人思う刀
刀剣乱舞 二次創作
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「……は?」
奥に座す審神者の向かいに座り、いつも通りに定例報告を。茶を淹れて軽い雑談を交わした後、そろそろ自分の近侍部屋へ戻ろうと腰を上げかけたその時、「陸奥守」と審神者に呼び止められた。
そして告げられた言葉に、ただ呆然とした。
初期刀としてこの本丸に顕現し、以来長い間近侍として審神者のそばにあった。
審神者がどんな人間か、どんな考え方をする人か。その性格、性質、物言い、……この本丸の誰よりも、自分がよく理解していると思っていた。
そんな自分にさえ、審神者のその言葉は予想外なものだった。
「時間遡行軍との戦いに目処がついた。この本丸はいずれ解体される」
本丸の表に出てくる時、審神者は面に布を垂らしている。けれど審神者部屋では布を外して勤めを行い、部屋を訪ねてくる男士たちとも素顔で接する。
その人は今も、いつもと変わらぬ穏やかな顔をさらしていた。
「うちだけじゃない、この国にある本丸はいずれも、準備が整い次第順番に解体される。今度その順番の確認のため政府から招集がかかる予定だから、少し本丸をあけるよ。不在の間は遠征も出陣も許可できないから――」
「ちょ、待ちや」
そのまま黙って聞いていたら、最後まで話が進んでいたかもしれない。表情だけでなく声音さえ穏やかな審神者に向かって、慌てて手をのばした。
ぷつりと審神者が言葉を止める。そのまま穏やかに見つめてきた。
「何かな」
こちらの動揺は織り込み済みのようで、黙って待ってくれている。けれど。
聞きたいことをこの唇が紡ぐまでには、さらに時間がかかった。
「わしらぁは……どうなる?」
「本丸が解体されるということはすなわち、君たちを刀剣男士としてとどめ置く器がなくなるということだ」
現存するものは刀に戻り、そうでないものは消滅する。
「何じゃと……」
とっさに浮かんだのは、新選組や三条の刀たちだった。
「遺品の吉行として認められた君は、京都にその意識ごと戻ることになるだろう。刀として」
「堀川や加州は、のうなるっちゅうことか」
「私は、君たちをただ人として転生させるつもりも、それだけの力もないからね。もっと力のある審神者なら、人としての新たな生を与えてやることもできたかもしれないけど」
そう、言った時だけ。
審神者は申し訳なさそうな顔をした。
それが、今朝の出来事だ。
本丸の全男士が揃った夕餉の頃、審神者が本丸奥から出てきた。
その面にいつもの布がないのを珍しがる者がいれば、何か大事な話かと察して不安を抱く者もいた。
話を聞いて泣き出す者も取り乱す者もいたし、戦が終われば骨董品に戻るだけだとあっさり頷く者もいたが。
いずれにせよ「消滅する男士と刀として残る男士とに分かれる」という近い未来の事実に対しては、ここで長く過ごした仲間同士、さすがに複雑な顔をする者がほとんどに見えた。
そんな男士たちに対し、奥へ戻ろうとした審神者は最後に一つ、提案した。
「刀剣男士として最後の日をどこで過ごしたいか、考えておいで。一人で行くのでも、誰かと共に行くのでもかまわない。決まったら私のもとへ言いにくるように。……せめてそれだけは、望み通り叶えてみせよう」
ふと、陸奥守は瞬きをした。
――そうか。そうよにゃあ。
刀剣男士が刀剣男士でなくなるということは、この審神者も審神者でなくなるということだ。
男士を励起し導くために手にした力を、審神者もまた、奪われることになるのだ。
*
政府の招集から戻ってきた審神者は、再び男士全員を集め、本丸が解体される日取りを伝えた。その時点で、あとひと月も残っていなかった。
身辺整理を始める者も出てきて、本丸のそこかしこでばたばたと音がする。
それは、まだこの本丸ができて間もない頃、新たに顕現される男士のために部屋がどんどん拡張していった時の音に似ているようで、似ていない。
あの時のような、賑やかで楽しげな、心浮き立つものとは真逆の音だった。
「おんしらぁはどこへ行く?」
審神者が言っていた件、陸奥守は好奇心よりも、近侍として一応把握しておければという思いから、男士たちに聞いて回り始めた。
陸奥守の受けた印象では、本体が現存する者たちは決断が早いようだった。だからこそ、本体が保管されている場所とは別の、元主ゆかりの地へ目を向けやすくなるのかもしれない。
一方で、決めかねている者も少なくない。それにも幾通りかあった。
行きたい場所が複数あって選べないという者、元主ゆかりの地へ行きたいが未練ができてしまいそうで怖いという者。いつも通り山へこもり修行でもするかと思案する者、最後の日も本丸で過ごせないかと考える者――
「オレは函館だな。国広も一緒だ」
そう答えたのは和泉守。隣で堀川が頷いている。
「僕と清光は池田屋。長曽祢さんはまだ決めてないみたい」
