有明に浮かぶ星

 曇天の空を背景にして、波が浜辺に打ち上げられる。その波は砂や貝などを巻き込んで海に戻っていった。
 繰り返されるその様子を横目で見ながら、黒色のローブを羽織り、フードを被った人間が浜辺を歩いていた。しばらく進むとその者は唐突に立ち止まり、フードを脱いだ。長い黒髪が零れ落ちた女性は目を細めて浜辺を見る。
「人……?」
 流れ着いたものを認識するなり、波打ち際に向かって歩き出した。急いで進むと、人の顔が見えてきた。仰向けで流れ着いていたのは、金髪の整った顔の青年。女性と同じ二十歳くらいに見えた。激しい海の中を流されたらしく、顔や手だけでなく至る所に痣や傷が見られた。腕は奇妙な方向に曲がっている。
 女性は膝を付けて、こわごわと彼の胸に手を当てた。弱々しいが鼓動は打っている。生きているという事実に、ほっと一安心した。
 ふと、青年の首から下がっている、開きかけたロケットペンダントに目が向いた。中にはぼろぼろの絵と大輪の華を咲かせた国章が描かれている。
「……理由もなく流されないわよね」
 音をたてて、ロケットペンダントを締めた女性は、自分の髪を一本に縛った。うなじの脇には薄っすらと切り傷が見える。その部分に軽く手を触れてから、女性は青年に手をつけた。

 * * *

 女性が青年と出会って一週間後、彼は女性が住まう小屋で重い瞼を開いた。女性がいない間に起きた青年は、ぼんやりと仕切りのない部屋を見渡していた。天井から干された薬草、草や液体が詰まった瓶などを眺めている。
 外から戻ってきた女性は、目覚めた青年に近づいた。
「お目覚めになったのですね」
 表情を堅くして言うと、青年は焦点の合わない目を向けてきた。
「貴女は?」
「私は……ディーナと申します。浜辺にいた貴方を勝手ながら介抱しました」
 青年は包帯で巻かれた自分の全身を見る。
「僕の……ありがとうございます」
 ディーナは一定の距離を保って立ち止まった。
「傷は痛みますか? 流されていたようですが、何かあったのですか?」
 青年は右手で軽く頭を押さえて目を瞑る。逡巡すると、首を横に振った。
「……すみません、それがわからないのです」
「え?」
 目を開いた青年はディーナの緑色の瞳を見てきた。
「目覚める前のことが思い出せないのです。誰かと言い合いになったかもしれないし、足を滑らせたのかもしれない。――所持品を見れば思い出す可能性があります。何かありましたか?」
 ディーナは呆然と立ち尽くす。彼に呼びかけられると我に戻った。
「所持品についてはあとでお見せします。今は用意するものを飲んで、休んでください」
 コップに入れた白い粉をお湯で溶かし、それを持って彼に寄った。
「これは?」
「体を温める飲み物です。かなり体力を消耗しています。まずは体調を戻すことに専念しましょう」
 コップを手渡すと、青年の手が僅かに触れた。
「ディーナさんでしたっけ」
「はい。……私は貴方のことを何と呼べばいいですか?」
「好きに呼んでください。名前も忘れてしまいました」
 頼りなさげに微笑まれる。ディーナは彼の何も下がっていない首もとに目を落とした。
「ではシゲイルと呼ばせていただきます」
「素敵な名前ですね、ありがとうございます」
 屈託なく笑みを浮かべる姿は、何も影を背負っていない少年のようだった。

 * * *

 シゲイルの治療をしながら、彼と共に過ごすことになったディーナは、家事をするとき以外は変わらず薬草をいじっていた。日中は森に薬草を摘みに行き、夜はそれらを乾燥や抽出、すり潰したりして薬を調合していた。
 一連の流れをベッドの上で眺めていたシゲイルは、興味深そうな表情で聞いてきた。
「その液体はどんな効能があるの?」
「これを飲めば風邪の症状を和らげてくれるのよ。村でよく売れるの」
「凄いね、雑草みたいな草から薬を作るなんて」
「これくらい経験を積めば誰でもできる」
 液分を抽出したものを瓶に入れ、蓋をする前にディーナは手をかざした。そして軽く瓶の頭を叩いた後に蓋を閉めた。
「ねえ、ディーナ、どうして僕を助けたの?」
 ディーナは振り返り、不思議そうな目で見てくる青年を見返した。
「……傷ついている人を放っておけなかったから。幸いにも医術に関しては多少知識があったの」
「そうなんだ。じゃあ僕は運が良かったんだね」
 表情を緩められて言われる。彼の顔を見て胸の高鳴りを感じたが、すぐに背を向けた。そして食事の支度をするために、真っ赤な丸い野菜を手に取った。

