の話が多めです。

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