煎餅を食べながらそう言ったのは大和守だ。加州は爪紅を引いていて、こちらの話には加わってこない。
「陸奥守は決めたの? やっぱり近江屋とか?」
こちらが聞くと答えてくれた者たちは、大概「陸奥守は?」と聞き返してきた。そのたびに「行きたいとこがこじゃんとあってにゃあ、まだ決めきらん」とへらりと笑っていたが、実際にはもう決めてある。審神者にも伝えてあった。
「いんにゃ、近江屋には行かん。……海が見とうて」
「海?」
そこに集っていた新選組の刀たちは、不思議そうに数度、瞬きをした。
本丸最後の日が決まって、出陣部隊を送り出す回数も減ってきた。遡行軍との戦いに目処がついたというのだから、いずれ戦そのものがなくなるのだろう。
気晴らしを兼ねて続けていた演練も、徐々に参加する本丸が減ってきた。早いところはすでに解体が始まっているという。
やがて男士たちは代わるがわる遠征に行き、内番で汗を流すようになった。
今さら本丸の資材や食糧事情をよくしたところで、と拗ねた風情の者もいたが、陸奥守は「まあまあ」と彼らを宥めるだけで審神者に報告まではしない。
大なり小なり、似たような思いを抱えている者がここにもいるのだ。
実際どんなふうに本丸は解体されるのか、誰にもわからなかった。陸奥守が尋ねても、審神者は明確な答えを返さない。そういう苛立ちもあった。
それでも。
どんな心境であれ、その日はやってくる。
*
遠くへ旅立つ者から順に、鳥居をくぐっていく。
何番目かで、陸奥守も鳥居の下に立った。見上げ、鳥居の上空に渦巻き始めた時空の歪みに目を細める。
くわん、と空気が鳴ると同時に目を閉じた。
間近に聞こえる波の音に、そっと目を開けると。
「……はあ」
一面に広がる砂浜にため息がこぼれた。
空の色を映した水面は蒼い。ひどく荒れた時には海も薄暗く見えるというが、審神者も気を遣ってくれたのだろう、穏やかな青空と蒼海が広がっている。
遥か前方の水平線は朧で、どこまでが空なのか、どこからが海なのか見分けがつかない。
しばらく立ち尽くして景色を見つめ、それから波打ち際を歩き出した。夏の海に飛ばされたのか、草履越しに感じる砂は熱い。草履で踏みしめた砂が、きゅっと音を立てる。
寄せては返す波の音を聞きながら、しばらく歩き続けた。他に人の姿がないのもやはり、審神者なりの気遣いだろうか。
「……一人ひとりにこればぁ力を使いよったら審神者もだれこけるろうに」
苦笑が漏れたが、長くそばで見続けてきた「今の主」がそういう人だというのは、よくわかっていた。
端から端まで歩き終え、場所を移した。
石で舗装された坂道をのぼり、やがて視線を上げた先に見え始めたその像のある場所に向かっていく。
開けた土地に立つその像のもとまで辿り着いて振り返ると、それまで自分が歩いていた砂浜が遠くに、小さく見えた。
「っはー、えい眺めじゃ」
またため息をこぼし、それから振り仰ぐ。
片手を懐に差し入れて立つその像に、かつての主の名を、呼んだ。
「龍馬」
呟くだけで、頬がむずむずした。
「今日で、最後やき。審神者に頼んでここへ
視線が緩みそうになる。視界が滲みそうになる。
ずっとずっと、我慢してきたのだ。
墓参りをしても。かつての姿を湿板で見つめても。
この像と
その、最後の日。
「……わしは、おまんの歴史を守れたろうか」
人としての身を受けて顕現して、最初の主の命日に。
その人の墓前に一人詣で、問うた。
――わしは、おまんの歴史を守れるろうか――
最後の日が訪れたということは、きっと、そういうことなのだろうけれど。
いまだ、この身には実感が伴わない。
ぷるぷると首を左右に振り、再び像を見上げた。
「龍馬。わしは京都の吉行んくに
そこでまた、静かな日々を、刀として。
遺品として認められた己が歴史と、人として過ごした新たな記憶を抱きながら。
静かに、眠るのだろう。
「おまんの腰におったよりも
次の句を継ぐのが躊躇われたのは、今の主への気遣いだったかもしれない。審神者がすべての男士の様子を見ているはずもないと、思いつつも。
その想いをずっと抱いたまま最後の日を迎えたことは、審神者に対して不忠ではないかと思われたのだ。
「ほいたらの。……さよならじゃ」
口の端をきゅっと持ち上げ、かつての主に向かって笑う。
もう一度、桂浜を眺め。それから。
本丸に戻る時空の扉へと、足を向けた。
かすかに耳に届く波の音を、いつまでも、聞いていたかった。
――わしは、おまんの腰におった時が、いっちゃん好きじゃった――
サークル名:水中月(URL)
執筆者名:惟一言アピール
「刀剣乱舞」「文豪とアルケミスト」の二次創作を細々とやっています。テキレボは二度目、アンソロはとうらぶ二次で初参加です。うちの初期刀にとって海といえばやはり元主(と書いた人)の故郷である高知のあの海だろうということで。制作が間に合えば、この話も含めた短編集がスペースに置いてあるかも…?