盆踊りの表側で

♪ぽ~にょぽ~にょ。
魚の子の曲が終わると、本部のマイクと繋がった会場へ設置されたスピーカーから
「さあ! 次はサザエさんだよ!!」
魚屋のおじさんのような、活きの良いおっさんの声が流れた。
(海繋がり、か)
私は内心で苦笑しながら、先を行く先輩である中年女性の背中を追った。
ここは盆踊りの櫓の上である。地元の医療法人や不動産会社や飲食店などの文字が印刷された、青・赤・黄……色とりどりの提灯が、これでもか、というぐらい周囲を覆っている。       
櫓の下へ目をやると、子供らが懸命に上を見上げている。サザエさんは今年に初公開の盆踊りだが子供は物覚えが良く、側でアタフタしている母親や父親をよそに、踊りのコツを次々と掴んでいく。
櫓の上で踊っているのは7人で、先頭は神楽会という踊りの会主を務める私の母だ。
最先端で踊る日舞の師匠と、半ダースで踊る先輩の会員らと、中途半端な数で最後尾を踊るアッペンデックスな私。
二つ紋の水色に染められた浴衣は落ちついた色合いだが、こう数が揃うと嫌が応うでも目立ち、サザエさんの曲が終わると、水色のさざ波のような群れが櫓の上から降りて行く。                         
代わりに別の会の面々が、きよしのズンドコ節が流れ始めた櫓へ登って行った。
消防団の青年が叩く太鼓の音が力強く会場へ響く。
会場の隅へ設置された本部のテントへ戻ると、町内会のご婦人方が
「こちらへ」
私達の席を用意してくれ、母が椅子へ座ると会員らも倣った。昨年までは祖母が真っ先に座ったが、大病を患い今は入院をしている。
ご婦人方の一人がポンッと勢いよくビール瓶の栓を抜き、テーブルへ並べられたプラスチックのコップへ注いでゆく。
「優子ちゃんはジュース?あ、もう呑めるんだっけ」
世話好きな先輩がビールの入ったコップを渡してくれ
「有り難うございます」
私は丁寧にお礼の言葉を述べた。
「暑いねぇ。飲んだビールが汗になっちまうよ」
毎夏に聞く別の先輩のセリフを聞きながら、生ぬるいビールを口にする。
「優子ちゃんは入って三年だから二十一歳?」
また別の先輩の言葉に頷いた。
「早いわ、私も年を取るわけだわ」
そう、神楽会へ入ってから三年が経つ。「今は女の子も学を付けるべきだ」と教育熱心な父の方針で四年制の大学へ入るまでは、入会を許されなかったが、春には母親の師匠である祖母から試験を受けた。結果を報告された家元さんが認めて下されば、流派のお免状と銀扇ぎんせんを頂ける。最低で三年間は踊りを習い、基礎を身に付ければ頂けるお免状で、  思えば長かった年月だ。三十年前に祖父が老衰で亡くなると、専業主婦をしていた祖母は
「これからはやりたかった事をやるわ」
高らかに宣言をすると日本舞踊を習い始めた。周囲の
「長続きしないだろう」
という予想を見事に裏切り、十年目に師範代のお免状を頂き、会を持つまでになった。お嫁入りをした母も、私が三歳の時に祖母の弟子になった。
一人っ子だった私は、それから孤独な日々が始まった。稽古で多忙な母親は保育園のスクールバスの送り迎えもできず、園の計らいで自宅の前で止まったバスに一人で乗った。夕方になり帰宅をし誰も迎える者のない家で、父が買い与えた知育絵本を読んで過ごした。  
小学校の入学式は住む区で開催された文化協会の舞台と重なり、母ではなく父が式へ出席をした。華やかなツーピースとジュエリーと、煌びやかに着飾った母親達の中で、地味な色合いをしたスーツの父親は、はっきり言って浮いていた。交流的な祖母は自分の住む区だけではなく、市の文化協会でも副理事を務めており、また老人ホームの慰問などの活動にも熱心で、ほぼ毎週末に何かしら舞台があった。その度に母も駆り出され、私は一人きりの週末を過ごした。土日祝日も関係のない仕事をしていた父親は留守がちで、母が作り置きをしたカレーや煮物を電子レンジで温め、保温機能の付いた炊飯ジャーからご飯をよそい昼食を摂った。おやつの時間になるとこっそりホットケーキ(母は牛乳と卵とホットケーキミックスを、大量に買い置きしていたので、気付かれる事はなかった)を焼いて食べた。
「♪ぐりぐらの、美味しいケーキ」
自己流の鼻歌を歌いながら焼いていたが、よく火事など起こさずに済んだものだと思う。
焼き方を教える人が誰もいなかった為に、生焼きだった時もあったが、幸いにもお腹を壊す事は無かった。小学校へ上がると、父が勝手に契約を結んだ通信教育が二つあったので、 放課後はそれらをこなして一日を過ごした。たまに電話が鳴って、踊り関係の連絡が留守番電話へ吹き込まれるのを聞いた。クラスメイトが遊びに来たが、父親の教育方針でテレビを見る事も許されず、お人形や人形セットなども買って貰えなかったので
「ゆうちゃんちって、つまんない」
そう言い放ち来なくなった。
祖母が主催する発表会へ、夕方の宴会がある為に会場へ連れて行かれた時があったが
「節約の為に」
と母がスーパーで勝手に選んだ、一番に安い一袋で五十円のキャンデイを手渡され、それを舐めながら会場の探検ごっこをして一日を潰した。当時は祖母が会主だったのでその手伝いや、会員らの面倒や、自身の舞台で私の存在を構っていられなかった母から放置されたので、昼時には
