終焉

 綺麗な文字だった。内容はいたってシンプルだった。

“神様、助けてください”

これはこれは。嘘だったらタチの悪い嘘だ。
友人たちは、そんなものは信じるもんじゃないと嗤っているけど、何故だか読む手が止まらなくて。

“殺さないでください。連れて行かないでください”

午前零時。東京湾。酔いは一気に吹き飛んだ。
砂浜に流れ着いた、手紙の入った緑の瓶。海の生物が飲み込まなくてよかった、と思ってしまう自分が、可愛げないとも思った。友人たちはもう俺に飽きて、尋常じゃないテンションで医師国家試験合格の宴を引きずって騒いでいる。
俺は、今日、医者になった。なんてタイムリーなのだろうか。

“私の彼を、助けてください  袖浦そでうら診療所 朝比奈小苗さなえ

 ご丁寧に住所も書いてある。持っていたスマートフォンで調べたところ、確かに袖浦診療所は存在した。隣県の袖浦村。常駐医はいないらしく、医者の募集をしていた。その広告は何年も前から更新されていない。

 綺麗な文字の最後は、インクがすこし滲んでいた。
 涙、だろうか。

雪輝ゆき―!何してるんだよ!」
「なあ、病気って治らなかったら、どうなるのかな」
「何言ってんだよ。死ぬに決まってんじゃん」

 嘘かもしれないけれど、信じることにした。嘘だったら記憶から切って捨てればいい話だし、俺の脳が叫ぶのだ。これは、真実だと。
 彼氏さんよ、あっと少し待ってくれ。耐えてくれ。

 俺が、君を救える医者になるまで。

◇◆◇

「朝比奈小苗さん、いらっしゃいますか。昨日お電話した……」
「東京の……!」
「はい」
「少々お待ちください!さ……小苗さん!!」

 ゴールデンウィークを利用して、先輩と共に袖浦村を訪れた。袖浦村は太平洋に浮かぶ孤島の集落で、まずはフェリーに揺られ、さらに二時間に一回のバスに乗り込む。着いた先は、山と海に囲まれ田畑の広がる、想像通りの“田舎”だった。もう太陽が昇ってずいぶん経つのに、人っ子一人いない。でも、確かにここは袖浦村で、ここは二年前の手紙の主がいるであろう、袖浦診療所だ。
「雪輝君、手紙の主の彼はまだ生きているだろうか」
「生きている……ことを願います」
「診療所には連絡した?」
「はい、急患が入らない限り、いつでも空いているので来てくださいとのことでした」
「……僕もね、調べたんだ。この村の現状は、予想以上だ。常駐の医者がいないのはもちろん、若者も少ない。それがもう何年も続いている」
「そうらしいですね。その為に亡くなる方もいるそうで」
「その手紙が嘘だったらどうするの?」
「その時はその時です。でもその可能性は低いですよ。実際に朝比奈小苗という人物はいたんですから」
 
 五分ほど経ち、受付の奥から、清楚な身なりでナースキャップをした小柄な女性が現れた。あの手紙が本当だと、その顔を見ればすぐにわかる。

「奇跡が……本当に、奇跡が……」

真っ赤な目をして、栓が壊れたように涙を流す女性。こちらもつられそうな程、拭っても拭っても流れる涙が、手紙の事実を物語る。

「朝比奈小苗でございます……」

 二年前のあの日、俺と彼女の人生は、確かに交錯していたのだ。

「二年前の手紙を読んでやってきました。遅くなり申し訳ございません。私立日向大学医学部附属病院の、にのまえ雪輝と申します」

◇◆◇

「まさか、東京に流れ着くなんて、あの瓶……」
 出されたお茶でのどを潤しながら、落ち着いた朝比奈さんの話を聞く。黒髪をクリップできちんと留めて、背筋をピンと伸ばす彼女は、二十七歳にして村唯一の看護師らしい。普段病院で見ている看護師たちの殆どはナースキャップなんてしていないから新鮮で、二年の時を経て初対面した彼女は思ったよりも若かった。
「彼は前村長の息子で、私とは幼馴染なんです。元々小さな漁村ですし、家も隣で同い年で。中学校の時に彼から告白されて、付き合いだしました。三年前、村長が海難事故で他界され、二年前の夏に彼も倒れて……」
「……現在、彼は?」
「この診療所には入院設備がないので、自宅で静養しています。数か月前まで、車いすで海の潮風を浴びたりしていたのですが、今は月に数回くる隣町の常駐医と、私の往診を頼りに生きています」
「病名はついていますか」
「原因不明の奇病、としか。見た目は変わらないのに、身体が加速度をつけて衰弱していく……もう、歩くこともできません。たかだか看護師の私には、何も力になれなくて……あの瓶は賭けでした。誰に相談したらいいのかもわからなくて、保険をかけておかないと私が参ってしまいそうで」

 誰か、心の優しい人がいたら。
 誰か、お金を貸してくれる人がいたら。
 誰か、名医に辿り着けたら。
 誰か、愛する彼を助けてくれたら――

 希望は保険の代わりになる。もしかしたら、もしかしたらと思えば、前を向いていられる。人殺しと揶揄されることが多い俺たちも、それは充分に分かっていた。だからこそ、簡単にかけられない言葉がある。

