海をつくる子供
僕が暮らしているのは、あたり一面、山と畑が広がる村だ。
日が昇るとともに両親やきょうだい達と畑仕事に勤め、日が暮れたら眠る日々の繰り返し。村の外に出たことはなかった。
そんな僕の唯一無二の楽しみは、時折村にやってくる行商人の話を聞くことだった。
彼は村で入手しづらい物たちを遠くの街から仕入れ、村で取れた農作物と交換して生きていた。
大人たちは商人をよそ者だと言って、一定の距離を置いていたけれど、僕らは村の外のことを知りたくて、彼にたびたび話をせがんだ。
「お店屋さんの迷惑になるでしょ」
と、母に怒られたこともあったけれど、商人は話好きな人だったのか、大人たちの目に触れないところで、快く僕たちにいろんな話をしてくれた。
商人からは、大きな街の話、雪が降る村の話などを聞いたけど、僕が気に入ったのは、海の話だった。
「海はね、川よりもずっと広くて、たくさんの水で満たされているんだ」
と、商人は話してくれた。
「どれぐらい広いの?」
「うーん、村の周りの山や畑よりも、ずっとずっと広い」
「そうなんだ!」
僕が質問をすると、彼は丁寧に答えてくれた。
村よりも、ずっとずっと広い場所がある。それが、僕をわくわくさせた。
「それにね、海はなめるとしょっぱいんだ」
「塩が入っているの?」
「そうだよ」
「すごい!」
海のない僕らの村では、塩は貴重品だった。だから、塩水で満ちた海は、とても不思議で仕方がなかった。
「そして、海にだって、いろんな生き物が住んでいるんだ」
行商人は砂に、木の棒で海の生き物を描く。
「これがヒトデで、これがくらげ。こっちはワカメっていう草だよ」
星型の生き物やお椀をひっくり返したような生き物、ぐにゃぐにゃと曲がった草。商人はそれぞれの絵に指を差して、生き物がどんな名前なのかを教えてくれた。見たこともない生き物が暮らしているという話が、海をさらに心惹かれるものとした。
そんな話を聞いてしまったら、海を見てみたいという気持ちが頭の中にいっぱいだ。だけど、考えて僕に出来そうだったことは、ただ一つ。
「僕たちで海を作ろう!」
と、村の子供たちを集めて、提案することだった。海は村からずっと遠いと商人は言っていたから、見に行くのは難しかったし、一人で大きな海を作っていては、らちが明かない。そして何より、みんなと楽しみを分かち合いたかったからだ。
「いいねいいね!」
と、誘いに乗ってくれる子もいれば、
「本当に作れるの?」
と、疑いを隠せない子もいた。
「できるもので作ってみるさ。協力してくれる?」
そう僕が背中を押したところ、十一人の子供たちが協力してくれた。
「塩なんて盗んだら親に怒られるし嫌だ」
と主張する兄には、
「塩がないと海じゃない」
と反論した。けれど、
「どうなっても知らないからな」
なんて吐き捨てて兄は帰ってしまった。けれど、彼にとって面白くないなら仕方ない。残った子供たちと僕とで、役割分担をした。
体力自慢の子には、川での水くみ。狩りの上手い子には、魚捕りをお願いした。
想像力豊かな子には、海の設計。辛抱強い子には、砂を集めて、海原を作る役割をお願いした。
僕はというと、こっそり塩を家から持ってきた後、海の生き物に似た石を探したのだけど、なかなか見つからなかったので、木で貝やヒトデの形を彫ることにした。手先が器用な子も、僕と一緒に生き物を作ってくれた。
海にする池が出来上がったら、水と塩を注ぎ、砂浜の形を整える。魚を入れて、木で作った貝やヒトデを並べて、僕たちの海が完成した。
「出来た!」
「やったあ!」
僕と子供たちは皆、手を取り合ったり、高く万歳をしたり、各々の形で喜んだ。
海は中に入って遊べない大きさだったけれど、砂浜やそこに置かれた木彫りの生き物、海の中の魚を眺めるだけでも満足だった。
だけど、その喜びは長く続かなかった。
海に放った魚は、だんだん泳ぎが弱々しくなって、死んでしまったからだ。
「どうして魚は死んじゃったの?」
優しい子が悲しげに問うと、
「ここの魚は、海の水の中では生きられないのかもしれないね」
と、賢い子は言った。
魚にはごめんなさいと手を合わせてから、家に持って帰って食べることにした。食べられる魚だったし、魚がちゃんと天国に行くためには、それが一番だと思ったからだ。
けれど、家に帰ると、
「なにバカなことしてるの!」
と、塩を持ち出して、海に入れたことを母にこっぴどく叱られたため、死なせてしまった魚もろくに味わえなかった。
「ほら見ろ」
と、兄も怒りを通り越してすっかり呆れていた。
一方で僕は、彼らの説教のかたわら、川の魚は海で生きられるのか商人に聞いてみればよかったと、食事をしながら考えていた。
かといって、僕の心にあったのは後悔だけではなかった。
自分たちで出来ることは何か、アイデアを出し合うことが楽しかった。みんなで海を作っている最中は、とてもわくわくした。
だからいつか、本物の海を見て、もっと色んなことが知りたい。
密かな夢を思い描くと、母に怒られてしょげてた気持ちも、すっかり消えていた。
***
それから数年がたち、背丈も伸びて声も低くなった頃。支度を進め、旅に出たいと宣言した僕は、両親と延々と喧嘩した末に村を飛び出した。
始めの目的地は、もちろん海だ。街道を歩き続けて十日過ぎたころ、僕は生まれてはじめて海を目の当たりにした。
あたり一面に広がる、深い青。その手前には、明るく柔らかな色の砂が広がる。
昔憧れた行商人の話が本当で、話で聞いたことをこの身で確かめられて、僕の心はすっかり震えていた。
砂浜で、貝殻を拾う。生き物がいないか探してみる。海に膝まで浸かってみて、塩水の感覚に触れてみる。大きな海と比べたら、とても小さな経験だったけど、それでも海には真新しいものたちがたくさん散らばっていた。
例えば、磯の香りや波のさざめく音、浜辺の砂を踏みしめる感覚は、村にいては味わえなかっただろう。香りの作り方を僕は知らないし、波がどうして行ったり来たりしているかもわからない。海の砂は、村の砂よりも、ずっとざくざくとしていた。よく見たら、貝の欠片のようなものが混じっていたから、それもあるのかもしれない。
本物の海に比べれば、僕らが作った海はずっとちっぽけなものだった。けれど、それはかつての僕らに出来る全てだった。
だからこそ、故郷の子供たちにはもっと広い世界を夢見てほしい。旅路でしか見られないものを見て、憧れた人のように、いつか彼らに旅の話を伝えられたらいい。新たな夢を思い描きながら、僕は浜辺を後にした。
サークル名:たそがれの淡雪(URL)
執筆者名:夕霧ありあ一言アピール
テキレボ7にてイベント初参加の、出来たてサークルです。本作は独立した話となっております。普段は、事情を抱えつつも頑張る人たちが織りなす西洋風ファンタジーを書いています。新刊は、年下王子と従者魔女の恋愛ファンタジーの予定です。