「お腹が空いたな」
あんず飴・いか焼き・射的・おめん・かき氷・かたぬき・金魚すくい・こんぺい糖・スーパーボールすくい・ソースせんべい・たこ焼き・飲み物・ハッカあめ・ヨーヨーつり・わたあめ……
早い桜祭りが開かれている、会場の外にある公園へ並んでいる屋台を、ぼんやり眺めた。発表会が終わり片付けなど諸々を終えてから、やっと私の存在を思い出した
「優子!」
母の声がした。あんたはどこをほっつき歩いているのよ、などと小言を聞かされる。
足早に歩く母の後を必死で追うと、宴会の会場へ辿り着いた。
春野菜のサラダ・桜鯛などの盛り合わせ・桜海老などの天婦羅・伊勢海老のお吸い物・お新香・御飯・道明寺……
ご馳走が並べられたテーブルが置かれた、広い畳の部屋では、墨色に染められた正絹の着物へ、満開の桜の絵が描かれた着物を纏った祖母が上座に鎮座しており、私は母の指示で末席に座らされた。
祖母の
「皆さん、お疲れ様でした」
から始まる長い挨拶の後に、やっとご馳走にありつけた。空腹だったので周囲で談笑をする大人たちをよそに、目の前にある物から平らげていった。大人たちがビールや日本酒でほろ酔いになった頃にお開きとなった。会員らを挨拶しつつ送り出した祖母と母は、私を連れて帰途へついた。祖父の遺した土地に、祖母が一人で住む古い家と、父が建てた新しい平屋とが建っている。
「お休みなさいませ」
疲れを感じさせない微笑みを見せると、祖母は家へ入って行った。
「ああ、疲れた」
家の玄関ドアを開けるなり、母が大きな溜め息を付いた。
「お帰り」
居間でテレビを見ながらゴロ寝をしていた父が言った。私は風呂場へ直行すると、給湯器のスイッチを入れた。
「俺は働いているんだ」
父は家事を一切しない人だ。台所でシンクに入れられたままの、食器と鍋を業務用の食洗器へ入れスイッチを押した。そして玄関へ戻ると、母の風呂敷包みを稽古場へ運んだ。母は稽古場へ貼られた大きな鏡の前で着物を脱いでいた。帯締めや帯や帯揚げや紐をほどくごとに、母の中に張りつめていたものもほどかれていく。母は青海波の浴衣を仕立て直したワンピース姿になると、和装ブラジャーや肌着や裾除けや足袋を洗面所へ持って行った。蝉の抜け殻のように残された、表地が藤色で裏地が桜色をした袷の着物を、見様見真似で覚えた畳み方で私は畳んだ。稽古場へ戻った母は黙ってそれを受け取ると、風呂敷へ包み玄関へ置いた。明日にクリーニング店へ持ち込むのだろう。
明日の小学校の準備を思い出し、慌てて自分の四畳半ある和室へ戻った。ランドセルの中味を確認しながら、算数の宿題を済ませていない事に気付き、学習机へ向かっていると、父が一番風呂へ入る気配がした。亭主関白を自称する父は、一番風呂でないと気が済まない。    
 宿題を終える頃に、風呂からあがった父と入れ替わりに母が入った。明日の着替えを取り出そうと、押入れを開けると空っぽだった。居間へ行き片隅で山積みになっている洗濯物の山から、長袖Tシャツとジーンズとショーツと靴下を発掘した。母が洗濯物をきちんと仕舞っている姿を、見た事は無いのでいつもの事だった。洗濯だけではなく、掃除などもしている姿を見た記憶が無い。辛うじて食事だけは欠かさずに作り、食器洗いは私がする。母が家事や家族や家庭の事を放棄してまで、全てを注ぎ込む踊りとは何だろう。私の脳裏に発表会でチラッと見た母の踊る様が浮かんだ。
――あの人は誰?――
知らない人が踊っていた。
「優子ちゃんは踊りが上手ね」
ふいに先輩の言葉が耳に入り、回想から私は我に帰った。謙遜の言葉を口にしながら、当たり前だと思う。先輩らは稽古場でしか稽古をしないが、私は毎晩に稽古をしているからで、稽古場は両親の寝室の隣なので、ばれないよう自分の部屋の窓を鏡にして稽古をする。
深夜の窓に映る私の顔は気のせいか、あの時の母親の顔と似ている気がする。
「お祖母ちゃんとお母さんに憧れて、踊りを習っているのね」
「踊りが好きなのね、血筋だわ」
先輩らの言葉にアルカイックスマイルで返事をする。
憧れでも好きでもない。ただ、金扇と名取りと進み師範代になり、母親と対等の立場になった時に言いたいだけだ。
「踊りなんて、下らない」
何もかも放棄してまで、やる価値のあるものなのか。たった一言の為に、私は母の背中を追っている。
「神楽会の皆さん、出番ですよ」
本部の進行役に促され会員らが席を立つ。私は水色のさざ波のような群れの最後尾につく。いつか、最先端の母へ追いつく為に。――End.――2018.3.20.(水)春分の日に、庭の桜雪を自宅で眺めながら。


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サークル名:アテナ戦記(URL
執筆者名:橋本野菊

一言アピール
皆で輪になって♪盆踊り楽しいですよね!でも、その表側でも色々あるのです……それを書きました。日舞の師匠であり会を主宰する母を持つと豊富な経験が出来ます。母娘の確執も激しく今までの本は娘の視点から様々な葛藤を書きました。無料配布本と聖闘士☆矢の二次創作もあるのでお越し下されば幸いです。

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