 諦めないでください、頑張ってください。

 言葉は時に、凶器になってしまう。患者はいつだって頑張っているのだ。
彼女はそれを、二年間ずっと背負ってきた。村で立った一人の医療従事者である彼女が押し殺そうとしていた不安は、相当のものだっただろう。

「彼に、会わせていただけないでしょうか」
「あ、ええと……」
「失礼、一の上司の坂本と言います。僕らは、病の伏せる彼と、心の傷を抱えるあなたを全力で治療するために来ました。一は優秀な医者です。僕が保証します」

◇◆◇

「こんな姿で……挨拶もできずに申し訳ないです」
 朝比奈小苗に連れられて訪れた先は、村を見る限り一番立派な家屋だった。しかしひと気がなく、木の表札に深々と彫られた“間宮”という文字も、潮風にさらされ続けているせいか、家屋に以上に古めかしかった。
「先生、彼が間宮とおる……私の彼です」
 鼻からチューブを通し、栄養剤の点滴を受けている男――間宮透も、それに合わせて頷いた。
「東京から参りました、私立日向大学医学部附属病院の一と申します。こちらは、上司の坂本です」
「そんな、有名な病院から……」
「早速ですが、診させてもらってよろしいでしょうか。小苗さん、手伝っていただけますか」

 診察は、問診を含めゆっくり行ったが、終わるのに三十分もかからなかった。
 医学書に書かれていない奇病。すべての臓器が、異常なスピードで老化されてゆく。このままでは間宮透は――そういう状況だった。
 まだベテランとは言えないが、医師として、先輩について色々なことを経験してきた。しかし、新たな症例を目の前に、俺たちには一つの決断しか残されていなかった。
村に最新の機器はない。脳みそをフル回転させて、様々な可能性を模索しても、やはり答えは一つしかなかった。

「東京まで、彼の体力が持つとは思えません。お願いします、手術するなら村で……」
「ただ切ればいいというものじゃないんです。体力が少しでもあるうちに、最新の医療機器を駆使して手術するより延命の可能性は……ない」
「……村に来た医者なんていつもそうよ。了承もなしに、自分の病院に転院させて、切って縫って終わり。緩和ケアやら介護やらを放って、アフターケアなんて考えもしない。私は、ボロボロで帰ってきて旅立った患者を何人も看取ってきた」
「でも、我々は以前の医者とは違う。あなたが希望を求めて海にはなった瓶を、確かに受け付けました。必要経費は病院と交渉します。何度も言いますが、執刀医の一はあの若さで教授陣に一目置かれる優秀な医者なんですよ」
「話にならないわ。その一はどこにいるの?!」
「今、間宮さんと話しています……」

◇◆◇

「雪輝先生、何で、病院辞めちゃうんですかあ?」
「兄貴の命令なんですよ。なに、もしかして俺に気でも……」
「そんなわけないじゃないですかあ。雪輝先生より内科の坂本先生のが好き」
「その程度だよね、俺なんて」
 春を迎え、俺は唯一の家族である兄貴の命令で病院を去ることになった。一身上の都合――兄貴が結婚を機に、無医村に引っ越すことになったからだ。
 今までの稼ぎを全て使い、小さな村の医者として、全てを捧げようと思ったのだ。
「いなきゃいないで、寂しいんですよお」
「その、体のラインを見せるようなのはやめた方がいいよ。ナースキャップ位被ってみたら?」
「あんなの、被っても被らなくてもいいものじゃないですか」
 あー、仕事仕事。そう言って去っていった彼女を追うことはない。出発は明日なのだ。
「あ、一つ報告です」
「何」
「手紙です。親展のくせに内容は公文班が確認しちゃったんですけど、朝比奈って方から」
「内容は?!」
「“彼は最期まで安らかでした。ありがとうございます”って」

「……そう」

 東京にきても、生存率が低いのなら――
 間宮透は、村での生活を選んだ。朝比奈小苗も、彼の介護のために診療所をやめて間宮の家で同居生活を始めた。あの小さな村の、海から離れることはできないと。
 愛した人が奇跡を信じた海を、最期まで脳裏に焼き付けたいと。

 丸腰の俺たちには何もできなかった。でも、彼らは弱い命を力強く燃やして、俺たちを見送った。
人の命は美しく燃え、酷いほどあっけなく散るものだ。だからこそ貴いのだろう。

◇◆◇

『小苗、ありがとう。俺は、お前の傍で生きていきたかったけれど』
『今日からはずっと一緒よ。私が、最期まで一緒にいる』
『とか言って、お前が先に逝ったりして』
『嫌な冗談』
『御免、御免。なあ、小苗。俺はこの村の海が好きなんだ。親父には申し訳ないけど、波は去っても帰ってくる』
『そうだねえ……』
『もし俺が逝ったら、海に散骨してほしい』
『法律調べなきゃ。ダメだった気がする』
『少しくらいならいいだろ。この砂浜でもいいや、この村の一部となって、お前を見守りたい』
『……気障だね。恋人不幸のくせに』

『小苗、愛してるよ』
『……私もだよ、ばーか』


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サークル名:虹色彗星堂(URL
執筆者名:琴木緒都

一言アピール
琴木緒都(【コトノハ】-オフライン)と長谷川真美の合同サークル“虹色彗星堂”です。作風は正反対ですが、趣味嗜好は似ている不思議なサークルです。各個人誌ほか合同誌も用意しております。お気軽にお立ち寄りください★

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