 * * *

 乾燥した薬草や多数の薬ができあがると、ディーナはそれらを籠に入れて近くの村に向かった。
 森の先にある小さな村では、老人や女子供が中心となって生活をしている。成人した男性もいるが、負傷して満足に動けない者ばかりだった。
 ディーナは村の一角にある薬屋に行くと、店主の女性は快くすべて買い取ってくれた。
「いつもありがとう。この軟膏を塗ると傷の治りが早くなるって評判だよ」
「そうですか。では引き続き作りますね。……イルス国とウェルス国の戦況はどうでしょうか」
 女性は机の上で肘を突き、手に顎を乗せて溜息を吐いた。
「良くはないね。国境にある町は壊滅状態、あと一歩で落とされるそうだ」
「止められる要素はないのですか?」
「……イルス国の第一王子は戦に積極的だが、国王は懐疑的だそうだ。だから国王に強く訴えれば、もしかしたら止められるかもしれない」
「なるほど。あとは交渉の内容次第ですかね」
 女性は頷き、顔を近づけて声を潜めた。
「何を考えているかはしらないが、これは国同士の話だ。巻き込まれたディーナには関係ない。ディーナが持っている力が再び公になれば、あの王子が欲してくるかもしれないよ?」
「そうでしょうか。私のような田舎娘を欲する理由など――」
「ディーナ」
 女性に名前を強く呼ばれた。ディーナは口を閉じ、一歩下がる。
「……では、またできあがりましたら、お届けにきます」
 声を掛けられる前に店から出ていった。

 買い物を終えて小屋に戻ると、シゲイルが笑顔で出迎えてくれた。
「お帰り!」
「た、ただいま。どうしたの、そんなに元気で……」
「いつも通りだよ?」
「そう……。今日は収入があったから、お肉を買ってきたの。早速支度を――」
 シゲイルから離れようとすると、突然腕を掴まれて彼の胸元まで引っ張られた。衝撃で籠が床に落ちる。彼の腕の中に納まったディーナの顔は一瞬で真っ赤になった。
「ちょっ、何……!」
「ディーナが無理して笑っているように見えて……。村で何かされたの?」
「何もされてない。ただちょっと気になる話を聞いて……」
「どんな?」
 青年の腕の中で身動ぎながら、ディーナは顔を上げる。青い瞳とかち合った。凛とした顔つきの青年に包み込まれている。彼の顔を見て、涙が溢れ出そうになった。それを堪えるかのように、彼の胸元に顔を埋める。するとそっと背中を撫でられた。
「無理して言わなくていいよ」
「……ごめん」
 彼の優しさに甘えるようにして、ディーナはしばらくそのままの状態でいた。

 * * *

 二人の心の距離が少しずつ近づいてきた頃、ディーナは薬屋の店主から戦に関する興味深い話を聞いてしまった。数ヶ月前のある戦以降、相手国の第三王子が行方不明になったというものだ。
「第一王子とも対等に話せる反戦派の人間だから、国民も大きな期待を向けていたらしい。それで行方知れずとなった今、第一王子の一派が殺したんじゃないかという噂が漂っているのさ」
「だから第一王子に疑念を持つ者が多くなり、戦の進みが遅くなっているのですね」
「おそらく。だが、依然として第一王子は力を持っている。今の力量であっても、この国を落とすのは難しくないだろう」

 ディーナが小屋に入ると、シゲイルが振り返って挨拶をしてくれた。ちょうど煮込み料理を作っているときのようだ。彼の体力はだいぶ回復したが、村に行く体力は戻っていないため、こうしてディーナが外に出ているときは、食事を作ってくれている。当初は彼の濃い味付けに慣れなかったが、徐々に美味しいと感じるようになった。
「今日も美味しそうね……」
「ありがとう。荷物でも置いて、くつろいでいて」
 促されるがままに、荷物を置いていった。
 食事を済ませたディーナは自分用の布団を床に敷こうとすると、シゲイルに後ろから抱きしめられた。一瞬体が硬直する。
「今晩は一緒に寝ないか、ディーナ。何もしないから。ただ君の傍にいたいんだ……」
 彼の手に触れると、さらにきつく抱きしめてきた。温もりが直に感じてくる。大切に想ってくれることが切々と伝わってきた。
 気づいていた、この人がいつしか大切な存在になっていたということを。
 大切だからこそ、優しくて他人想いの青年には、いつまでも笑顔でいて欲しい。
 決して失いたくはない――。
「……わかった。寝るだけだよ」
 温もりを傍で感じるだけ。それ以上の感情を持ち合わせて先には――進まない。

 夜明け前、ディーナはすぐ近くであどけない顔で寝息をたてている青年を眺めていた。彼は言ったとおり、一緒の布団に入っても手は出さず、談笑だけで終えていた。その実直さが可愛らしく、逆にディーナが抱きしめたくなるほどだった。
 彼に気づかれないよう布団を抜け出し、部屋の奥から布袋を取り出した。袋の中には彼が流れ着いていたときに所持していた物と服がしまわれている。そこからペンダントロケットを取り出し、彼が寝ているベッドのすぐ傍に手紙と共に置いた。
「今まで隠していて、ごめん。記憶を取り戻して欲しくなかったの。でもいつかは思い出すでしょうね。――私はウェルス国と貴方の未来を守るために行ってくる。幸せになってね、さようなら」
 そして彼の頬に口づけをした。
 やがてディーナは支度を手早くすると、杖を片手に有明の空を見ながら小屋から出ていった。


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サークル名:桐瑞の本棚(URL
執筆者名:桐谷瑞香

一言アピール
成長、恋愛、戦闘などの要素を含んだファンタジー小説を執筆。大長編冒険ファンタジー『魔宝樹の鍵』、少年少女の成長物語『宝珠細工師の原石』シリーズ、技術屋が奮闘する『空を彩る追憶の華』を発刊。
今回のアンソロの完全版は、テキレボ7新刊のファンタジー短編集に収録予定。悲恋になるか否かは今後の作者次第です。

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